日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

昔の人々

2012-07-28 23:03:54 | 日記
平和を作る者は幸いです。その人達は神の子どもと呼ばれるから。(マタイの福音書5章)

南越前町の蓮を撮りに行った訳ですが、知人に北国街道があって、そこは興味惹かれるものがあると教えられました。高速ばかりで行っても面白くないと判断し、木の本から一般道である北国街道を探しながら、この道だ!と思い山中へ。車の通りも少なく涼しく快適です。

宿場町が多く点在するとネットで調べても書いてあり、いったい何処にそんな集落があるの?と聞きたい位、家が無いです。ねむの木が多く、単調になった山に色を添えてます。紫陽花もまだ綺麗。目的の今庄に20分とナビに書かれて来た頃、板取の宿と看板が!道路から少し入ったとこに関所跡があり、茅葺の珍しい建物が6軒程あって、まだ住んでる人もある。畑でお婆さんが農作業され、若い家族の住んでる家もある。

しかしこの旧街道は狭く、坂も多い。昔の人は日本海から物産を運んだのでしょう。馬力が現在人との違いを感じます。妻籠や白馬にも有名な宿場町があったから、日本全国沢山あったのですね。生活やご苦労が伺えます。

少し走ると「夜叉が池」の矢印が!ドラマや映画になった事を思い出し、つい行ってみようと言う事になる。深山の中のイメージがですが、車で行ける気がして、向かうが案外遠い。
舗装してない道路にも入り、ようやくガレージへ。何と沢山の車が駐車してある。

しか~し、登山がそれも長くかかりそう。夜叉が池という名前も少し不気味。標識には泉鏡花の小説の舞台になった、幽玄の世界を描いたものらしい事が記されてます。樹齢400年の大きな木もあった。登山なんて細い道で鬱蒼としている。諦め、今庄へ行く事に。着けば何とこの暑さ!
でも変わった道キャッチ出来ました。

花蓮を求めて

2012-07-25 13:36:39 | 日記
いつかは知らねど 主イエスの再び この世に来給う 日ど待たるる その時聖徒は 死よりよみがえり われらも栄の 姿とならん (新聖歌465)  

23日24日と福井県の花蓮公園へ行きました。お世話になった某さんを御礼の為と私達も蓮を撮りたい為です。木の本から北陸へ向かう昔からある北国街道には宿場町もあり、そこに茅葺の家も保存されてると聞き、高速を避け向かいました。かなり標高も高く、車もめったに会わない道で涼しく快適でした。丁度ねむの木が沢山咲いていて、日本にも沢山あるのだ、と確認出来ました。集落と言っても極少ないもので、中には板取の集落は昔の茅葺と関所の跡があり、興味をそそる箇所です。明治維新の頃は53軒もあった家が6軒程保存してあり、1軒はまだ住んでられます。案外若い家族がおられ、福井へ買い物に出かけられるとこでした。

花蓮公園へ着けば、標高が低いのか暑い事!蓮も午後になれば日の光でしょ気てます。撮っても仕方なく、宿へ。体は汗まみれ。直ぐ温泉へ入って、すっきりしました。夜の食事は蓮料理?がメーンでなかなかのもの。某さんも一杯飲んで上機嫌。私達はお酒は飲まないけど、グラスに少し飲む。冷えたビールは少々美味しいとは思う。

翌日は早朝、起きて蓮風景から撮る。山があるので、ブルーの世界です。日が出てない時はブルーで好きです。段々人出も出て、蓮の花も開いて来ます。蓮花は3日の命で、長い間土の中で鋭気を養い花を咲かすのでしょう。年中被写体として面白いですが、1度だけ冬にここへ来たいと思いながら、実現出来てないです。7時半に切り上げ、朝食へ。暑くて撮ってられないです。

もう蓮は暑いのでこれだけにして、長浜から琵琶湖沿いを帰る事に。尾上は竹生島が見え、いつも美しい!琵琶湖の夏を楽しみ大津へ(本当は暑くて、楽しめないです。)ここで昼食を取、宇治田原から帰りました。高速を余り通らず、自然の中ばかりでこれも良いでしょうか。しかし暑かった!

上の聖歌は天に召された父母を交えての集会でいつも歌った聖歌で、真白き富士の嶺、のメロデイです。

結婚

2012-07-21 08:21:00 | 日記
日の下であなたに与えられたむなしい一生の間に、あなたの愛する妻と生活を楽しむがよい。それが、生きている間に、日の下であなたがする労苦によるあなたの受ける分である。(伝道者の書9章9節)

暑くなりました。皆様は如何お暮しでしょうか。

神様は結婚による祝福を約束して下さってるのに、TVのワイドショーやマスコミで結婚、離婚、姦淫etc,,,と賑わしている。罪人である我々人間が一生良い結婚生活を全うするのは何と難しいのでしょう。

裕福な家庭は姦淫や財産の争い。貧しければ生活の労苦で争いが。また健康のこと、性格や子供、言い出せば限りなく労苦がある。相手を思いやる程大切な事は無いのですが、それがなかなか出来ないのでしょう。

父親や母親が姦淫を絶えず犯す家庭で育った子供は、結婚に希望を見出せず、独身を通す人が案外多いとよく耳にする。それ程傷付き、人生に絶望するのでしょう。修羅場を目にするのですから当然だと思います。

人生色んな問題があり、一生の内1度は離婚を考えた方が多くを占めると思う。私も過去にそんな時がありました。

もうこの年になると諦めてしまって、、、よく考えれば神様から与えられた夫であり、私も罪人であり、足りないものばかり。子供達二人は仲良く結婚生活を過ごしてるので感謝です。今のところ離婚を考えた事は無さそう。主を怖れ、主と共に歩むーこれ程大切な事は無いでしょう。大切な教訓です。

今朝は爽やかさを覚えますが、日中の日照りは厳しそうです。

Nちゃん

2012-07-18 08:55:30 | 日記
あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ない内に、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。(伝道者の書12章1節)

赤ちゃんだった孫のNちゃんも走り回る様になった。人見知りが激しくどうなるのだろう!と思ってましたが、どうにか落ち着いた様です。でも戸棚の扉を開け無い様にロープを張ってます。ママは大変だ。

お兄ちゃんは塾もあり勉強が忙しくなって、余り遊んでくれないけど、土日は遊んでくれます。日曜学校はお兄ちゃんが乳母車にNちゃんを乗せ、教会まで連れて行き参加します。何にも解らないけど、その場にいるだけで良いでしょう。歌が好きだし、お菓子も貰えますから。

お兄ちゃんは納まった子だけど、性格は違って面白いものです。アー!とかウー!とか煩い事。近所迷惑かも。夏場で窓を開けてますから。「すみません。」と近所へ謝りに行かんならん位です。パパが最も好きで、帰って来たら「パパ、パパ。」とまた煩い事!そしてパパに怒られたら最もしょげてしまいます。

私はお兄ちゃんの時はよくお守りをしたけど、Nちゃんはシンドクて!重くて腰痛があるので、出来ないです。年ですなぁ。ママが週3回仕事に行くのに、Nちゃんを連れて行くから夕食を作るのがせめてものサービスです。

善人と悪人

2012-07-15 14:26:48 | 日記
私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。(ローマ人への手紙7章19節)

今日は病気の方へ訪問する為、少し歩いても汗がボタボタ。日本の湿気も梅雨後期の大雨には各地で被害も甚大で参りますね。

ある本に聖書にイエス様が当時、罪深い者とされていた取税人であるレビと食事をされ、善人とされていた律法学者に「イエスは罪人の取税人と食事をしている!」と批判された。
そしてレビは救われ、罪を悔いイエスに従う者となった。

私は学生時代というか出身校は本願寺系の仏教の学校で、週1度仏教の授業があり、高校3年に親鸞聖人の「歎異抄」を習った。そこで悪人ならこそ救われる。また南無阿弥陀仏を唱えれば極楽へ行ける、と言われ、そんな位で行けるものか!と思い、全く信じられなかった。

聖書を学ぶ内、善人も悪人も同じであり、区別出来ないものだと解りました。人はつい自分は悪い事はしてない、と思い込み、「あの人は、、、」と見降してしまう。この世の権力者は、自分こそ正しく立派だ、と貧しい人や、仕事においても差別する。この世に善人は一人もいない。

空海も中国で聖書の影響を受け、救いの為、阿弥陀菩薩を作った。何らかの影響でしょうが、親鸞上人は凄い人だな、と思う。そこまで悟りを開いたのですから。この世は悪人(罪人)しかいないです。唯罪を悔いないでイエスを信じないで、極楽(天国)はとても行けない!

当時の律法学者やパリサイ人(権力者)は私は貪欲でなく、不正はなく、姦淫はせず、献金も捧げてます。取税人の様な罪人ではないです、という。取税人は、神様私の罪を御赦し下さい。と胸を打ちながら言った。義とされたのは取税人でした。




高齢者の救い

2012-07-13 08:29:31 | 日記
招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。(マタイの福音書22章14節)

TVで宣伝される運動用具を夫が買い、私も日に1度やってみましたが、以前から腰痛があって、緩和されるかと思ったのですが、余計痛くなりいつものリハビリへ。牽引にマッサージをやってもらったら、午後眠くて!昼寝も夜も熟睡したら、体が温泉でも入った様に軽くなった。320円のリハビリもよく効くものです。

1昨日は年長の求道者の方は私と同じ農家へ嫁いだ方。牧師から学びを共にする様に言われ、月1度我が家へ来て頂きやってました。その中間でその方が信仰告白され嬉しい事でした。最後の学びでしたが、よく信仰が成長されていて、嬉しい驚きでした。学びといってもテキストがあり、共に学ぶ形式ですが、私も信仰の基礎を忘れている面が解り、私にも恵みでした。

一応予習をして、私なんか伝道というかお伝え出来るのかな、と心配もありましたが、楽しく学べました。後でお互い今まであった事を話、共感出来るものも多いです。田舎で農家は因習が多く、まして資産家へ嫁ぐのは並大抵で無かったでしょう。御姑さんもおられ、複雑な家庭でしたから。遺産相続もあります。末娘さんがクイスチャンになられ、凄く反対されてましたが、でも事情でこちらへ単身来られ、娘さんの近くで一人住まいですが、今が1番気楽で幸せと思います。(若い時はOLで普通の生活でした。)

一人の魂が救われるのは、如何に難しいか。これも主の御心ですから、ちょっと私がお手伝いさせて頂きました。予習や時間も取られ、犠牲はありますが、喜びは数倍です。

移り行く蓮田

2012-07-10 20:40:17 | 日記
わたしが世にいる間、わたしは世の光です。(ヨハネの福音書9章5節)

季節の花も撮っておきたいと思い、昨日は宇治市の南部、城陽市の蓮田へ行った。この14年程毎年この時期になると行きます。でも近年は花より蓮田の葉や水面が面白く、それを狙います。水面には若葉色の藻が美しく、茎や葉のコラボが絵になります。

着けば肝心の水面の藻が無い!いつもこの田んぼが御贔屓で、撮らせてもらっていた。この5年、年を取られ、重労働の蓮の栽培が出来なくなったのか、殆ど手入れされず野放し状態だったので危惧はしてました。

今年は経営者が変わったのか、田に若者2~3人、蓮の蕾を刈り取ってられる。多分盆のお花に出荷の為、冷蔵庫に保管して出荷されるのか?歩いてばかりなら藻も壊れ、蕾を早くも刈り取れば花も咲かないでしょう。田んぼが草に覆われ、破壊されるよりましです。

思えば10年前まで、この一帯は素晴らしい花々で田んぼは覆われていました。余りの美しさで感動して、夏の間何回か来たものです。夜明けの蓮は花びらがピンと立ち、朝日に照らされ、美しさに打たれ夢中で撮ったものです。また雨の翌朝は特に滴も美しく、中には良い写真が撮れました。

しかし後継者問題や利益の少なさ?で段々廃れて来ました。花も肥えの少なさで小さく、色も悪くなりました。それに面積の全体にあった茎も段々無くなり、哀れな歯抜けの田に変わりました。中には草に覆われ、破壊され廃田になった田もあります。でもまだ熱心に手入れされた田もあり、希望が持てます。

人も自然も変りますが、身近な被写体が変り残念です。




今の生活

2012-07-07 21:12:52 | 日記
人は長年生きて、楽しむがよい。だが、やみの日も数多くあることを忘れてはならない。(伝道者の書11章48節)

自分の人生を振り返ると、子供の頃はやはり親の保護の元、頼って気楽なものです。中には親に早く別れ、子供らしく過ごせない方も多くあるでしょう。学生時代は私の場合は楽しく過ごせました。でも風邪もひき、ある部分が辛く決して丈夫では無かったです。

人は結婚を堺に変わるのでは?一生何の蟠りも無かったと言う方は極少ないと思います。諸々の事情が出るのは多くの方が体験する事でしょう。まして親と同居では。

今の私は隣に息子の家族が住んでますが、夫婦二人です。夫は本来丈夫で、動いていないと気が済まない人。庭の手入れや山野草の世話と写真を生きがいにしています。でも~仕事を辞めたから、台所に立つのが大好き。随分私は仕事を奪われました。物臭な私には丁度いいでしょうか。

夫は夜6~7時に寝ます。朝は4~5時に起きます。何も用事も無いのに私も共に起きるなんて出来ない。私はやはりTVも見たいし就寝は11時になります。だから朝食は夫の係り。ライ麦パンにインスタントですが、カフエオーレ、果物を豪華に入れた野菜のサラダ付き。私は美味しく頂かせてもらってます。昼食や夕食は私の係り。まぁ手抜きが多い。

でも~私は奉仕もあり、案外忙しい。その間撮影もある。週2度は嫁が働きに出た時は夕食を作って上げる。我が母は私が疲れて帰って来ても作ってくれなかって、その苦労が解るから。また雨の日は孫が塾へ行き出したので、送る。

几帳面な夫が台所に立つ様になって、ピカピカ。月1度の薬を頂きに行くのも、送迎。「自分はお抱え運転手や。」と言っている。しか~し家の重要な事は皆私に来る。変な関係。
でも前の事を思えば幸せです。幸いな時も裏に試練が隠されてるから、いつも祈ってなきゃ。

介護

2012-07-05 18:58:47 | 日記
みことばに心を留める者は幸いを見つける。主により頼む者は幸いである。(箴言16章20節)

先日に80代のK御夫婦の奥様の方が肩を骨折され、入院されたが近い内に手術とは聞いていた。今日の集会の後、御主人も弱さを覚え、色んな手続きが出来ないとの事。牧師が代わりに行かれた。一人娘さんは別に住み、教師をしてられ、家族を持たない方なので、これからの大変さが想像出来ます。

今の時代介護する方の年代は50代、60代でしょうか。これは人によりますが、私は両親に子が恵まれず、遅くに生まれた為、40代50代が介護だった。子供の頃は年配の親だったので、嫌だったけど、介護の年代が若かったので良かったと思えます。

子供が小学生の頃は近所の病院に母が入院したので、オマルの汚物を流しに行ってくれたものです。今となってそんな経験をさせ良かったです。18年という長期の介護でした。入退院や自宅で療養の期間が8年はありました。その間、医療法も変り、夫は根が他人だから余り役に立たず、子供も勉強、そして卒業、就職、結婚と状況は変わるものです。幸いに最後は遠いけど、良心的な病院で過ごしました。入院しても家族は色んな手続、定期的な見舞い等気持ちは休まらないです。

K夫妻の娘さんは仕事もあるし、家族が無いので如何ばかりか。一人子はやはり親に対する格別の思いがあるでしょう。幸いクリスチャンなので、主により頼んで行かれる事と思います。今日の御言葉で、苦難の時には祝福も備えられていて、祝福の時にも苦難が備わっている。それらは我々への訓練の場でしょう。決して悲観せず信仰に硬く立って行かれる事を祈りたいです。

ハレルヤ コーラス

2012-07-02 19:11:09 | 日記
今日まで来たのは 主の恵みなり 尽きせぬ主の愛 言い尽くし得ぬ 夜昼 主の御手 日々守り給う すべて主により なさしめ給う (新聖歌331)

毎日蒸し暑く、間もなく真夏がやって来ます。我が教会は2~3か月後に40周年記念行事があり、その準備に係りの人は忙しい。聖歌隊を中心にヘンデル作曲の「ハレルヤ」のコーラスを捧げる事になり、礼拝後その練習がある。私は2度練習に他の用事があり参加出来ず、長い曲に戸惑いますが、何とか着いて行けそう。美しいメロデイーには感動します。

40年前、宣教師の開拓により建てられた。当地に引っ越して来た時既に教会があり、宣教師にはお子さんが多く、白人の子が多くこの町にいるなぁ、と思ったものです。その後日本人牧師になり、その頃私は教会の門を潜りました。当時乾ききった私の心に主の御言葉が、砂漠の砂に水が浸み込む様に入り込みました。心満たされ、喜びが満ち溢れました。平安と喜び。我が人生に過って無かった大きな出来事です。今まで守られ、信仰の道を歩んで来れた事、感謝で一杯です。

全員にアンケートが配られ、記念誌に載せられる様です。クリスチャン生活は30年になりました。「あれ、もう2年経った。」と思っていたのが年月の早い事。40年の間に二つの開拓教会が生み出され、それぞれ祝され喜ばしい事です。今も我が教会は礼拝も多く集まり祝されています。しかしここまで来るのは宣教師、牧師、教会員の労苦がありますし、喜びも多々あります。宣教師の先生は初め誰も来なくて、もう辞めよう、とよく思われたとか。先生初め多くの方々の奉仕に支えられて来ました。

思えば旧約聖書の時代(紀元前)から、キリストの降誕からの新約聖書の時代へ約5千年の間、多くの犠牲により、私達が救われたのです。勿論主の導きです。中には殉教された方々も多く、救いは如何に尊いか、感無量です。