日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

希望

2013-06-19 09:40:17 | 日記
いつまでも残るものは、信仰と希望と愛です。その中で1番優れているのは愛です。(第一コリント人への手紙13章13節)



昨日は我が家で月1度の家庭集会でした。この日を楽しみにして下さってる方も多く、恵みが溢れてるのも確かです。私は場所を提供してるだけですが、主の導きにより成されてることを感じます。

コリント人への手紙の有名な箇所を解りやすく語って下さいました。自分は正しい、清く生きていると思い生きて来たが、全く清いどころか、醜いことばかり。悔い思い直すことばかりです。主を信じる事により、自分が解り、それにより希望が湧きます。(永遠の命、天の希望。)生きるに当たる目標と真理が解って来る。そして人への愛が少しづつ解り、示され、少しでも手を差し伸べよう、という気持ちになる。完全には人は出来ないけど、少しづつその様にさせて頂ける。
愛、、、男女の好き嫌いの愛では決してない。自己犠牲にしてでも、その方の気持ちになり、聞いて上げるとか、手伝いしよう、と思う気持ちです。マダーテレサの様にはなかなか出来ないけど、少しづつその様に変えられるのは何と言う感謝でしょう。

先日のM姉は最後までどんな苦しい息の中でも希望を失われなかった、という実情から、そんな自分でありたい、と皆思いました。家庭集会では信じたばかりの方や、まだ信じてない方もおられる。殆どの方がキリスト教式の葬儀をやって頂きたい、との申し出。中には信じていても、夫が救われてないので、お墓の関係で悩んでられる方もある。でも墓や子孫は関係ない。自分がキリストを信じたかで良い。神様はそこだけを見てられる。

先生、私が死ぬまで教会の牧師でいて下さいね、と頼む方があったり、未信者の方は「キリスト教でやってもらうには、どんな条件が必要ですか?」と尋ねる方もあった。「まずキリストを信じる事です。でもこうして何回も教会に来て下さってるから、葬儀はキリスト教で出来ます。」と牧師が言って下さった。

我が家の両親の葬儀は近所の皆さんや、親戚の方々が「良い葬儀だった。自分もこんな葬儀をやってもらいたい、と異口同音に言って下さって、恵まれた事をお証しました。


最新の画像もっと見る