さぬきの歴史

さぬきの歴史やお寺のことなど

本と祈り

2020-03-31 23:21:00 | 歴史の本



おへんろ文化を研究する大先輩から、本を
頂きました。
知りたいこと、学びたいことがたくさん
ある私には本当に嬉しい贈り物です。

実は限界を感じていた今日この頃、
ついつい楽な方に逃げてしまいそうなのでした。

そんな時にこうして届く贈り物。
ありがたいことです。

ところで、話は変わりますが、
今、世界中を悩ませているコロナウィルス。
私などには何もなす術が思いつかないと思っていたのですが、
それこそ、こんな時こそ、
神仏に真剣に祈ることが大事なのではないかと思うのです。

皆が一心に祈ることで、何かが変わるかもしれない。
お経を唱えることで、心が安らぐかもしれない。

何もなす術もない今こそ、神仏に頼る、というか、「祈るしかない」というのが本音ですが、お寺や神社の方々、
今こそ、祈祷をどんどんして頂きたい❣️




倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)

2020-03-16 23:25:01 | 讃岐の歴史
昨日、一宮寺の記事でさらっと紹介した

一宮御陵。

孝霊天皇は、第7代天皇で、
百襲姫命と五十狭芹彦命 (いさせりひこのみこと)は
孝霊天皇の子供で、
百襲姫命は卑弥呼だとも臺與(とよ)だとも言われているお方です。
そして、五十狭芹彦命 は、吉備津彦命なのだそうです。

これらの方が、ご祭神とは、田村神社って、すごいですね。
田村神社のHPにご祭神を紹介した記事がありました。

猿田彦も吉備津彦も気になる所ですが、
今日は、百襲姫命について、調べました。
何しろ、卑弥呼様ですよ。 なぜ、香川に?!

すごい記事を見つけました。

日本書紀に記された大和三輪山の大物主との神婚説話 で有名で、
箸墓古墳の主と言われている倭迹迹日百襲姫 が、
女王卑弥呼の死後、争乱を避けて、水主神社にいらしたという
伝説があるのですね。

このお話が本当だとすると、百襲姫は卑弥呼ではなくて、臺與(とよ)
かも? と考えることもできますね。

それにしても、こんなすごい伝説があるなんて。
讃岐の歴史、まだまだ面白いことがたくさん掘り出せそうですね。



一宮寺

2020-03-15 14:27:00 | おへんろ
今日は、四国霊場83番札所、一宮寺に行ってきました。

一宮寺HP




一宮寺のお隣の田村神社には何度も来ているのですが、一宮寺は初めてです。

諸国に一宮が建立されたとき、行基によって堂塔を修築。
讃岐国一宮・田村神社の第一別当職となり、寺号を一宮としました。
大同年間(806~810)に弘法大師が逗留、聖観音像を刻み、
本尊として安置。このとき、宗派も真言宗に改められた。

延宝7年(1679)高松藩主松平頼重によって、田村神社別当職を
解かれ、神仏は分離した。



一宮御陵
三基の宝塔で、田村神社の祭神である孝霊天皇(こうれいてんのう)・百襲姫命(ももそひめのみこと)
・五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)の供養塔と言われているそうです。




鐘の響きが良かったです。



山門には大きなわらじが。



本堂です。写真を撮っているのを知っていて、どかないうちの夫。

写真を撮り損ねましたが、大師堂がとても大きくて素敵でした。





この薬師如来の小さな祠は、「地獄の釜」と伝えられていて、
心がけの悪い人が、地獄の釜の音を聞こうと、首を突っ込むと、
石の扉が閉まり、頭が抜けなくなるのだとか……。





御朱印と八十八カ所の納経印が別にありました。



不安なご時世なので、
気持ちが明るくなるような、きれいなお守りを買いました。