1月20日。
きょうは県北の友人
Tちゃんの命日です。
Tちゃんは
わたしのかつての勤務先の元同僚の、
大学時代の同期生でした。
わたしは、元同僚を通じて、
Tちゃんと知り合いました。
Tちゃんは、
早くから御自分の目標を定めて、
それに向かって進んでいたと
聞いていました。
演劇の裏方を志して、
高校で演劇を学ぶために
県北から広島市内の高校へ進学。
さらなる勉強を積むために、
県外の大学へ進学をされたと聞きました。
大学進学後は、勉学の傍ら、
実際に舞台の裏方のお仕事も
アルバイトでされていたようです。
ところが、道半ばにして
大病を患い、
学業を断念、帰郷。
その後ずっと療養生活を送られていたと聞きました。
わたしがTちゃんと知り合ったとき、
Tちゃんは車椅子姿でした。
お薬の副作用で、
手の力、足の力、聴力、視力、握力、発声・・
さまざまなところに影響が出ているようでした。
どれほど
御自分のことを
はがゆく思われたか
悔しく思われたか
計り知れませんが、
Tちゃんが
それを口にすることは
ありませんでした。
とてもとても
やさしくて
強いひとでした。
Tちゃんは
音楽が大好きでした。
とても美しい文字を書くひとでした。
小物のセンスが抜群のひとでした。
卓越した感性の成せる業だと思います。
TBS系の「イカ天(いかすバンド天国)」ブーム当時、
Tちゃんは「たま」を聴きたがっていました。
4ピースバンドで、
ユニークなルックス・歌詞・メロディーラインに、確かな演奏技術。
足踏みオルガンあり、マンドリンありの音づくり。
ほかのバンドと一線を画した、「たま」は
当時の驚愕の的でした。
「たま」がプロデビューを果たし、
アルバムが発売されて、
Tちゃんもアルバムを聴くことができたのですが、
歌詞カードが・・白地に黄緑の文字で印刷されていましたっけ?
とにかく、視力の弱い立場にとっては
読みづらかったような覚えがあります(←すみません)。
お互いに認識したことは同じでした。
ワープロソフトで、文字を大きくして
歌詞を打ち直して
Tちゃんにプレゼントしたのですが、
Tちゃんがすごく喜んでくださって・・。
わたしはわたしで、
集中的に入力したおかげで
タイピングをマスターしたようなものですから、
お礼を言わなければならないのは
こちらだったのですが・・。
1995年のクリスマスは、
県北で過ごしました。
その日、アナウンサーの逸見政孝さんが
亡くなったので
複雑な思いをしながらも、
Tちゃんの御家族に良くしていただき、
おいしいケーキを頬張り、
あたたかい年の瀬を過ごしました。
その後、
Tちゃんと直接お会いすることは
なかったのですが、
わたしの身体のことなど
ずっと気にかけてくださっていました。
折に触れ、あの美しい字で、
短いお便りなど
お心づかいをいただいていました。
わたしが山陰で暮らすようになった
ある年のことでした。
いつもの年の初めと同じように
Tちゃんから
きれいな図柄に
整った文字で添書きの入った
年賀状が届いた1月。
Tちゃんの御兄弟から
メールが届きました。
Tちゃんの訃報でした。
年明けに脳出血で昏睡状態に陥り、
そのまま旅立ったと。
そのときTちゃんは、
いまのわたしと同じ年齢でした。
Tちゃんの御家族からは
あれからもずっと
年賀状などをいただいています。
ありがたいことです。
=きょうの3曲=
「さよなら人類」(by たま @イカ天)
「オゾンのダンス」 (by たま @イカ天)
「ロシヤのパン」 (by たま @イカ天)
きょうは県北の友人
Tちゃんの命日です。
Tちゃんは
わたしのかつての勤務先の元同僚の、
大学時代の同期生でした。
わたしは、元同僚を通じて、
Tちゃんと知り合いました。
Tちゃんは、
早くから御自分の目標を定めて、
それに向かって進んでいたと
聞いていました。
演劇の裏方を志して、
高校で演劇を学ぶために
県北から広島市内の高校へ進学。
さらなる勉強を積むために、
県外の大学へ進学をされたと聞きました。
大学進学後は、勉学の傍ら、
実際に舞台の裏方のお仕事も
アルバイトでされていたようです。
ところが、道半ばにして
大病を患い、
学業を断念、帰郷。
その後ずっと療養生活を送られていたと聞きました。
わたしがTちゃんと知り合ったとき、
Tちゃんは車椅子姿でした。
お薬の副作用で、
手の力、足の力、聴力、視力、握力、発声・・
さまざまなところに影響が出ているようでした。
どれほど
御自分のことを
はがゆく思われたか
悔しく思われたか
計り知れませんが、
Tちゃんが
それを口にすることは
ありませんでした。
とてもとても
やさしくて
強いひとでした。
Tちゃんは
音楽が大好きでした。
とても美しい文字を書くひとでした。
小物のセンスが抜群のひとでした。
卓越した感性の成せる業だと思います。
TBS系の「イカ天(いかすバンド天国)」ブーム当時、
Tちゃんは「たま」を聴きたがっていました。
4ピースバンドで、
ユニークなルックス・歌詞・メロディーラインに、確かな演奏技術。
足踏みオルガンあり、マンドリンありの音づくり。
ほかのバンドと一線を画した、「たま」は
当時の驚愕の的でした。
「たま」がプロデビューを果たし、
アルバムが発売されて、
Tちゃんもアルバムを聴くことができたのですが、
歌詞カードが・・白地に黄緑の文字で印刷されていましたっけ?
とにかく、視力の弱い立場にとっては
読みづらかったような覚えがあります(←すみません)。
お互いに認識したことは同じでした。
ワープロソフトで、文字を大きくして
歌詞を打ち直して
Tちゃんにプレゼントしたのですが、
Tちゃんがすごく喜んでくださって・・。
わたしはわたしで、
集中的に入力したおかげで
タイピングをマスターしたようなものですから、
お礼を言わなければならないのは
こちらだったのですが・・。
1995年のクリスマスは、
県北で過ごしました。
その日、アナウンサーの逸見政孝さんが
亡くなったので
複雑な思いをしながらも、
Tちゃんの御家族に良くしていただき、
おいしいケーキを頬張り、
あたたかい年の瀬を過ごしました。
その後、
Tちゃんと直接お会いすることは
なかったのですが、
わたしの身体のことなど
ずっと気にかけてくださっていました。
折に触れ、あの美しい字で、
短いお便りなど
お心づかいをいただいていました。
わたしが山陰で暮らすようになった
ある年のことでした。
いつもの年の初めと同じように
Tちゃんから
きれいな図柄に
整った文字で添書きの入った
年賀状が届いた1月。
Tちゃんの御兄弟から
メールが届きました。
Tちゃんの訃報でした。
年明けに脳出血で昏睡状態に陥り、
そのまま旅立ったと。
そのときTちゃんは、
いまのわたしと同じ年齢でした。
Tちゃんの御家族からは
あれからもずっと
年賀状などをいただいています。
ありがたいことです。
=きょうの3曲=
「さよなら人類」(by たま @イカ天)
「オゾンのダンス」 (by たま @イカ天)
「ロシヤのパン」 (by たま @イカ天)