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雑感「日々是好日2」

NO MUSIC,NO LIFE.音楽好きなのんびり屋さんの日常をつづってゆきます。きょう一日が良い日であるように…。

笑顔のためにヾ(*´一`*)ノ ~ときどき見たくなる動画。

2011-06-30 22:00:20 | Weblog

2011年3月11日の大震災以後も
大小の余震が各地で続いていますが...


過度に張りつめてしまった緊張の糸を
自分でゆるめたいときに
個人的にあえて拝見するようにしている動画を、
紹介させていただきます↓↓↓


《【ゆるキャラ】やんちゃなトリピー【鳥取県】@YouTube-by Koringoo様》



※いまさらですが念のために...
トリピーたんのプロフィールは >>こちら(鳥取県観光情報ウェブページより)
ツイッターでつぶやくトリピーたんは>>こちら:トリピー(@tottoripref)on twitter



動画で
じゃれ合うトリピーたんとねずみ男さんを
見ているだけで、
思わず頬がゆるみます...ヾ(*´一`*)ノ

今回の御紹介を快諾してくださった
Koringoo(こりんご)さん、
ありがとうございます。


ブログ記事がこちらです↓↓↓
>>こりんごさんのブログ「りんご・こりんご・ここりんご・ゆるキャラ館」より2011年2月27日アップロード:「トリピーと遊ぼう!」


(2011.4.9.記)


かなりかなり御無沙汰...

2011-06-22 00:14:48 | Weblog

かなりかなり御無沙汰してしまいました。
ブログの更新を怠っている間に
いろいろな出来事がありました。

正直申し上げると、
ある程度まとまった分量の文章形態として
どう書き残そうか、と
いまさらながら
迷ったりひるんだりしておりました・・・



とりあえず再開。


身体の調子などをみながら
時系列にかかわらず
また後日追って
少しずつ書き足していこうかなぁと思います。


この前の日曜日(6月19日)は「父の日」でしたので、
動画2件を貼り付けます↓↓

【♪I am a Father - 浜田省吾 @YouTube】


【♪ヒーロー -FUNKY MONKEY BABYS @YouTube】


100とおりの夢色が、ひとつのうたに♪

2011-05-04 22:47:45 | Weblog

←サイドバーの「ブックマーク」から
リンクを貼らせていただいている、
四葉(よつば)のクローバープロジェクト」さん。

このゴールデンウイーク、
5月4日(みどりの日)に
広島アステールプラザにて
チャリティーコンサートを開催なさる、とのことです。
収益は養護施設及び東日本大震災被災者への
寄付に使われるそうです。

>>四葉のクローバープロジェクトさん 公式ブログ


【四葉のクローバープロジェクトチャリティーコンサート~夢色~CM @YouTube】



「僕はおおきくなったら・・・になりたい」
「将来わたしは・・・・になりたい」

自分の思うように、思いのままに、
自由に色を描いていいんだよ。
100人いれば、100とおりの色がある。


子どもたち(=未来のおとなたち)ひとりひとりが
輝く瞳で
前を向いて
明るく
笑顔で生き生きと歩んでいけるように・・


いまのおとなたちが
子どもたちへ
そんなメッセージを送る。

われわれおとなたちには
子どもたちが夢を持てるような
よのなかを構築する責務が
同時に問われるように感じています...


いろいろむずかしい
先の見えない混沌としたよのなかになりつつあるいま、
広島からこうしたメッセージを
ひとつのうたの形で
発信し残してゆく、という試み。

その志と勇気に
素直に拍手を送りたいと思います。

(2011.4.25.記)


Life is...

2011-04-25 22:35:07 | Weblog

今月21日19時04分、乳がんのため55歳で逝去した、
「元キャンディーズの “スーちゃん”」こと
女優田中好子さんの告別式が
東京の青山葬儀所できょう行われたそうですが、

そのなかで、
田中さんが生前遺したメッセージが公開された、とのことです。
先月29日に録音された肉声でした。

そのメッセージのなかには、
東日本大震災で被災された方々を気づかう言葉も
含まれておりました。

【ANNnewsCH - スーちゃん「最後の肉声」「被災者のお役に・・・」(11/4/25) @YouTube】




生きるということ、
自らの人生を終えるということ、
さらにその先を見据えるということ...

平成4年に乳がんが見つかり
その後闘病と並行した芸能生活だった...
田中さんの死後はじめて知る
生きざまから
あまりにも考えさせられることが多くて、
いまはうまく文章にまとめることができません。
今後上手にまとめることができるのかどうかも
わかりません。

きょうは
田中さんが遺されたメッセージそのものを
忘れないように、
動画サイトへのリンクを貼らせていただきました。


1か月以上がたって...

2011-04-19 05:00:52 | Weblog

3月11日の震災から
1か月以上が経過しました。


一日また一日と
日付が過ぎるにつれて、
足元がすくむような
たじろいでしまうような...
そんな感じがします。


いまだに昼夜問わず
余震(と思われる地震)が
各地で起きている。

自然界がいったん牙を剥いてしまえば
われわれの想定など到底及ばない...


被災を免れているわたしは
自分の身の丈で
できることを
やっていくしかないのだと、
自分の暮らしを
日々淡々と
粛々とこなしてゆくことが、
めぐりめぐって
届いてゆくのだろうと...
いまのわたしには
それしかできないのだからと...

...自分自身に対して
そんなふうに言い聞かせてはいるものの、
いろいろ考えて
堂々めぐりになりがちです。


ケロイド(蟹足腫)による新たな膿胞が
腫れて膨れ上がり
激しく痛んだ箇所を
皮膚科医さんで切開措置していただいたのですが、
そこの皮膚が脆く弱っていると言われまして
後々まで結構な量の出血がありました。
身体を洗うときにも
水がかからないように、との
御注意もいただきました。

真皮もめくれて「洞穴(ほらあな)か?!」な状態で、
滅菌パッドに薬を塗り
その“洞穴”に蓋をしてやりすごしています。

FMSに起因する
あちらこちらの疼痛やこわばりと
偏頭痛と緊張性頭痛の混合、
ケロイド膿胞膨張に起因する疼痛。
同時多発な種々の痛みに直面する中で、
もちろん自分のことと
家族のことがまず先に
(優先順位が)来るのですが、

被災地で
慢性疾患の治療を
皆さんが受けられる状況にあるのだろうか?という思いが
いまは同時に浮かんでしまうのです。
医療器具の滅菌消毒もおそらくままならない...
ディスポーザブル(使い捨て)の器具が
充分に足りている場所ばかりでもないだろう...
人工呼吸器や人工透析の機械や
MRIやCTなどなど
稼働できる電力がいきわたっているのだろうか...

通院または在宅治療者への回診には
車のガソリン給油困難や道路渋滞も
障壁になりうるだろうし...

医療を施す側も
医療の恩恵を受ける側も
日々刻々苦慮しているのではないかと...

だからと言って
自分がどうこう
現地で具体的に手を差し伸べることが
できはしないのに...

それでも
いろいろ考えてしまう。


自分でも
いったい何なんだろうな、と思ってしまうのですがね...



平生にも増して
なんだかまとまらない駄文で
申し訳ないです。


【♪FURUSATO - Soulhead @ YouTube】



【♪Stars - STARDUST REVUE @ YouTube】


震災、そしてあの日のことなど...(4)

2011-04-15 05:00:25 | Weblog

 (※Evernoteに書き留めたものを転載しています)
===================================

震災さらには東京電力の計画停電の影響で
交通網混乱のなか、
弟夫妻も関東から
父親の入院先に駆けつけてくれました。
義妹は勤務先が冠水したらしく、
前日までその後始末に借り出されていたと聞きました。
羽田空港に出るまで、平生の何倍も時間をかけて、
動いている路線を幾度も乗り継いでくれたようです。

親族4人が病床の傍らに居ると、
さすがに医療側の作業...というか動線の妨げになってくるので、
看護師さんや介護士さんが来られるたびに、
わたしたちは席をはずしたり場所を移動したりしておりました。
看護師長さんからは
「せめて2人部屋があいていればよかったのですが、
 窮屈な思いをさせてすみませんねぇ」と
お詫びの言葉を頂戴しまして、
正直こちら側が申し訳ない思いでした。



父親が口元を緩めながら
ゆっくりモゴモゴ・クシャクシャさせていて、
それがあたかも
何か美味しいものでも食べている夢を
見ているかのように映りました。
母親は
「おとうさん、美味しそうやなぁ。
 ステーキでも食べよるが?
 (ステーキでも食べているの?)」
父親に何度もそう語りかけました。

アルカイック・スマイルか、
杉兵助さんのクシャっとした微笑のように映っていた表情が
「・・・いや、これは美味しいものを食べている夢でではなくて
 異物の不快感を表現できないだけじゃないのかな?」と
なんとなく感づくまでには
少し時間がかかりました。
母親はさっきからの語りかけを繰り返していました。
野菜嫌いで「肉、肉、にく、ニク~!!」だった父親に
(さすがに2度めの脳疾患以降は
 比較的野菜も食べるようになったようですが)、
美味しいステーキの食後の満足感を思い起こしてほしい
一縷(いちる)の望みがあったのかもしれません。

ほどなくして父親の表情が苦悶に変わりました。
痰が絡んで苦しいのを訴えているようでした。

平生、ナースコールボタンを押すのでなく、
詰所の様子を覗いて
居合わせた看護師さんに声をかけているようでした。
わたしはナースステーションに急ぎました。
(続く)


震災、そしてあの日のことなど...(3)

2011-04-09 23:13:14 | Weblog

(※Evernoteに書き留めたものを転載しています)

==================================================================

わたしが父親の入院先(愛媛県某市内)に到着した時、
すでに母親が父の傍らに居ました。
人工呼吸器設置措置が施されて、
おかげさまで
父親は悪いなりにも落ち着いた様子でした。
危機的状況からひとまず脱したのかな、と思いました。
その病室には
父親含めて4人の患者が居ました。


病室に入ったわたしが
「この音、なに?」
母親が
「あぁ、それは機械(人工呼吸器)から出よる音じゃ」

母親は気に留めていないようでしたが、
その音のリズム(間隔)が均等でないのが
わたしは気にかかっていました。
それで、「この音、なに?」と。

様子を見ているうちに
父親の心臓の拍動そのものが
前述の「音」であることに
気づきました...



数時間後、
看護師長さんと看護主任さんが
巡回で来られました。

「ビックリされたでしょう。すみませんでしたね。
 お父さん、もともと不整脈があったんですけど、
 心臓のほうも弱っていて、
 呼吸が弱って
 顔色も急に蒼(あお)くなったんで、
 取り急ぎ電話させてもらったんですよ。
 (人工)呼吸器つけてからは
 落ち着いてきましたのでね」
御説明をいただきました。

「ありがとうございます」 

さらにあとから伺ったお話によると、
主治医である脳神経外科のM先生が
ご自身の体調を悪くされて
お休みを取られている間の出来事だったそうです。
たまたま別のふたりの先生(脳神経外科部長のN先生と、H先生)が
病院にいらしたので、
急いで措置をしていただいたのだと。



四国にいる間は、
とにかく
できるだけ...ですが、

母親に余計な心配をさせまい、と思いました。
食事内容(食事の量や時間帯など)、
さらには視聴する番組...
すべて母親に合わせました。
母親の目の前では薬を飲まない。貼らない。点さない(ささない)。
自分の身体(の痛む箇所)をさすらない。



看護師さんだけでなく、
介護士さんや
清掃員さんなどなど、
おおぜいの医療従事者が
入れ替わり立ち替わり
病室に来られていました。
いのちをささえるために
実にたくさんの手をお借りしていることを
あらためて知りました。

体格の良かった父親は
すっかり手足がやせ細り、
まるで食べ終わったあとの鶏の足(=骨)のような
状態になっていました。
身体がちいさくなってしまっていました。
全身の衰弱がどういうことなのか
あらためて見せつけられた瞬間でもありました...
(続く)

震災、そしてあの日のことなど...(2)

2011-04-03 01:09:00 | Weblog
(※Evernoteに書き留めたものを転載しています)
=================================

東日本大震災(閣議によりこの呼称になった)は、その規模からして
日本列島全体を揺るがすものでした。
今回、地震及び津波の被害のみならず、
福島第一原子力発電所までも同時に罹災したことで、
世界的被害だという認識も少なくないかと思います。

言葉の用い方として適切さを欠くかもしれませんが(すみません)、
日本にとって、平時に対する「有事」そのものだ、
戦後最大の危機が訪れたかもしれないのだ、というような
切迫感は否めない。
対岸の火事などではない。

その、お国全体の「有事」に、
わが家の「有事」が
タイミング悪く(←不謹慎かもしれませんが、率直にそういう心情でした...)重なった。
お国の有事をほったらかしてでも、
わが家の有事に緊急に専心対応せよ、と。
そういうことでした。


父親が過去4度脳疾患で倒れた連絡を受けたのは
いずれも、
わたし自身の勤務先での重要イベントや
繁忙期で抜けられない時期と
見事に重なっていました。

東京本社からの来客応対当日にして
出張旅費支給配賦日の朝。
経理監査説明対応で待機命令の出ている朝。
わたし自身の右眼のオペ前日の昼間。
そして日夜問わず
飲まず食わず眠らずで
ずっと働きづめだった年次の夕方。

しかし
今回がいちばん
体力的にも気持ちのうえでも堪えました。
これまでの比ではありませんでした。

前回駅のホームで
立っていられなくなったことも
自分の脳裏をよぎりました。
今回はそのときよりも
自分の身体の状態が悪化している。

とはいえ
そんなことは言ってはいられない。

残った体力と気力を振り絞って
火事場の馬鹿力を総動員して
交感神経100%で
事に当たるしかない。
あっち(四国)に居る間さえ持ちこたえれば
それでいいのだと。
そう腹を括っていました。

そういう覚悟がなければ
持ちこたえることは到底できないなと。
そう思ったのです。
(続く)

震災、そしてあの日のことなど...(1)

2011-03-25 23:58:41 | Weblog
東北太平洋沖大震災の第一報が、
日本列島のみならず世界を震撼させたあの日、
勤務先を退出したわたしは、
行きつけの眼科に急行しておりました。

どうやら出先で右眼のコンタクトレンズを紛失してしまったらしい。
もともと矯正視力があまり出ないですし、
春先のスギ・ヒノキ花粉アレルギーも
患っていますから、
「きょうは花粉が多いし風も強いしで、
 なんだかすこし霞んでいるなぁ」程度にしか、
思っていなかったのです。

右眼(若くして←自分で言うな^^;白内障と網膜黄班のオペ=手術を数年前に受けています)のコンタクトレンズの処方箋を書いていただくとともに、
左眼の白濁や狭隅角眼の進行具合を診ていただければ...というつもりで、
かかりつけの目医者さんを受診したところ、
右眼の後発性白内障が発覚。
どちらかといえばまだ視力の出方がマシで、
視覚から得る情報源としては
いわば命綱と言っても過言ではないのが右眼。

「いまならレーザー機器を借りているけど、
 この先また借りられるのは早くても3か月ぐらいあとになると思う。
 レーザーで濁りの膜を散らしたあとは、
 少なくとも1週間はチリ(断片)が視界に浮きます。
 きょう措置してしまうか、
 それともどこか大きな病院でやってもらうか。
 どうされますか?」と。

前述の右眼のオペを受けた当時の術後の不自由(不具合)を
咄嗟に思い出したわたしは、
正直「このタイミングに困ったなぁ」と思いました。
FMSの症状がやや悪化していたばかりでなく、
この時期特有の花粉アレルギー及び咳喘息の症状で、
体調がかなり悪かったからです。

ただ、どのみち受けなければならない措置だし、
早めに見つかったのが幸いでもあるのだから、
レーザー機器が病院にあるうちにやってしまえと。即断しました。
「きょうレーザーお願いします」
散瞳を含めて約2時間半、レーザー治療を終えました。

父親の入院先からわたしの携帯電話に直接、
「おとうさんの状態が急変したのですぐ来てください!」と
看護師長さんから連絡があったのは、
わたしの頼りの右眼に、
レーザー措置で散らした膜の破片がフワフワと舞っていて、
遠近感がよくわからず
恐る恐る歩いていたさなかのことでした。

「おかあさんの携帯電話にかけても出てこなかったので、
 そちらさんに連絡しました」
「前に一度おかあさんには訊いているんですけど、
 延命措置用の人工呼吸器つけていいですか?
 急ぐからすぐ返事ください!」

「折り返しすぐ返事しますから」と言って一旦電話を切り、
母親にすぐ連絡を入れて、
母親から延命措置承諾の回答を
病院側に入れてもらいました。
母親の日ごろの性格などを考えてのことでした。

関東在住の弟夫妻は、
震災直後の交通網も含めたインフラ混乱のさなかに居りました。
...とはいえ、状況が状況のため、
父親の件をメールで弟に伝えました。

その後、各関係先に電話やメールで連絡を入れ、
近くのコンビニでモバイル用充電器などを取り急ぎ調達し、
着替えとガラケー、スマホ、薬を持って、
その足で父親の入院先へ向かいました。

広島市内で路面電車を乗り継ぎ、船舶で四国へ渡り、
そこからバスと市電とJR列車を乗り継いで愛媛県某市内へ。
(続く)

取り急ぎ

2011-03-13 08:41:13 | Weblog
たった今
父親入院中の病院さんから電話があり
父親の容体が急変した、とのことなので、
自分の常備薬持って
帰省(父親入院先へ)します。

しばらく滞りますが
お許しくださいませ。

So In Vain...

2011-03-02 23:52:04 | Weblog
きょうは...

...といっても
今夜以降ですが...


大きな“打ちのめされた感”が
あった一日でした...



たとえて言うならば...

副交感神経優位状態というか

ほとんどノーガードの状態になってから
思わぬ形で
背面から一発強打食らったような

さらに
ボディーブローじわじわ来ているぞ、みたいな

そんな感じかなぁ...


言葉悪くて申し訳ないですが、

あらためて
“片輪者”ってことなんだなぁ、と
身の丈思い知らされた感があります...






だまって今日のわらじ履く 山頭火

山陰応援。

2011-03-02 22:52:44 | Weblog

※当面の間、この記事をページトップに上げさせていただきますので、
なにとぞ御了承お願いします。


山陰両県(鳥取県・島根県)の豪雪被害に関し、
明日(1月7日)から、近畿・中国・四国地区のイオンの店舗(ジャスコ、サティ等)で
緊急復興支援募金活動が実施される、とのことです(1月23日まで)。


>イオン株式会社プレスリリース(2011年1月6日:PDFファイル) 「12月31日からの大雪による被害への支援 鳥取県、島根県への緊急復興支援金贈呈及び緊急復興支援募金活動の実施について


        


2月は逃げる ε≡ε≡(*ノ^▽^)ノ

2011-02-28 23:50:04 | Weblog

早いもので
もうすぐ2月が終わります...

...ということは
今年2011年の1/6(=6分の1)が終了~(ノ△・。)/~~サヨナラー

一年一年
ますます早く思えてしまうのは
気のせいでしょうか...(?_?)




そんなきょう2月28日は
FMS主治医の先生(リウマチ内科医さん)と
耳鼻咽喉科医さんの
はしご診察日でした。



FMS主治医の先生には
先週の件について
FMSに起因する症状のひとつなのか否かを
お訊ねしたところ

「教科書にはそう書いてありますね。
片方の手だけ、というのが
『分からないなぁ~』と思うのですが、
広義で言えばそうなんでしょうね...」

ふむふむ。
(分からない部分は「分からない」とおっしゃるので
それも素晴らしいな、と思います)


「ちょっと血圧測ってみましょうか」
(毎回血圧測ります)

自動式血圧計でうまく測定できていなかったのか(?)
昔ながらの血圧計で測り直して...

「あ~ (血圧が)低いですね~。
急に暖かくなったから
気温差で血管が拡張して
血圧が下がったのが原因じゃないでしょうかね~」
(圧痛点を押して)
「うん。前回ほどの反応じゃないと思います。
大丈夫だと思いますよ」


ガッテン×3 (*^^)ノシ凸




耳鼻咽喉科の先生には
アレルギー(とめどなく続く鼻水と咳)の薬を出していただき
吸入をして帰りました。

禁忌薬とか他の薬との絡みとか
制約が多いので、
処方に苦慮しておられるようでしたが...(^^;)

喘息はじめアレルギー性疾患に使われる内服薬(プランルカスト錠225EK)と
気管支拡張のための貼付薬(ホクナリンテープ)が
処方されておりました。



身体洗ったあとに
薬を貼りましたが、
さっそく
呼吸が少~し
ラクになってきたような...?
(..ということは、貼付薬って強いんだろうね...)
まぁ、ラクになってくれるのは有難いことなので...




明日から3月です。
週間天気予報には
雪だるまくんが居るようですが..ヽ( ̄◇ ̄;)ノ

桜の季節はもうすぐだ~ ヾ(*´一`*)ノ♪


焦ったぁぁ~(-.-;)=3

2011-02-27 07:39:19 | Weblog

あっという間に
2月がもうすぐ終わります。
早いものです...




先週木曜日...
早い話が一昨々日の午後のことでしたが...


出先でコーヒーが出てくるのを待つ間に
持ち歩いている
千羽鶴セット(前回投稿参照)で
ゆっくり鶴を折っていたのですが...

いきなり突然
左手だけ力が入らなくなり
思うように動かせなくなってきてしまいました。
いつものFMS起因と思われる急変、自覚症状とは
明らかに違いました。

「げっ!ヤバくね?...(-.-;)...」

取り急ぎ精算を済ませ(← 一連の動作が難儀かった)
その場所から至近の脳神経外科さんに駆け込みました。

わたしは親父似ですから
正直焦りました...

頭痛を伴っていたし、
口角上げているのも
なんかしんどくなってきたし...



「肩からダランとしているワケじゃないからなぁ~」というわけで
握力を測ることに。
握力計(この前いつ測ったのかさえ記憶にない... 子供の頃以来、というワケではないように思いますけれども... )で
左右それぞれの握力を測りましたが、
自分ではめいっぱい(#`・Д・´)つ凹” ギューーーーーッ!! と力を入れたにもかかわらず、
右手16kg&左手わずか9kg!!


「もともと力がないんだね... それにしても左手明らかにおかしいよね...
 きょうウチMRI予約詰まってるんだよ... MRI撮っておきたいよね。
 弟子がいる病院に電話してあげるから待ってよ...
 検査入れてくれるって。紹介状書いてあげるから、すぐ行って!」

ぁ、ありがとうございます_(_ _*)_...



タクシーで紹介先の他院さんへ移動し、CTとMRIを撮っていただき
画像上は幸い
出血や血栓など見当たらず(^^;)...


先生は判断に困っていらっしゃるようでした
「うーん... あとから出てくる可能性もなくはないので
 入院して血流上げる点滴治療しますかねぇ?... どうしましょうねぇ... 」

に、にゅういんっ??ヽ( ̄◇ ̄;)ノ
家族の状況的にも経済的にもそれは出来ない... どうしよう... と思いながら、
引き続きお医者さんの御説明に耳を傾けていたところ

「何か治療中の病気はありますか?」と。
FMSのことをお話しすると
「あ~難しい病気ですよね~ 筋肉の関係ですよね~(...ε≡(*ノ__)ノトテッ!!)
 それかもしれませんねぇ...
 ひとまずこのまま様子見で、何かあったら電話頂けますか?
◎◎先生への返事は、こちらから送っておきますから」
「...はい。ありがとうございます_(_ _*)_...」

その先生も飛び込みで入った検査にもかかわらず
丁寧で考えながら対応してくださり
有難いことでしたが...



その翌日から翌々日にかけて
頭痛が続きました。
タチの悪い頭痛じゃなく
よくあるタイプの頭痛っぽいなと思ったので、
ボルタレンとムコスタ(手持ちの最後)を飲んで様子見で...

あとは、FMSの他患者さんのサイトを拝見するために
横になって検索かけておりました。
「片手の脱力が症状のひと、いらっしゃいます?」と思いつつ...

そちらは結局
FMSの主治医さんに訊いてみることにしまして
急きょ診察予約をお願いしました。
正直よく分からんかったので。
診察日は今週になりますが...



一昨日の夜からは、
更にスギ花粉アレルギー&風邪か咳喘息?と思われる
ぱむせどろく(=夜通し)鼻の中が決壊洪水状態&乾いた咳の連続でして、
眠れる状態ではなく...
微熱あるっぽいしダルいし、
喉もヒリヒリ痛くなってきた(-.-;)アチャー


昨日の土曜日から予定していた
見舞目的の帰省遠征をキャンセルして
広島にとどまりました...
不孝者やなぁ...

金曜日の夜、実家に電話したところ
大丈夫そうだったので、
こっちで養生させてもらうことに...


難儀なことって
なんでか重なりますよねぇ...(-o-;)


少しずつ…

2011-02-23 00:53:44 | Weblog
少しずつ…
遅々としてなかなか進みませんが…(汗・焦

千羽鶴用に
折り鶴こさえております。



75mm×75mmの紙を
規則に従って折るという単純作業でさえ、
もはや難儀でしかない。
力加減が
以前のようには
うまくいきません。


右目にメス入れたあと、
同じ病室で良くしていただいた患者さんのために
折り鶴こしらえた時のほうが
まだずっとマシだったんじゃないか?という…(^^;)

眼内レンズがまだ落ち着いてない頃で
遠近感や焦点がワケワカメだったんですけどね…


きょう現在で
やっとこさ
半数ちょっと超えたぐらいの数を
折った段階です。




それにしても
ことごとく
ブッサイクな鶴やなぁ...(^^;)




とある同病の方から
御連絡いただきましてね…

やはり同病の方(わたしはその方を存じ上げないのですが)に
重大疾患が見つかり
しかも厳しい状況であると。

その方のために
折り鶴を持ち寄って
千羽鶴にして届けたいと...



折り鶴をこさえる作業が
どれだけ堪えるのか
ある程度身をもって知る立場に居ますから、
わたしも加わることにしました。
即断でした。

微力でしかないけど...



調子の悪い時は
まったく手がつきません。
ヘタレだなぁ...


こま切れの時間で
1羽でも
途中まででも
どうにか進められるように
千代紙とギフト用の小箱を
セットで持ち歩いています(^^;)


♪小さなことからコツコツとぉ~

西川きよし師匠かっ!(違