日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

撮り直し

2013-08-31 16:00:10 | 日記
陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。(箴言17章22節)



1昨日の蓮田はどうも納得出来ない。もう1度撮り直しに行かなきゃ!と思ってました。今朝、夫が「晴れていて、星が綺麗だ。月も出ている。」と言うものですから、パッと起き上がり、食事をする。4時過ぎです。土曜なので近所は皆さん、夢の中でしょう。曇りの予報が晴れ。5時過ぎに出発。





日の出前で良い雰囲気。昨日の雨で滴の多い事。しかし初秋らしく渋く撮るのも難しいです。まだ感性がありません。感動はしてもその表現の難しいこと!





日が出て来た様です。前の学校の窓が赤いです。もうこの場所で日の出を撮ろう。一期一会です。案外面白い。



葉の穴から花を覗かせました。



草むらに移行した花をパチリ。色々撮ってる内に、靴は泥。スパッツもドロドロ。頭も皆汗ビッショリ。今日は湿気が多く、汗まみれの撮影でした。プロカメラマンとバッタリ。夏の猛暑の日でも来てられるとか。2日間でも大変なのに、凄い。

侘び寂び?

2013-08-29 18:08:19 | 日記
まことにあなたの目には、千年も、きのうのように過ぎ去り、夜回りのひとときのようです。(詩篇90篇4節)



今朝早くに、城陽の蓮田に連れて頂きました。丁度太陽の登る直前です。蓮田は花はまだ咲いてるものの、全てが汚くなり、枯れて来ています。でも蓮は枯れたのも趣があり、テーマは侘び寂び。しかしそれを表現するのも難しいです。人生と重なる蓮。自分の感性の無さを反省。



太陽が登りました。これも大変難しくて、もう少し落ち着けば良かった!



影が出来、それも面白いかも。





まだ蓮は11月まで被写体として、面白いとか。いつも6~9月初めまでに終わってしまう私です。というのは紅葉や、柿、に色んな被写体が溢れて来ますから。もう1度来て、落ち着いて撮る必要を覚えます。


アンドレア シェニエ

2013-08-27 09:14:45 | 日記
人の日は、草のよう。野の花のように咲く。風がそこを過ぎると、それは、もはやない。(詩篇103篇15節)



あの夏の猛暑は越え、初秋の涼しさがやって来ました。湿気が体に纏わりつかず、爽やかで気持ちが良い。昨日は夏休みももう終わり。新学期になれば、奉仕も孫の少しばかりの世話、また撮影が待っていて、忙しい。今の内!と思って、宝塚の花組を見て来ました。またトップの蘭寿さんが、もし急に止められたら惜しいからです。12,3年の脇役を経てやっとトップになりますが、その期間は、以前は4年間位、今じゃ2~3年間でしょう。輝かしいトップは憧れを一身に浴びて輝き、多くのフアンが詰めかけます。人々の夢が集まります。5組もありトップは5名。これはオシャレな宝塚の町です。



おなじみのテラスです。テラスの傍は武庫川が流、向こうはマンションにホテル。簡単な食事をして大劇場の席に着く。当日券だから2階の7列センター。出し物はフランス革命の最中、貴族の館へ民衆が入り込んで来てからです。そこに詩人シェニエがいました。これは実在の人物です。彼と貴族令嬢の恋ですが、革命後、貴族は滅んで行きます。フランス革命後、民主化されたかに見えますが、恐怖政治になり、罪のない人々が多く処刑されます。聖職者、文人、etc,,,シェニエも貴族令嬢だったが貧しく、暮らしていたマッダレーナも共に処刑されます。平和を勝ち取るのはどこの国も犠牲が多いものですね。



ショーは過ってのトップでしたが、今は振付家のanzyuさんで、御贔屓だったNさんを彷彿とさせるものがあり、カッコ良く良かったです。客席は満杯。月曜なのに?



終演後のロビーです。
美しくカッコ良い舞台と宝塚の雰囲気を充分味わい、満足して家路に着きました。

八重の桜  兄、覚馬

2013-08-25 20:57:14 | 日記
自分のことだけでなく、他の人のことも顧みなさい。(ピリピ人への手紙2章4節)



今日の礼拝のメッセージは新しい方を招き、解りやすく聖書を語って下さるのですが、私が旨く纏められるかどうか、、、NHK大河ドラマ「八重の桜」の八重の兄、覚馬を中心のメッセージだった。覚馬は戦いで脊髄損傷と目が殆ど見えない状態で、幽閉されていた。獄中から会津を穏便にと嘆願書を出している。またこれから日本が外国と接するに関し、日本の有り方の書類を日本政府に提出し、会津にこんな人がいる!と認められ、京都府庁に大事にされ、知事のアドバイス役として採用された。

首都が東京に移り、京都が本当なら廃れる一歩だったでしょうが、織物、陶芸、教育に尽くし、日本で初めて、小学校を政府より3年も早く64校、中学、病院、万博と作って行った。
京都は古いものを大切にするが、率先して新しいものを取り入れる。その習慣は覚馬の導きで、京都の恩人です。このことは案外知られていない。これは反骨精神だけでは出来なくて、人の役に立つという前向きな姿勢でないと出来ない。イエスキリストの精神である聖書との出会いと、信仰から来ている。

新島襄との出会いにより同志社設立の為に奔走する。ここに4つの聖書からの御心を書いておきます。

★ 法律は人間の外面に接しられるが、内面に接しられない。キリスト教だけが、人間の心に触れ、活気つけてくれる。薩摩、長州は中央政府に入っていったが、腐敗していく。人は自分の利益の為に生きる。

★ 道徳だけでは人間は変えられない。人より良いと思われたいのが人間。

★ キリストという模範がある。その模範に学びたい。自分を無にして、仕える者となって下さった。
十字架の刑まで従われた。

★ キリストが助けて下さる。信頼して、安心して生きていけば、他の人をも顧みる生活が出来る。

NHK放送なので、宗教色は極少ない表現かと思ってましたが、案外多く表現されている様です。


1本の電話

2013-08-23 09:10:50 | 日記
苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。(詩篇119篇71節)



昨日、従妹の養子の嫁から電話がありました。故郷の村には父の姉と妹が嫁ぎ、従妹は妹の方です。この嫁は姉のN叔母の孫なんです。だから親戚同志の孫が恋愛で、結婚した訳です。

私が法事の贈り物をした御礼の電話でしたが、今までの義母に当たる従妹について語ってました。結婚前の義母は優しさを見せていて解らなかったと。新婚旅行から帰り、翌朝グサーとした事を言われ、”えらいとこへ来てしまった!”と嘆き、その言葉は忘れない、とのこと。ミュージカルで「エリザベート」を見ましたが、エリザベートが結婚してから、義母に大変な苛めに会うのと似ています。

恋愛中はそれが若さもあって見抜けなかったとのこと。そんなものでしょう。若い時は解らない。私達はそれが充分解っていて、あそこへ来る嫁さんは!?誰と解った時、本当に飛び上がる程びっくりしたものです。よく辛抱したね!貴女だから務まったのよ。これからは思いっ切り静かに、楽しく暮らしてね。と労いの言葉を伝えました。今迄の口に出せない苦労もこの人の益になるでしょう。



何か急に寂しさを感じます。移転して37年。この30年程は故郷の事は嫌で思い出しも余りしなかった。住んでいた家の近所の方はよく出来た方だったが、親戚が3件、口煩く難しい性格の人ばかりだった。そして村独特の風習。出て良かった!それは凄く感謝してます。でも今回の従兄弟の死により、煩かった全ての人は世を去った。残った方は温厚な方ばかり。3件ともそう!これから良いお付き合いをしたい方ばかり。また私の事もよく解ってくれてる方です。でももう、結婚する子も無く(小さい)葬儀は分家位です。もう私達の葬儀してもらう時、誰かが来てもらい位でしょう。

世は変ります。人も変ります。昨日は寂しさを感じたけど、私も家族があり、また教会の兄弟姉妹と言う霊の姉妹が多いです。息子家族も娘家族もクリスチャン。私は以前の苦しみも解放され、何という恵みでしょう。故郷の世を去った方にイエス様の事を伝えられなかった、悲しみがあります。そこに私がその方達を愛せなかった事を悔いますねぇ。また周囲に教会もない田舎ですから、お誘いも出来なかった。悔やまれます。


法事

2013-08-22 09:11:34 | 日記
主よ深い淵から、私はあなたを呼び求めます。(詩篇130篇1節)



昨夜は7月初旬に亡くなった従妹の法事でした。行くまでは嫌で嫌で仕方がなかった。何故でしょう?家から車で20分程の距離ですが、私はその村で生まれ育ち、余りにも因習深い村で、環境の良いとこに住みたくて、500年続いた家を捨て、宇治に移転した訳です。だからどうしても昔の人達の古い考えや風習に着いて行けず、イメージが悪いのです。

従妹は父の妹(叔母)の娘で同じ村です。叔母も多弁で、従妹はまたしっかり者で多弁。一人子で婿養子を貰っても、またその婿も多弁。そして大きな声で真ん中で喋っている人。オッカナイ。小さい時はそのかなり年長の従妹に怒られたし、ズキンと来る言葉をよく浴びた。今から思うと、従妹は頭が切れるので、両親に信頼され、言葉の注意もされず、言いたい放題がまかり通ったのだと思います。子供が出来ず、父方の従兄弟を2歳の時、養子としてもらい育てたけど、果たして母性があったか?

法事の行は夫に乗せてもらっいました。人数が案外少なくて、だいぶ村も改良されたかな。知ってる人もあり、良い交わりもさせて頂いた。私はクリスチャンですから、こういう仏事は戸惑うけど、この家族にある程度合わせ、人との交わりを大切にしています。坊さんが帰られ、33か所の詠歌が始まりました。これが眠くなる程長い!途中で遠いので帰らせて頂く事に。タクシーは来ないとのこと。そりゃ畑の中を漕ぐって来るのですから。従妹の孫娘に送ってもらう事になりました。

孫娘の話では、私が従妹の晩年、よく手紙や電話で励ましていたのを、喜んでいたのを見ていたと。思えば従妹も晩年はあの性格ですから、孤独に苛まれていたのだと思います。それが解るから私は電話で、クリスチャンとして、聖書から学びますし、カウンセリングの本を読んだ事もあるので、話だけでも聞いて上げようとよく電話での交わりを持ちました。ウンウンと聞くだけですが、輝子ちゃんだけは私の事を解ってくれる、と孫に言ってたとのこと。聞くだけでしたが。好き嫌いなら従妹は嫌いで、とても交流は出来ないけど、神様の御心は違いますから。

孫娘も家庭内で苦労したでしょう。私も若い頃、従妹の家に誰が嫁に来るだろう?と思ってたら、○○家からと知り、飛び上がってビックリしたよ、と孫娘に言ったら大笑いになった。本当にあの3人の中へ嫁に来るのは如何ばかりか、相像出来ます。まぁ誰でも何かは苦難はありますが。

多弁で難しい3人も世を去り、周囲も代変りしました。村も段々変ったかも?もう穏やかな人ばかりになり、行きやすくなりました。しかし益々代が変り、もう行く事も無いでしょう。これが最後かも解りません。少々の寂しさも感じます。分家だけは息子が引き継いで行くでしょう。


八重の桜

2013-08-19 09:04:20 | 日記
神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。(使徒の働き28章28節)



NHK大河ドラマ「八重の桜」もいよいよ佳境に入って来ました。私は時代劇は嫌いで、初めは見るのが億劫でしたが、話題に出て、仕方なしに見てましたが、段々面白くなって来ました。会津の城が陥落し、山本覚馬が生きていると知り、八重と母と姪の三人が京都の兄覚馬の家に身を寄せるようになり、女紅場(女学校)教師として活躍する様になった。

兄覚馬は近代日本の礎となった人と聞く。京都での戦いでやられ、全盲となり、体も殆ど歩けなかった様。これから八重と同志社を建てた新島襄との出会いでしょう。八重はどの様に変って行くのか楽しみです。

ダビエルは日本で初めてキリスト教を伝えたとされていますが、カトリックです。残念ながら権力者は神の前で人は平等で、民主主義を唱えるクリスチャンは、権力を脅かされるかと、怖れます。禁令が出て、多くが殺されました。主は言われる。私の名にあるものは迫害を受けると。しかし人は皆死にます。キリスト者は天の希望があり、死んでも生きるのです。これは信じられるかどうか、で道が変るでしょう。

いつも思うのですが、権力の象徴の様な御所の近所に、キリスト教の学校、同志社をよくぞ建てたものです。その勇気に感嘆。また平安女学院も近所です。新島襄さんの住んでいた家は保存してあり、確か
新島会館?だったと思いますが、拝観した事があります。驚く程あの時代にしては近代的な建物で、トイレも台所も今のものを少し古くしたような感じです。

八重さんは戦国の勇姿から、どの様に日本で初めての牧師夫人に変えられるのでしょう?


百日紅

2013-08-17 10:06:00 | 日記
主よ、あなたは私を探り、私を知りつくされました。あなたはわが座るのをも、立つのも知り、遠くから我が思いをわきまえてられます(詩篇139篇)。



酷暑の続く毎日。庭の花々も少しばかり、ベゴニアと名前不明の花があるだけです。山野草があんなに咲いていたのに、深い緑の葉っぱが出てるだけです。松も葉が出尽くしました。槇の木がありますが、鬱蒼として来ました。唯、百日紅の木だけが今が盛りとピンクの花を着け、大空に向け咲いています。夏の花の無い時期に華を添えてる様に見えます。

この百日紅は近所の木が大好きで、剪定も本職以上にお上手な御主人から20年位前に頂きました。もう幹も太くなって、立派な木になりました。我が家だけでなく、芽を出して、多くのお宅にプレゼントされるので、通りは百日紅が並び綺麗です。

毎日グータラして、久し振りに庭にある花だけほんの少しパチリしました。カメラは腐ってなかった。
何でもいいからカメラを持つのはスカッとします。明日位からグータラはいい加減止めて、動かねば!






日野原重明先生

2013-08-14 09:07:51 | 日記
喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。(ローマ人への手紙12章)



昨夜の朝日新聞の夕刊のTOPに、聖路加病院メデイカルセンター理事長の日野原先生の記事が載っていました。「101歳から 小さな君へ」というタイトルで、心打つ文に感動しました。小学校の10歳の子にこの10年間に200回超える程、授業として出かけられた。

東京大空襲での惨い体験や、父親は広島の原爆病で亡くなった、その体験を通し、先生は子供達に語られる。10歳になればよく理解出来、大切とのこと。明日は終戦記念日。戦争を語る人も少なくなった。

戦争で焼け野原になり、武器を捨てて平和な国になるために、今の日本の憲法はできた。平和を守るための憲法を変えることには、NOと言う大人になってほしい、と。

先生は語られる。時間は自分の為に使っていいのだよ。でもね、自分の命と同じように、人の命も大切に出来るような、自分の時間を誰かの為に使えるような、そんな大人になって下さい、と。

101歳で現役とは驚嘆しますが、先生は神様の御心を日々伝え、実践してられる、と尊敬の念を抱きました。


孫達

2013-08-11 21:30:09 | 日記
ある日イエスさまに聞いてみたんだ どれくらいぼくを愛してるの? これくらいかな? これくらいかな? イエスさまは黙ってほほえんでる (新聖歌483)



昨日は娘家族が来たので、総勢9名。まずお好み焼き屋さんへ行きました。皆が好きだからいいか。もうよく食べること。飲み物にお好み焼き、プラス焼きそばも。孫は13歳7歳2歳。2歳の子も保育園へ行って、随分人馴れして、面白く可愛くなった。ヤレヤレ。それまで人見知りして、泣いてばかり。どうなるのだろう!?と思ってましたが、良くやってるらしく、解らないものです。

娘の方の孫も何とか成長して来ました。明るい子だけど、パパが怒らないので、悪い事をすれば父親が怒らないと駄目だと、息子の見解。子育ては難しい。少子化の世の中。子供を見ればホッとします。

しかし万札が出て行きます。これはジージ、バーバ持ち。昔と違い、子供、孫孝行をする世の中。年に数回ですから、可愛い子や孫にサービスしましょう。

帰ってから、ネットの方を参考にして花火大会。公園は花火禁止なので、前の道で。まぁ賑やかな事!
こうして夜は更けて行きました。

アー疲れた。娘家族は今頃、近くで1泊のお泊り旅行のはず。息子家族はホテルが取れず、今年も日帰りのお出かけとか。ジージ、バーバは遠くへ出かけ豪遊??


土の器

2013-08-10 09:59:58 | 日記
人はみな草のようでその栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし主のことばは、とこしえに変わることがない。(Ⅰペテロの手紙1章24,25節)



毎日猛烈な暑さが襲い、こんなに暑くても大雨が降り、災害が起こる。それも予報出来ないと気象庁の見解です。以前からの夕立は暑さを和らげ、待どうしかったのですが、それが豪雨になるとは!地球の異変でしょうか。

聖書では人間を土の器と例える場面がある。実に脆い。しかし自分は強く、賢く、負けないと思っている。そして富を増やし、好き勝手な事をして、一歩間違えば享楽に耽る。人より自分はこんなに勝り、こんな良い人間です、と見栄を切る。自分の負を見せようとしない。

過っての私もそんなものでした。しかし人は実に脆い。自然災害にはどうしようもない。また病にも全て打ち勝てるとは言えない。対人関係もどうか。自我による喧嘩は絶えず、海外とも絶えず、衝突がある。世界ではいつも何処かで戦争がある。生命も限度がある。

良く見えても人は脆く弱い存在。土の器、なんです。その事を考える人は案外少ないのを、クリスチャンになって知った。殆どの人は目の前の事のみを考えて生きてられるのを知って、愕然とした。

自分が土の器と知り、イエスキリストに頼る時、力をあたえられる。命が与えられるのです。聖書を読み、礼拝に与かる事を繰り返して行くとき、益々真理が解り、天の希望が与えられます。全き清さはこの世では無理ですが、赦しを得、本当の生きる意味が解って来るのです。


軽井沢 ⑤ 

2013-08-07 10:17:30 | 日記
今までの私の人生 ひとつの出会いで 生まれ変わり 黒く重い扉は開かれ ひとつの光が 差し込んできた イエス キリストの愛を今 押さえきれずに わたしは生きています 永遠にまでも生きる 主と (新聖歌431)





帰ってから1週間以上も経つのに、涼しかったなぁ!綺麗だったな、と思う日々です。この京都府最高気温36度最低気温26度では思い出しては溜息ばかり。外へ行けば灼熱の太陽。出れない位の日々です。軽井沢の駅に着いた時「涼しい!」と思った。でも~お店も別荘も豪華過ぎて、我が身には相応しくは無いのですが。







宿舎の近くが雲場池があったのが良かったです。宿舎はボランテイアの人達が来て下さっていて、こんな広大なものを維持するのは経費がかかるのだ、と感じたものです。

別荘の管理業という仕事がありそう。財閥なら別荘なんて小さな存在でしょうが、もしミニ財閥なら、どうなんだろう。私のいつもの医者の先生曰く「以前伊豆で別荘を持っていたけど、そんなに利用する時間も無い。別荘買う位なら、一流ホテルで泊まる方がずっと利口。」と言ってられた。料理したり掃除したりでは、どうもねぇ。大財閥で執事やメイドさんがおられるのは別ですが。庶民の感覚ですから真相は知りません。





軽井沢の一部しか見てないですが、蓼科や小諸、信濃追分の宿場も近い。もう少しゆっくりと5日間は延長したかったな、と贅沢を言ってます。それにしても苔が凄く多い土地です。





雲場池や白糸の滝へ行く、有料の道を通り、秋の軽井沢を見てみたいものです。美術館や文学館も味わいたいものです。欲には切がなく、このまま涼しかった思い出に納めときましょうか。


軽井沢 ④

2013-08-05 08:22:09 | 日記
というのは、神がこう言われたからです。「私は決してあなたから離れず、またあなたを見捨てない。」(へブル人への手紙13章5節)



教会を後にし、昼食を取らなきゃ。私達は庶民の子。百円寿司に行こう!と何気なくナビで寿司と出て来た所へ設定する。南軽井沢へ来てしまった。着いた所は変わった建物。何処にも百円寿司は無い。ギョオー、世界のブランド店が並ぶ。広い敷地に2階建てでしょうか、歩けど飲食店が極少ない。仕方なく、和洋折衷の変わった丼を取ました。何もかも若向きに出来ている。後で案内書を見ればプリンスショッピングプラザだったらしいです。



午後です。ネットで調べておいた、軽井沢植物園を目指す。何と27日に行った美術館の近くでした。



南軽井沢と思ってましたが、塩沢にあるタリアセンから少し南部の風越公園の中です。予想した様に、山野草の植物園でラッキー。園芸種は何処にでもありますから、山野草を見て撮りたかった。山百合が丁度見頃でした。







桔梗も美しい。キスケも今が見頃かも。



今日(28日)の宿は今までの施設は満杯でホテルです。しかし朝食しか付かなくて、今夜の夕食は外へ。しかし車も人も渋滞。流石日曜です。ホテルは旧軽井沢で便利はいいけど、和食店は無い。外国のインドネシア料理とかある。軽井沢銀座ではガレージ代がかかる。カフエの様な店ですが、釜飯の弁当(汽車弁みたい。)を買う。軽井沢へ来たのだから、オシャレなレストランで食べたかったですが。



ホテルは部屋も広く行き届いています。やはり値段によりますね。翌29日は、私は元々乳製品のアレルギーがあって、旅も2日間は良いのですが、3,4日になると症状が出て来ます。薬も効かなくなります。2泊は宿舎でここは朝夕、洋食ばかりでした。心こもった料理なんですが。29日朝は、ムッとする感じ。どうしよう?心配しましたが、バイキングなので和食にやっと有りつけたら、スーと直り、元気が出て来ました。いい気なものです。たまに医者に相談するのですが、先生は何とも思ってられず、便秘の方が悪く、この症状は心配要らないとのこと。唯ダイエットしないで、痩せて来たら何らかの重病が隠されてる、と教えて下さる。痩せないので大丈夫か?

そう広く無い範囲の旅だったので、疲れはしなかったのです。無事帰れ感謝でした。




軽井沢 ③

2013-08-03 08:18:28 | 日記
ふたりでも3人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。(マタイの福音書18章20節)





浅間山麓の珍しさと美しさのある鬼押出園を後に高原を降り、さて何処に行けば?1度は美術館や文学館へ行きたいです。しかし土曜日。旧軽井沢は若者で溢れ、思う美術館にも近寄れない。軽井沢銀座もガレージに近寄れない。オシャレな店も多いし、お土産も買いたいのですが。仕方なく、南軽井沢へ。

何となく近づいたのが深沢紅子さんの花の絵画美術館でした。生誕110年とか。主に雑誌の挿絵や花の絵画をなさった様です。御主人は軽井沢の風景画です。その時代に絵の道に進め、この軽井沢に住める方は、かなり恵まれた人なんでしょう。花瓶の花や、人物の大きな絵画もあって、何かほっこりしました。この美術館の界隈は小さな湖、公園、文庫等が連なり、タリアセンとの名称を後で知ったのでした。皆入れば良かった、残念です。







翌28日は日曜日。軽井沢は教会が多いので礼拝を守りたい。内村鑑三さんの教会があるので、宿舎で尋ねたら、何と結婚式用の教会とか!軽井沢では24件位の教会があるが、皆結婚式用らしいです。そもそもカナダの宣教師がここを選び、別荘と家を建てたのが始まりで、その後政財界、著名人が次々別荘を建て、今では別荘数は1万5千軒らしいです。民家はそれよりずっと少ないらしい。進めて下さったのは私の教会に相応しい福音派の「軽井沢キリスト教会」。ナビをセットし出かけました。





着いたのは10時でまだ早い。都会の教会と違い、ガレージは建物の3倍はある。少しづつ人が来られ、皆さん「おはようございます。」と声を掛けて下さる。見ず知らずの旅人なのに。礼拝は10時半からですが、少し早く教会に入る。何と白人系の高齢の司会者がスリッパを出し揃えて下さる。初来会者に住所氏名を書く。民家の様な小さな建物ですが、椅子は多い。段々人が増える。皆さん、暖かく声を掛けて下さり、実に暖かい教会だな、と思う。

横に座って下さった方は埼玉に住んでいたけど、リタイアして、この軽井沢に住み着いたとか。そして何と私が通う宇治の教会へ過って、訪問したとか!おそれ入りました。世間は狭く、繋がりがあるものです。子供も一緒に礼拝を持つ。礼拝後も○○兄弟(夫のこと)○○姉妹(私)と皆さんに紹介して下さる。そうなんだ、世界中何処へ行ってもクリスチャンは兄弟姉妹なんです。

週報に書かれていた心に残る文を記します。
1、主にあって、自分が変る。生活の場で御言葉に生き、地の塩、世の光としての存在を心がける。
2、和やかな雰囲気、明るく楽しくオープンな教会の交わりをつくる。
3、日ごろから親しみを持って、人を教会にお迎えする。

↑の文書を実施してられ、感動しました。夫も感動してました。我が教会も暖かいですが、まだまだ学ぶところが多く、軽井沢へ来て、自然風景は他所の方っがいいかも解らない。しかしこの教会は最も暖かい神様の愛が我が心に示された思い出深いものとなりました。


軽井沢 ②

2013-08-01 08:21:40 | 日記
すべての人と平和に暮らしていけるように、自分にできることは何でもしなさい。(ローマ人への手紙12章18節)





27日の朝食後、白糸の滝を目指し三笠通りを抜けハイランドウエイを通りました。その前26日に軽井沢に着いた後、三笠通りを右折して、見晴台に行ったのでした。私って神様から能力を少なく頂いて、直ぐ書くのを忘れてました。そのハイランドウエイの終点に峠の茶屋があり美しい渓谷と白糸の滝がありました。若葉がここではまだ美しく滝と相まって緑と白の美しさにうっとり。しかし人が多いです。







お父さんも忙しそう。滝壺に人が集まり記念写真を撮ろうとしても、撮れない。この日は土曜日でした。糸を引くような滝で白糸と言いますが、白糸の滝という名称の滝は他に静岡と福岡にあります。静岡の方が大きいでしょう。峠の茶屋で少し休憩を取りました。イワナゴ?の炭焼きをやってました。



ここから鬼押しハイウエイを通り、鬼押出園を目指します。以前に行った時は大雨だったので、期待が膨らみます。浅間山が200年程前にここで噴火して、溶岩が塊りゴロンゴロンと転がった、広大な範囲の風景が広がります。その合間に山野草が咲き、優しさを注ぎます。浅間山は霞んでいたけど、少しづつ頂上の稜線を表します。その麓の緑とこの鬼押のちょっと変わった美しい風景があります。





高原の爽やかな道は心癒されます。浅間と反対側に樹海の様な風景が広がりその中に観覧車が見え、遊園地でもあるのでしょうか。また標識に嬬恋村と記したものがあり、直ぐ隣は群馬県かな?旅人は何が何だか解らないけど、高原を後にしました。