日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

シャンソンリサイタル

2013-06-29 20:10:26 | 日記
輝く日を仰ぐとき 月星 眺むる時 雷鳴り渡る時 まことの御神を思う わが魂 いざたたえよ 大いなる御神を (新聖歌21)



今日は芸術の出会いが2回あった。朝は大阪本町にあるフジフオト。1度は行った経験があるけど、久し振りに行く事が出来た。友人の紹介の山崎氏の写真で、面の木の森、というテーマです。丁度私が最も好きな木と樹氷、霧に朝の光、そして森です。風景でもこの方の優しさが滲む作風で感動しました。また山崎氏と少しお話させて頂き、写真も人柄が出るものと痛感しました。自宅から2時間も掛かる被写体を追う、その情熱に打たれます。八ツセルで撮ってられ、やはりフイルムの良さが出て、フイルムが懐かしくなりました。



もう一つは知り会ってもう17年はなるでしょうか。B氏。Gちゃんを偲ぶ集会で年1度皆さんと共に会います。私達より若いし、スマートですが、普通の人。それが10年前から趣味が高じて、何と素人シャンソン歌手に!ミュージカルや、ライブ、帝国ホテルでデイナーショーまで開いたとか。B氏が、どの様に歌われるのか興味はあったものの、夜なので今まで行かなかった。

何と感情豊かで、旨い!またジョークもお上手。千円なんて安過ぎる!シャンソンは死ぬ程愛する男女の歌もあり、柔らかい旋律でも感情を込めて込めて、といった風でこちらも切なくなる。

私の好きな歌は、ラビアンローズ、想い出のサントロぺ、サントワミー、愛の追憶でしょうか。以前は私もシャンソンが大好きでした。今は変わるものですね。クラシックです。でも歌は何でも好きかな。
B氏は本職は料理講師。TVにも出た事があるとか。

いやはや人間様々。驚きましたねぇ。



大阪の町です。

紫陽花を求め

2013-06-27 12:58:13 | 日記
私はシャロンのサフラン、谷のゆりの花。(雅歌2章1節)







この10日間程は何かと用事が重なり、撮影の時間は無かったのです。その内には遊びの日が1日ありましたが。見頃になった大好きな紫陽花の花を見て、指くわえることしきり。今日はやっと!何処へ行こうか?三室戸はダイナミックな紫陽花園があり、名所ですが、人が余りにも多い。近場では何処?宇治植物公園は?電話で尋ねる。ガレージの場所や中に入れば所々にあるとのこと。ウン宇治稙に決めた。

今日は私一人で出かける。家から10分ですから。ガレージに着いたのは8時20分。三室戸なら9時開園。見れば何と美しい紫陽花が!宇治稙で良かった。まだ滴も少々ある。水色が殆どですが、やはり紫陽花は水色系かも。





中へ入れば私の好きな色、、、淡い薄紫の紫陽花がある。嬉しい。如何に撮るか?ロマンチックに撮りたいですが、なかなか旨くいかない。でも何とか様かな?いい加減で妥協してしまう。





太陽も高くなると汗が。小川の流にそよぐ野草もある。水の流は心癒される。少し池と若木の風景で遊ぶ。水連も咲いている。

こもれびを帯びた紫陽花もあって、少しパチリ。もうこれ位にして於きましょう。

休憩室でコーヒーとスナックを買って、休みつつ疲れを癒す。






ロミオとジュリエット

2013-06-24 21:12:47 | 日記
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。(詩篇136篇)



今日は楽しみにしていた中学時代からの友人3人で大好きな宝塚で集まりました。一人は新幹線で50分かかります。久し振りに会い、喜びました。ここへ来ると年を忘れ、若い!暫く少女に帰りましょう。宝塚はそんな気持ちにさせる不思議な所です。長年のフアンだから思い出が一杯詰まっています。別に今では好きなスターはいなくても、宝塚の雰囲気が大好きです。街も劇場も歌劇に相応しく作られ、如何にも夢の世界。



花の道では紫陽花の見頃。Ⅰ眼レフが欲しいところですが、今日は重いものは気が向かない。コンデジでパチリ。やはり色が気に入らないけど、仕方ない。



今月の演物はあの有名なシエイクスピアの「ロミオとジュリエット」。クラッシック音楽にもありますが、現在風の作風でロックが多い。芝居は思わず引き込まれてしまいます。エリザベートを数回見ましたが似たとこがあり、死と愛という存在を作りドラマを解りやすいく演出されている。筋は全く一緒で、歌のセリフが多い。

憎しみ、恨みにより殺人が起こり、愛し合う若い二人を死に追いやってしまった。それにより両家が悟る訳で、人間はここまでならないと解らない存在と改めて罪の深さを感じます。神父さんやその他の人物も聖書的な言葉が多く、私はよく理解しやすい。愛し合う二人が哀れで、涙が出そう。

美しさとロマンに酔って、そして旧交を暖め、大劇場を後にしました。


検診

2013-06-22 18:38:25 | 日記
あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、私を信じなさい。(ヨハネの福音書14章1節)



梅雨の合間、やたらに涼しい日が続きます。先週から行事、集会が続き、その合間である、この3日間検診で医者通い。20日は眼科。お蔭様で先月のレーダーが効き、水は少なくなり、次は2か月後。早くIPS細胞治療が出来ないかな、なんて期待する。21日は半年振りに歯の検診。これは宇治市なので楽。奥歯が虫歯の一歩手前。来週その治療。今日は内科。肝臓数値がやや多い為です。数年前よりは少ないですが、念のためエコー検査。脂肪が少し溜ってますが、どうということは無い様。しかし胆嚢が少しいびつで、皮膚がやや厚くなってるとか。血液検査をしました。

今どこが痛いとか、シンドイとか、症状は無いですが、年と共に知らない間に異常が出て来るものと感心します。ポリープが出来やすく、これは母に似てます。胃にポリープは10年以上あるし、首回りにイボ状のものが一杯。皆何等か弱い部分があるものです。

しかしエコーで肝臓、胆嚢や腎臓まで解るのですから、凄いです。16年前腎臓摘出手術した時、MRIやCTより、腫瘍が最もよく解ったのはエコーですから。その時も良性の腫瘍でした。腎臓に出来るのは悪性と決まってるのに私だけ良性。まだ母もいたし、息子も結婚してなかって、命をもう少し長くして下さいと祈ったものです。祈りが聞かれ今まで生かされて来ました。感謝な事です。もう命に不服は無いですね。命は神様の御手の中です。まだこの世での私の命が必要なら生かして下さるでしょう。

医者からの帰りは第二京阪で帰り、巨椋池の田んぼへ降りました。そこで紫陽花に出会いました。



そして京滋バイパスを見ます。巨椋池の広い田んぼも稲の緑が綺麗でした。また来週も忙しい日々が続きます。役を持ってる今年は梅雨で天候も悪く、旅に出れるかどうか?ちょっとゆっくりしたい、、、
買い物が好きな夫は私の好きな甘い物をよく買って来ます。これからは一切買わないとか。中性脂肪が多いので、肝臓に脂肪が溜り、数値が上がるのですからね。


希望

2013-06-19 09:40:17 | 日記
いつまでも残るものは、信仰と希望と愛です。その中で1番優れているのは愛です。(第一コリント人への手紙13章13節)



昨日は我が家で月1度の家庭集会でした。この日を楽しみにして下さってる方も多く、恵みが溢れてるのも確かです。私は場所を提供してるだけですが、主の導きにより成されてることを感じます。

コリント人への手紙の有名な箇所を解りやすく語って下さいました。自分は正しい、清く生きていると思い生きて来たが、全く清いどころか、醜いことばかり。悔い思い直すことばかりです。主を信じる事により、自分が解り、それにより希望が湧きます。(永遠の命、天の希望。)生きるに当たる目標と真理が解って来る。そして人への愛が少しづつ解り、示され、少しでも手を差し伸べよう、という気持ちになる。完全には人は出来ないけど、少しづつその様にさせて頂ける。
愛、、、男女の好き嫌いの愛では決してない。自己犠牲にしてでも、その方の気持ちになり、聞いて上げるとか、手伝いしよう、と思う気持ちです。マダーテレサの様にはなかなか出来ないけど、少しづつその様に変えられるのは何と言う感謝でしょう。

先日のM姉は最後までどんな苦しい息の中でも希望を失われなかった、という実情から、そんな自分でありたい、と皆思いました。家庭集会では信じたばかりの方や、まだ信じてない方もおられる。殆どの方がキリスト教式の葬儀をやって頂きたい、との申し出。中には信じていても、夫が救われてないので、お墓の関係で悩んでられる方もある。でも墓や子孫は関係ない。自分がキリストを信じたかで良い。神様はそこだけを見てられる。

先生、私が死ぬまで教会の牧師でいて下さいね、と頼む方があったり、未信者の方は「キリスト教でやってもらうには、どんな条件が必要ですか?」と尋ねる方もあった。「まずキリストを信じる事です。でもこうして何回も教会に来て下さってるから、葬儀はキリスト教で出来ます。」と牧師が言って下さった。

我が家の両親の葬儀は近所の皆さんや、親戚の方々が「良い葬儀だった。自分もこんな葬儀をやってもらいたい、と異口同音に言って下さって、恵まれた事をお証しました。


父の日

2013-06-16 18:51:13 | 日記
父たちよ。あなたがたも、子供を怒らせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。(エペソ人への手紙6章4節)



今日は父の日。皆様は如何過ごされたでしょうか。教会では毎年ですが、男性にプレゼントがありました。またメッセージを聞き、なる程な、と思います。我が家はクリスチャンになる前に子供は幼児、小学生だったので完全に失敗しています。少々小学生後半は救われたので、優しい子には育ったかな?親に似て、能の足りない子ですが、一応クリスチャンホームを築いてるので、これも主の恵みです。

父親は社会的にも家庭にも、子育てに於いても責任が大きい。
子供を怒らすとは、、、追いつめて、子供の心が爆発するようなこと。
           厳し過ぎたり、親の権威の乱用はいけない。
           子供の感じてる事から無神経に行ったり、屈辱的に従わせ無い事が大切。
この時代のイスラエルの背景はローマの支配で、父子というのは、主人と奴隷の関係より、以下の関係だった。自分を神としていた。罪人だから自分を神としたら、益々父子の関係は酷くなる。その為の主の言葉です。

牧師のメッセージの抜粋
私達がイエス様を知れば知る程自分を知ることになり、自分を深く知るなら、自分を棚に上げ子供に無理な要求をすることは出来なくなるはずである自分の神の前に立つ一人の罪人であるという自覚を持って、自分の弱さも取り払わず、ありのままの自分が神に愛され受け入れらている事を経験し、罪を悔い改めつつ子供と接するなら、子供を怒らせる事がない。子供をイラつかせる事はない。子供と共に成長する父親でありたい。またそのような父親をサポートする一人一人でありたい。


大原へ

2013-06-14 18:40:59 | 日記
われ聞けり「かしこには 争いも煩いも 明日の憂いもなしと」 われは間もなく着かん 「ハレルヤ」と歌いなば 悲しみも幸とならん われは はや さ迷わじ 神 共にいませば (新聖歌471)



M姉にもっとお交わりをすれば良かった、とか悔やまれる事が一杯です。でも姉妹は耳も遠く、電話は出来なかった。FAXしか通じないのです。会話は聞こえない面があり、つい疎かにしてたのでは?後悔しても仕方ない。姉妹はこの賛美歌を歌いつつ行かれた事でしょう。



今日は多分最高気温35度以上でしょう。しかし今日しか撮影に行けない。もう紫陽花が綺麗!と思って大原三千院へと急ぐ。道路は通勤者ラッシュだったけど、何とか大原へ着きました。でも~この天気コントラストが強すぎる。少し雨だったらな、、、仕方ない、空梅雨だから。



大原、、、何回も来てるけど、この14年間は来ていない。やはり大原の里はいいなぁ。やはり歴史がある。平家物語の舞台なんだ。宇治田原も確かに山里ですが、交通の便が悪く、観光客には無理。ここ大原は京都の中心からバスが頻繁に来ている。良い道路も出来、修学院から直ぐです。修学旅行や何と浴衣を着た若い男女の集団に会った。大学生でしょう。





今日の目的は紫陽花風景です。何処にも見られない。どうして?何と、以前は建物の傍に一杯さいてたのが、皆奥に紫陽花園とされていた。そしてまだ色も薄く、早かった。残念。ここの紫陽花は全てブルーであっさりして清楚。好きなんです。しかし残念です。

苔が素晴らしく、綺麗。雨ならどんなに美しいでしょう。



ツクバイの水面に緑の映り込みでも撮っておきましょうか。ピカテンですから、苦肉の策です。撮影後、食堂へ。何と大原の村や山が見渡せます。また夫は京都はいいなぁ、と感嘆してます。私も今日は改めて、京都はいいと思いました。街中の寺より、やはり大原が好きです。嵯峨は好きだけど、京都を横断しなきゃならない。こちらからは遠いのです。帰りは「途中」から守山に出て、湖西道路から1号線より更に、環状線を通り、案外早く帰れました。


M 姉の召天

2013-06-11 20:56:36 | 日記
見よ。神の幕屋が人と共にある。神は彼らと共に住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らと共におられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。(ヨハネの黙示録21章3~4節)



長年敬虔な信仰者M姉が今日の0時過ぎに天に召されました。以前から肝臓が悪く、その上数年前にはリュウマチになり、かなり強い副作用なのか、肝臓をやられ、この半年、入退院を繰り返してられた。腎臓も移り、腹水を十何回も取、それが最早効かなくなり、この世の命を終わられた。病気が多くあった姉妹でもありました。昨年のクリスマスを共に楽しんだのに、とつい思って、悲しくなりますが、でもこれも神様の時です。

昨日の午後4時、牧師からM姉は御主人の救いを最も願ってた方。御主人も同じ信仰を願ってられる様なので、病院におられる御主人に信仰の促しをして、祈るから、皆さんも祈って欲しいとのメールが入った。私は教会に用事があったので、食堂で一人で祈ってました。御主人は信じられ、M姉に自分は信じて、救われたから喜んでくれ!安心してくれ!と話され、M姉は苦しい息の中、ウーと返事を確かにされたとのこと。ハレルヤ!感謝です。

今朝早くにまた牧師からメールで、召されたとのこと。式の詳細が書いてあった。悲しいけど、恵みも豊かで、何か安堵する。でも思い出が蘇り、優しく、患難が多かった為に培われた信仰者だった、と感無量です。M姉は私より年配で、大好きなお兄さん二人を戦争で亡くし、急に跡取りとなられた。急に立場が変わり、結婚もされたが、幾多の苦難を潜り、35歳位で他教会で洗礼を受けられた。本当に辛抱強い姉で、益々イエス様に寄り頼む人となっていった。

リュウマチで痛くて泣いてる様に見えるけど、痛くてもイエス様に支えられてる喜びで余計泣ける、とか。この1か月本当にシンドカッタでしょう。あるお見舞いに行った人に「死ぬのは全く怖くない。」と言われたとか。苦しみの中全き信仰に立ってられたのだ!と思います。今夜は前夜式でした。凄く安らかで、今にも笑いそうな感じです。こんな平安なお顔を他で見た事がありません。天国に行かれた!と参列した皆さんそう思われた事でしょう。これだけ「天国」が身近に感じた葬儀に会った事がありません。M姉の信仰の模範がそこにありました。ハレルヤ!幸いな苦もなく、罪も無い、天国にもはやおられるのですね。


思い出の共有

2013-06-09 18:39:49 | 日記
あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また、「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。(伝道者の書3章1節)>





私は以外と思われるかも知れないですが、中学3年末から宝塚が大好きになってしまった。それが今まで尾を引いてますから重症?女子校、ひとり子、ロマンチストですからその要素は充分にあります。男性というものに回りから縁が無い。卒業してからも勤めに行けず家業を継いだのですから。以前は世の中が違って、家を継ぐと言う習慣が一般的だったのです。今の様な自由な世なら私の人生も変ったでしょう。不幸な面も多かったけど、今幸いならこれで満足しましょう。

20歳の時でした。同級生が宝塚に入り、入団して2年目、小劇場に出演とのことで初日に出かけました。主役に見知らぬ新人が出てる。それが回りを圧倒する旨さ!特に歌が抜群。プログラムを見れば、上月 晃。何と同級生と同期。男役で2年目で主役なんて、今まで聞いた事がありません。驚いて、その圧倒的な歌唱と魅力にすっかり嵌りました。その後瞬く間に上級生を抜き、人気、実力、バイタリテイで6年目でトップに。豊かな家庭の人が多い中、彼女は決して裕福でなく、実力と魅力でトップになった。

恋人の男女が恋に燃える様に、私の若い血潮が燃えに燃えた。舞台の男性像に恋したのです。宝塚のフアンしか解らない心理でしょう。可愛いものです。男女のように、ドロドロしたものは無く、唯舞台の人に恋するのですから。数え切れない人に恋して来ました。特に上月 晃の男役には血が燃えた事は確かです。だから今も思い出が強烈で、そんな人達が今日は大阪の某ホテルに集まりました。思い出や近況を語り、美味しい中華料理を楽しみました。





上月は退団後不幸が押し寄せて来ましたが、越路吹雪位の実力があったけど、越路さんは周囲に恵まれてられました。上月は本当に恵まれ無かった。彼女に責任もないのにフアンの悪事で1時引退した。でも蘇り、本場パリで多いに喝采され、また晩年まで地道な努力が認められたが、病魔には勝てなかった。死の半年前にお茶会に於いて、友人の計らいで、お話する事が出来た。私を解ってくれてたのです。そんな小さな事が嬉しかった。可愛いものです。もし回りに男性が多い環境にいれば、また違っていたでしょう。

若いころは男性の誘いには逃げてましたが、人に笑われるかも知れないですが、恋に恋してました。

でも~30代末からキリストに救って頂き、本当の幸いを見つけて感謝です。


緑の風景

2013-06-05 17:56:19 | 日記
心静めて 御声聞けば 恐れは去りて 委ねるを得ん ただ知らまほし 行く手の道 一羽の雀に 目を注ぎ給う 主はわれさえも 支え給うなり 声高らかに われは歌わん 一羽の雀さえ 主は守り給う (新聖歌285)



昨日はまたまた早朝から宇治田原方面へ。初夏といっても昼は30度の毎日です。雨は連日見ないし、当然霧はない。でも早朝は気持ち良く、草の滴は光に輝く。もう若葉は緑が濃くなって、夏場に向かうと、山里も余り魅力は無くなって行きます。まだ茶畑は刈ってない所もあり、中には緑の美しい場所もあります。

普段余り行かない場所を選びました。いつもの大茶園は長く行ってない、と反省もするけど、また秋の新芽の美しい時でいいか。この日に行った所は実に緑が美しい。こんな所があったのか!と思えるから不思議です。春夏秋冬、皆風景が違うので、もし初夏にこの場に来てなかったら、初めての場所に思うのでしょう。今まで2度位しか行かないかった所です。土地の人も穏やかで声をかけて下さる。

一応撮影して鷲峰山を通り、何と和束に出てしまいました。喉が渇きカフエへ。和束も宇治田原より茶畑は多いと思います。回りは山で盆地の様になってます。だから茶畑がよく見渡せます。そして山上まで茶が植えられ、ダイナミック。多分お茶に必要な霧も多いでしょう。

宇治田原は盆地では無い気がします。小さな山が方々に入り込、林で茶畑が隠れてしまってる場合が多いです。だから変化に富んでるかも解りません。どちらも宇治茶の名産地です。





皆、鷲峰山から和束の町が見える地点でパチリしました。鷲峰山を境界に宇治田原町と和束町に分かれます。雲海が出る気がしますね。

私と写真

2013-06-03 09:32:51 | 日記
私が道であり、真理であり、いのちなのです。(聖書)



上の聖句は昨日のゴスペルコンサートで歌われた1曲であり、有名な聖書の箇所です。ゴスペルでは Iam the wey 。 

写真を初めて随分年月が過ぎました。一向に上達はしないですが、楽しませてもらってます。初めの頃は人に負けまい、と気負いがありましたが、この頃ではそんな気持ちは全くない。気楽なものです。楽しく、楽しく、で日々の生活の1部になって、潤いを与えられてる様に感じます。

カメラを長く持たないと何か落ち着かない。カメキチかな?やはり自然が好きでその中に入るとほっとします。草花の滴の輝き、山や野の落ち着いた佇まいに心癒され、だから辞められない。例え庭の花でも自然に変わりないです。これは最も身近な自然で、撮るのが楽。

自分が大都会に住んでる場合なら、都会のスナップを撮り、目が養われるでしょう。そうすれば、そういった視点が養われると思います。私はその点養われてなくて、スナップは苦手ですが、でも風景に人を入れたい、と思う様になりました。動きや生活感が出ますから。

幸い車の運転が少々出来るのと、夫も写真をやって、遠くでも連れてくれるので、どうしても自然が目に入り、嵌ってます。その点感謝です。もし運転が出来なくなったり、体に故障が出来、出来なくなれば、花写真でも撮れば幸いでしょう。

教会生活を第一にしてますが、撮影は疲れるので、奉仕との兼ね合いにいつも策を練って暮らしてます。無精な私でも家事はしなきゃならない。だから忙しいのです。やっと今日は休憩。健康を祈りつつ過ごしていきたいものです。