日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

すみれの花咲く頃

2012-05-29 19:25:57 | 日記
新しい歌を主に向かって歌い 美しい調べと共に喜びの叫びをあげよ (詩篇33篇)

昨日は友人と共に、宝塚へ行きました。いい年して、、、と思われそうですね。燃えに燃えた高校時代。宝塚は青春の原点でした。共学でなく女子高だから自然の成り行きかも解りません。世の全てから少々逃避していたでしょう。また何とロマンチストだったでしょう。これも性格かな。

今では年に2~3度訪れますが、駅に着けばもう宝塚モード。お店も淡いピンクの宝塚グッズが数多く売られている。ここから現実には無いロマンスの世界に入って行きそうです。

舞台の装置、演劇、音楽、舞台の豪華さ、ロビーのお城の様なムード。どれを取っても夢の世界です。男役、、、こんなに優しく、かっこ良く、女性を大事にしてくれる男性は一人もいないでしょう。ひと時の夢を見て、心満たされるのかも解りません。

友人との交流も嬉しいものです。もう半世紀の付き合いかな。よくお付き合いが繋がってるのも宝塚という共通の趣味があるからと思えます。友人の計らいで何と一番前の席でした!

帰りは少しお店を回り、それで少々ムードにしたり、お名残惜しく電車に乗りました。


若葉の道を走る

2012-05-26 20:01:48 | 日記
原に若草が青く萌え出すと 雪解けの水が 高く音たてる 私達も 春の喜びを歌おう 春を造られた 神様を歌おう(新聖歌477)

昨日は雨が小降りで宇治田原方面へ行けば、雨で綺麗な色に出会えるのでは、と思い9時半頃に自宅を出る。晴れの日は光を!と思うから早朝ですが、こういった日はゆっくり出れるので助かります。田んぼはどうなったかな?と興味があります。

田んぼの苗はすっかり落ち着き、株も増えて全体が綺麗になってました。側の木々の緑と相まって、若葉一色。人は緑を見るのが最も心が落ち着いて、和むと聞きますがその通りだ、と感動します。宇治田原も入口は普通の郊外の町の様相です。黒塀の立派なお家に何と2階まで薔薇を這わせてあり、その色彩が見事。センスのある作りに感心します。花々も沢山咲き何とこの時期は美しいのでしょう。

用事で公けの役所へ行けば、20歳余りの優しそうな女性が応対して下さる。京都南部から通ってるとのこと。初めて勤務に就いた頃、美しい町だと思ったとのこと。私も過去は何とも思わなかったですが、来る程に良さが解り、魅力のある町と思います。低山に咲く山野草もあるし、所々に植えてる花々も美しい。四季折々の風景に生活感もあって良い風情だと思えます。それに霧がよく出て、味を添えます。

田原川を見ると黄色菖蒲が群生しています。また農家に菖蒲や山野草が美しく、撮らせて頂いた。鷲峰山へ向かう。その手前に林と綺麗な田んぼがよくマッチしている。手前に柿の木があり、柿の葉の若葉が私は1番好きな色です。

山の茶畑はすっかり菰に覆われ、撮るのは諦め。何と和束に入ってしまった。そこから信楽へ向かう。軽い昼食を取、帰路に向かう。若葉に鋭気を頂いた日でした。

誘惑

2012-05-23 18:36:42 | 日記
忍耐強く試みを耐え抜いた人々は幸いです。彼らは神を愛する人々に約束された命の冠を受ける事になるからです。(ヤコブの手紙1章12節)

今日は仲良し組が1冊の著書を元に学ぶ日。普通日常余り感じない部分を学び、人間の心の奥深くに潜むものを学んだ。もう一つの聖書の箇所で「内側から出るもの、すなわち人の心から出て来るものは、悪い思い、性的不道徳、盗み、殺人、姦淫、貪欲、邪悪なもの、欺き、肉欲、ねたみ、中傷、高慢、そして愚かさです。これらはずべきものはすべて人の心から出て来るのです。」、、、あなたがたの中には邪悪な欲望の大群が潜んでいると教えている。

こんなに多くの悪がこの私にも?追及してみよう。性的不道徳や姦淫は若い頃からそう異性に執着心は無いけど、でも~もしクリスチャンで無ければどうか?若い時で罪意識が無いので、夫に不満があった場合フラフラと行くのでは。盗みや貪欲はもし凄く貧しければそんな思いになったでしょう。妬みは過去には確かにあった。欺き、中傷はやったと思う。人から聞き、そういった話は罪人だから面白かった。高慢、愚かさは確かにある。今はそういう思いは、いけない!と悔いる。殺人、、、私自身はそれは無かったけど、先日ある方が、大変な苦境にさらされ、殺してやりたい!と思ったとか。環境によりその思いが起こる事は有り得る。

こうして見ると恐ろしい様な項目ですが、確かに聖書の言葉はもっともです。何ら他所のもので無く、自分の心に潜んでいる。これが罪と言う言葉で言い表す。この悪しき事がこの世に充満して、悪魔はまず普通の人々を誘惑していく。悪魔の試みはどんな人にもある。もう既に誘惑に負けた人には悪魔は用はない。クリスチャンに巧妙に迫って来る。悪魔が最も恐れるのはキリスト。だからクリスチャンを襲えば良い訳です。

人には願というのがある。そして甘い言葉で誘惑されたい、との思いがある。そこを冷静に聖書の言葉を蓄え、去らなければならない。異性に魅力を感じ、またいい人だな、と思うのは誰でもです。性的興奮も何ら悪い事ではない。しかし相手を自分の意思でものにしようと試みるのは肉欲。魅力を感じる事と肉欲は違う訳です。”誰でもやってますよ。怖くないですよ”と甘い言葉で攻めてくる。

また復讐心があれば、それに輪をかけて悪魔は誘惑して来る。自分の願や躓き安い部分を悪魔はよく知っている。神様の言葉にしっかり立ち、甘い誘惑に負けない信仰を持ち続けたいものです。自分の事は充分解ってる!と思う人が多いでしょう。しかし案外解っていない。
世の中の事も。人間は限界がある様に思います。

何故日曜なのに礼拝に行くのか。何故犠牲を強いて奉仕するのか。神様の近くにいたいからです。それでも悪魔にやられるかも。その都度悔いて詫びる。神様は詫びたらいつも優しく慰めて下さいます。そして忍耐と謙遜が養われたら幸いです。

時の流れ

2012-05-22 13:20:09 | 日記
示したまえ 歩むべきわが道を 御神の時の 流れの中で すべてを 感謝しつつ(新聖歌333)

昨日は金環日食でTVは大騒ぎ。曇り空予報で期待もせず、撮影の用意もしなかったのですが、何故か急に撮っておくべきかな、と慌てる。でも太陽を見るのは眼には悪いと聞きます。ほんの少しパチリして置きたいですから2階に上がりました。周囲は暗くなってやはり違う。-3に設定して太陽を覗けば、何と金の指輪の様!これでよし。

下の庭の花も記念に日食に照らされた花として残そうと思う。エビネや十文字草、クリンソウがある。数枚撮ってPCに入れ見れば、何これ!?て感じでガッカリしました。太陽が少し欠けただけでした。私の思い込みでした。折角の日なのでブログへと。最低2枚は必要だから、いつものブログ設定ではダメと思い、友人の様に書いてみたいものです。

取りあえず、2枚の画像とタイトルと紹介の箇所があって、書いても投稿の箇所が無い。でも細かい字でそれらしきものをクリックすれば、スライドショーとしてUP!!びっくり。削除のやり方は解るけど、さてもう一度となっても解らない。

ブログはアホの一つ覚えで、他の方法の必要さが解りました。自分のブログの主旨もあるし、このまま行きましょうか。

次の金環日食は何百年先とか。この世の神の時はいつまで続くか誰も解らない。

里山朝の渋滞

2012-05-18 19:05:49 | 日記
愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。(ローマ人への手紙56章)

風景写真を撮るには朝の光が欲しくて、家から近い宇治田原に早朝から出発する事が多いです。回数にしたら週に1度位でしょうか。もっと行きたいですが、用事が多くそうは行けないです。今の時期は本当は日の出が早いので5時に出発したいですが、寝坊の私は5時半または6時になる事も。いつももっと早く来れば良かった!と後悔ばかり。本格的に写真をやるなら4時出発がベストでしょう。現にそうしてられる方も多いです。秋なら6時出発で充分です。

もし家を7時前に出発とすれば、国道307は大渋滞!宇治から15分で宇治田原の入り口に到着ですが、そこからが車は渋滞に巻き込まれます。こんな田舎の国道がどうして?と思われますが、第二名神が開通して信楽ICに近いので、渋滞する様になったと思われます。それまでも工業団地があるし、また一号線の水口に抜けられるし、信楽を通って西名阪に出れるので7~8時だいは混んではいたけど、今程では無かったと思います。

早朝に出れば8時頃家路に向かっても反対方向なので助かります。だから絶対6時には出発しないとえらい事になります。ラッシュが済めば平和で、たまに農家の車や人に出会うだけです。大きな団地が2か所出来たので、小学生が多く、過疎化の箇所も少しありますが、人口は減ってないのでは、と思われます。

今は昔ながらの宇治茶のやり方で、茶畑の側面と天上に菰を一面に着せ、お茶摘みの人が手で摘む畑も多いですが、多くは茶の木の列にすっぽり菰を着せて、機械で刈込む方法が多くなりました。田んぼは茶摘み前に田植えをされます。茶摘み風景を撮ればいいのに、なかなか時間が許されません。

茶摘みが済めば、茶の木はすっかり刈り上げ、茶色で汚くて、撮影する気になれず、困った事です。夏は魅力が無くなるのは確かです。何処かへ出かけるしか無いでしょう。花も夏枯れといいますから、さて?




女性

2012-05-14 19:04:54 | 日記
神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼の為に、彼にふさわしい助け手を造ろう。」(創世記2章18節)

昨日の主日礼拝は母の日ジョイフル礼拝でした。母の思い出は優しい母、厳しい母、幼い時に召され思い出も何も無い方、事情で別れた方、人其々でしょう。また自分が父になり母になり感慨もひとしおの方もおられるでしょう。

助け手とは何もお手伝いさんの様なものではなく、女性がいなければ生きていけない程の大切な存在である。女性は助け主であり、男性にとってかけがえのない人である。男性だけでは人間として有り得ない。女性も男性がいないと有り得ない。体の違い、精神的な違いはあるが、似たところもある。だから神様は男女平等とされた。

しかしルネッサンスまでは聖書は印刷の技術は無く、手書きだった為、聖職者だけしか持たなかった。マルチンルターの宗教改革により、急速に印刷術が進化して多くの人々に読まれ、イエス様は女性を大切に扱ってられたのを知るところとなった。それまでの女性の立場は不利益だった。

今も不利益と思われる事が少しあるが、格差が減って来ているのは確かです。男性は賜物を生かし、女性は特有の賜物をしっかり把握して生きたいものです。何よりも神との関係をしっかり確立して過ごしていきたいものです。

牧師のメッセージを聞き、確かに男女の賜物は違うし、体も心も違う。その違いを思いやり、過ごす事がお互い出来たらと思いました。

プレゼント

2012-05-13 08:32:26 | 日記
主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。 (詩篇23篇1節)

昨日は母の日、今日は母の日礼拝。昨日は嫁がさり気なく母の日のプレゼントをくれた。やっぱり嬉しい。(*^^)v近年、そういう事しなくていいよ、と息子にも娘にも言ってあるけど、実は、、、昨日TV等で流れると、誰か母の日のプレゼントくれないかなぁ、何て思っていたのでした。裏腹ないい加減な私メです。

豪華なもので無くても心根を渡すって、いいものだな、と。嫁に実のお母さんにも渡す様に、と言いたいけど、多分渡してるでしょう。

今日は母の日の礼拝。聖歌隊で母の賛美歌を歌いましょう。ところで私は今だ体調はイマイチ。声が出ないかも。そして今日も寒い。変な気候です。
礼拝後、母と思える人にカーネーションを子供達の手から渡されるはず。子供の7いない夫婦にも渡されます。1本のカーネーションでも嬉しいものです。

母として充分な事は出来ず、恥ずかしい限りですが、子供の頃から思うに、随分生かされたものです。長く生かされてる、と思えます。感慨深いものがあります。

変な気候

2012-05-11 12:49:29 | 日記
むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(Ⅱコリント人への手紙12章9節)

大きな竜巻が起こり甚大な被害があったり、花粉や黄砂が飛んで来たり、雪被害、気温の著しい低さ。どうもこの天候には困った現象です。竜巻なんて外国のものと思ってましたが、この日本で!黄砂の時期は毎年体調が悪くなる。3月末か4月初めですが、今年は草木が遅れた様に今、調子が悪い。孫の小学校に変な風邪が流行りもらって来て、家族が移った。どうやら最後に私にも移ったのか、体がだるい。熱は出ないけど、何ともやる気が出ない。

黄砂も砂だけなら良いけど、色んなものが混ざってるのでは?午前は人と会ってましたが、午後はもうパス。夕食の支度まで寝るのに限ります。

傷ついた人々

2012-05-07 20:43:59 | 日記
この小さき者にしたのは私にしたのです。(聖書)

小さき者とは、、、知的障害者、精神障害者、だけとは言えず病を負った人、貧困に苦しんでる人、裕福でも多難で試練にある人。数えれば人間全てであるかも知れない。

私も今まで生きて、傷着いて来た者であったのですが、信仰により自分は幸いな者と思える。信仰が無ければ、かなり不幸な者でしょう。心からイエス様により救われ感謝です。

昨日も肉体的に病んだ、痩せて背中も曲がり、息も如何にもシンドそうな方が久し振りに見えた。聞けば入院していたとか。この5年入退院の繰り返しです。彼女は頭脳明晰で兄弟も学者ばかりとか。でもそれが誇りなのでしょう。今まで色んな役職を持ち、活躍して来られた。それがこんな姿に、、、

神様を求めてられるのですが、頭の良い為に、ガードを作り、回りの人と比べたり、世の色んな柵に取りつかれてられる。余りにも可哀そうで、他の姉妹や、牧師と話を聞くのですが、歩くのもやっとで、神様を求めハーハー息も荒く教会へ来られるのに、心の壁を取り除けられない。

家へは私が車で送って行きました。どうして奉仕して、自分の時間を削るのか、そして体力もないのに、と思われるしょうが、健康が守られてる限り主の御用をして行きたいと思ってます。明日は我が家で家庭集会です。色んな傷を背負った求道者の方が来られます。全ての人は傷を持ってるのですから。

自分史

2012-05-04 13:06:50 | 日記
地には花が咲き乱れ、歌の季節がやって来た。山鳩の声が私達の国に聞こえる。(雅歌2章12節)

ゴールデンウイークの真っ最中。お出かけの人が多々ある事でしょう。私達は年中GWでしょうか。昨日もやはり近場で少し撮影したいと思い、宇治田原へ向かいましたが、車の多いこと!それに茶園も田んぼも今は1番忙しい様子。GWには子供を手伝わせて一気に農作業を片づける為と思います。

今日は家の片づけへ。12年前、親を送り、息子の結婚に備え、親の家を改造して私達夫婦が隣の家から引っ越した。私達の家は息子夫妻が住んだ訳です。改造には介護の経験と私達の希望により、1階をバリアフリー、1階に個々の部屋には自分の衣装、書籍、その他持ち物を全て入れ込むコーナーを着けたいと希望し実現。お蔭で狭いけど快適な部屋になったと思う。親は高齢になれば2階にはめったに上がらなかった。その教訓がありました。

私の部屋は教会の書籍、お宝書籍(宝塚)、写真のポジの整理、それに衣類、その他。しか~し、この5年前からカメラもデジタル化して、お宝をかなり処分し、その中へ段を造り、プリンター、スキャナ、ラジカセ。書棚の中も大整理した。プリントの本、カメラの本,
パソコンの書類。いくらもの草の私でも、乱雑では困る。何といつも教会用のカバン等3点が書棚の中へ入った。まだある。同窓会の幹事や写真集を出したのだった。それは他の書棚に整理。

12年前にはこれでいつまでも快適と思ってましたが、変わるものだと感心。デシタル化して、それも急激な進歩。着いて行くのに無い知恵絞って、挑戦したものです。その証の歴史の様な気がします。洋服やタンス、書棚のコーナー以外は6畳も無い部屋。そこへベッドを入れたら、狭い事!小さなホーム炬燵も入れます。外付けHDはキャリーの着いたデスクです。そうでないと洋服箪笥が開かない。それでも私のお城です。