さぬきの歴史

さぬきの歴史やお寺のことなど

四国遍路と真念庵

2019-10-31 23:50:04 | 志度の歴史

11月10日に行われる「るんるん♪ 地蔵寺」で、志度城をガイドすることになり、
調べてみると、地蔵寺再建に貢献した寒川金兵衛さんと、当時の地蔵寺住職の蜜英さんが
志度城主多田氏の子孫だということがわかりました。

寒川金兵衛さんは、たいへん信仰心の厚い人で、たくさんのお寺に寄進している立派な方なのですが、
志度図書館で郷土史の本を調べても「志度町史」と「志度町人物風景」という本にしか載っていません。

得意のグーグルで検索しても、何も出てきません。
そこで、懇意にしていたという真念さんで検索したら、こんな動画がありました。

四国遍路と信念庵

この動画で説明している「寒川金兵衛さんが真念庵に仏餉田を奉納したというのは、
「志度町人物風景」でこう紹介されています。

1 高知県野瀬・真念庵にある父母の位牌 正面に父母の法名を刻み、下に
  讃州寒河郡志度村 寒川金兵衛二親菩提 萬治元戌十一月十日 裏面に
  この庵に仏餉田新地拾二代永代寄付とある。

この動画を見て、この文章の意味がよくわかりました。
ちなみに、一代は六坪で、十二代は72坪ということになります。
この仏餉田は今も一ノ瀬の人が管理しているそうです。
仏餉田(ぶっしょうでん)とは、仏様にお供えする米を育てる田んぼのことです。


今も毎年、8月14日の施餓鬼で、金兵衛さんのご両親の供養が行われているようです。







もうすぐお祭り2

2019-10-10 23:19:26 | 志度の歴史
前に載せた写真は家から志度寺に向かう途中の大行灯だったので、
今日は反対側、多和神社に向かって歩いてみた。



こちらも海女の玉取り。
水色がさわやかで、絵が生き生きしている。

裏側は那須の与一

美しい……。
同じ人が描いているのに、タッチが違う気がする。

8日に紹介した大行灯も裏側は那須の与一だった。
決まりでもあるのだろうか。


こんなポスターもあった。
手描きぽいけど、
とても魅力的な絵!



もうすぐお祭り

2019-10-08 22:45:47 | 東讃の歴史
久しぶりに夜の町を歩いたら、お祭りの練習の、鉦や太鼓の音が聞こえた。

商店街には大行灯。







つくづく、志度の人は、「海女の珠取」の話が好きなんだなあ~、と思う。

最近、夢に見るほど、「志度寺縁起絵」のことばかり考えている私は、まるで自分が讃えられているようで嬉しいのだった。(おめでたい)



ガイドって? 志度城

2019-10-06 22:39:28 | 東讃の歴史

今日は「ルンルン♪ 町歩き」のリハーサルと言うので、張り切っていたのだが、
「志度浦」も「志度城」のガイドも
「そんなに詳しくやらなくていい」とバッサリ切り捨てられ、ふて腐れている。

志度図書館に通って、志度城に関する記事を集めた。
戦国時代は、たくさんの武士が入り乱れて、正直、うまく整理しきれていない。
長い長い歴史をたった5分で説明せよ、と言われても
聞き手の知識もバラバラだろうから、難しい。

ガイドって、難しいよう~~。

私はできるだけ、可能な限り、情報を集めたい。
そして、それをできるだけたくさん伝えたいと思うのだが、
世の中の人はそんなものは欲していない、と言われた。
じゃあ、ガイドなんて、いらないじゃん?!

どこにでも書いてある短文程度の知識なら、立て札読めばそれですむ。
それ以上のプラスα がガイドの存在意義だと私は思うのだが。

ところで、「志度城」に関する紹介文には出てこないが、
志度城跡

の隣に、こんな地蔵堂がある。
つい最近、発見(?)した。
もちろん、地元の人は知っていて、毎年、お祀りもあるという。




それから、志度城跡にある「天照大神」と書かれている五角形の石塔は
「地神塔」と呼ばれて、徳島県、香川県東讃地方、岡山県に多く見られて、
他ではあまり見ないものなのだそうだ。
なぜそうなのか、興味津々だが、
5分のガイドでは永遠に発表の場はなさそうだ。

それから、それから志度城跡前のこの建物。


なんと、明治時代の志度村役場だったそうで、
今も人が住んでいるのだとか。

せっかく調べたのに、聞いてさえもらえなかったので、
ここにのこしておく。