大久保教会の兄弟姉妹へ 2010年9月22日
昨日、今日と真夏日が戻ってきました。明日と明後日は打って変わって雨模様のようですね。いかがお過ごしですか。主の恵みと平安とが豊かにあるようにお祈りしています。
今夜の祈祷会はテトスへの手紙3章9節から11節を学びます。8節でイエス・キリストの福音は「この言葉は確実である」とのべ、この福音にクレテ島のクリスチャンたちが踏みとどまり、養われ、成長し、豊かに実を結ぶこと、つまり「努めて善い業を励むように心がけることを勧めなさい。その業が主と教会と隣人の益となるから」とパウロはテトスに命じました。キリスト・イエスの福音に生きることが善い業をなし、実を結ぶモーティベーションであると言わんばかりです。私たちをクリスチャンとならしめる力は、神様の愛と憐れみ、主イエス様の十字架の贖いと復活の力です。「健全な教え」に聞き従う時に、私たちは神様の御心にかなった者へと造り変えられてゆきます。「主を喜ぶことは私たちの力です」とネヘミヤ8:10にあるとおり、神様の愛に生かされている真実を喜び、感謝してクリスチャンとして歩み続けてゆきたいと思います。私たちは一人では弱い存在ですから、互いに励まし合い、祈り合い、支え合う主にある兄弟姉妹が必要なのです。
健全な教えを伝えるために生き、人々の益となりなさいとテトスを励ました後、「しかし、愚かな議論と、系図と、争いと、律法についての論争とを避けなさい。それらは無益かつ、空虚なことである」とパウロは9節でテトスに命じます。「健全な教えは有益である」が、「間違った教えは無益かつ、空虚である」と言うのです。偽教師は異端者であり、彼らの教えることはすべて益とはならず、むしろ有害であると言っているようです。1章10~16節でも同じ様なことを使徒パウロはテトスに命じましたが、1章では偽教師たちと向き合い、彼らの間違いを諭しなさいと命じたのです。しかし、3章ではそのような偽教師との関わりはいっさい持つな、彼らから離れ、近づいてきても言葉も交わすな、交わりを避けよ、彼らとの時間は無駄な事だと言うのです。米国カリフォルニア州では「スリーストライク法」という法律がり、性犯罪や麻薬犯罪で3回目に逮捕された時は「無期懲役」となる法律があります。パウロは、「異端者は、一、二度、訓戒を加えた上で退けなさい」と命じます。「間違った教えを説く人でも神様に愛され、神様は救おうとされるのではないか、悔い改めるまで辛抱強く向き合うべきではないか」と心優しい人は考えるでしょう。2テモテ2:24-26では使徒パウロ自身も反対する者に対しては同様な柔和さを常に持つべきと考えていたようです。しかし、ここでパウロが取り上げている問題は、「クレテ島の諸教会を分裂させ破壊する者たちへの対処法」です。そのような人たちと関っていたら、教会は大きなダメージを受け、教会は病気になって「実を結ばなくなる」のです。ですから、パウロは強い言葉でそのような者たちを「異端者」と呼びます。この言葉はギリシャ語の言語では「不和にする、争いの種になる人」という意味です。
私たちはキリストにあって初めて一つのからだ・教会となり得ます。キリストによらずして、キリストにつながることなしに一つとなることはできないのです。ですから、イエス・キリストを救い主と信じる信仰による一致が大切です。「不和」は、教会に困惑とストレスと怒りと傷を与えますから、不和の原因をもたらす者を遠ざけるのです。イエス様もマタイ18:15~17で言っておられます。
パウロは11節で「たしかに、こういう人(異端者)たちは、邪道に陥り、自ら悪と知りつつも、罪を犯している」と云います。このような扇動的な争いの好きな人たちは「変わらない」というのです。私たちは、主イエスの言葉によって日々変えられてゆく必要がります。変化が成長の証なのです。神様によって変えられること、変化を恐れる必要はないのです。それは「恵み」なのです。「変わらない人」は、主の御手に委ねるほかにすべはないのです。
キリストにあって一つとなることの他にもう一つ教会に大切なことは「目的・使命」にあって一つとなることです。「議論・論争に時間やエネルギーを費やすのではなく、礼拝をささげることと福音を伝えることに時間とエネルギーをもっと費やしなさい。それが人々の益となるのです」とパウロは言うのです。私たちの時間や知恵や体力を議論などの無駄なことに費やすのではなく、福音を伝えるという有益なことに使いなさいと命じているのです。神様からいただいている時間や知恵や健康、体力を私たちは何のために用いているでしょうか。「自分勝手に無駄な事に使っていないか」と問われているようですし、悔い改めへと導かれます。
週の後半の日々も主の導きとお守りがあるようにお祈り致します。
主に在りて
大久保教会牧師 河野信一郎
昨日、今日と真夏日が戻ってきました。明日と明後日は打って変わって雨模様のようですね。いかがお過ごしですか。主の恵みと平安とが豊かにあるようにお祈りしています。
今夜の祈祷会はテトスへの手紙3章9節から11節を学びます。8節でイエス・キリストの福音は「この言葉は確実である」とのべ、この福音にクレテ島のクリスチャンたちが踏みとどまり、養われ、成長し、豊かに実を結ぶこと、つまり「努めて善い業を励むように心がけることを勧めなさい。その業が主と教会と隣人の益となるから」とパウロはテトスに命じました。キリスト・イエスの福音に生きることが善い業をなし、実を結ぶモーティベーションであると言わんばかりです。私たちをクリスチャンとならしめる力は、神様の愛と憐れみ、主イエス様の十字架の贖いと復活の力です。「健全な教え」に聞き従う時に、私たちは神様の御心にかなった者へと造り変えられてゆきます。「主を喜ぶことは私たちの力です」とネヘミヤ8:10にあるとおり、神様の愛に生かされている真実を喜び、感謝してクリスチャンとして歩み続けてゆきたいと思います。私たちは一人では弱い存在ですから、互いに励まし合い、祈り合い、支え合う主にある兄弟姉妹が必要なのです。
健全な教えを伝えるために生き、人々の益となりなさいとテトスを励ました後、「しかし、愚かな議論と、系図と、争いと、律法についての論争とを避けなさい。それらは無益かつ、空虚なことである」とパウロは9節でテトスに命じます。「健全な教えは有益である」が、「間違った教えは無益かつ、空虚である」と言うのです。偽教師は異端者であり、彼らの教えることはすべて益とはならず、むしろ有害であると言っているようです。1章10~16節でも同じ様なことを使徒パウロはテトスに命じましたが、1章では偽教師たちと向き合い、彼らの間違いを諭しなさいと命じたのです。しかし、3章ではそのような偽教師との関わりはいっさい持つな、彼らから離れ、近づいてきても言葉も交わすな、交わりを避けよ、彼らとの時間は無駄な事だと言うのです。米国カリフォルニア州では「スリーストライク法」という法律がり、性犯罪や麻薬犯罪で3回目に逮捕された時は「無期懲役」となる法律があります。パウロは、「異端者は、一、二度、訓戒を加えた上で退けなさい」と命じます。「間違った教えを説く人でも神様に愛され、神様は救おうとされるのではないか、悔い改めるまで辛抱強く向き合うべきではないか」と心優しい人は考えるでしょう。2テモテ2:24-26では使徒パウロ自身も反対する者に対しては同様な柔和さを常に持つべきと考えていたようです。しかし、ここでパウロが取り上げている問題は、「クレテ島の諸教会を分裂させ破壊する者たちへの対処法」です。そのような人たちと関っていたら、教会は大きなダメージを受け、教会は病気になって「実を結ばなくなる」のです。ですから、パウロは強い言葉でそのような者たちを「異端者」と呼びます。この言葉はギリシャ語の言語では「不和にする、争いの種になる人」という意味です。
私たちはキリストにあって初めて一つのからだ・教会となり得ます。キリストによらずして、キリストにつながることなしに一つとなることはできないのです。ですから、イエス・キリストを救い主と信じる信仰による一致が大切です。「不和」は、教会に困惑とストレスと怒りと傷を与えますから、不和の原因をもたらす者を遠ざけるのです。イエス様もマタイ18:15~17で言っておられます。
パウロは11節で「たしかに、こういう人(異端者)たちは、邪道に陥り、自ら悪と知りつつも、罪を犯している」と云います。このような扇動的な争いの好きな人たちは「変わらない」というのです。私たちは、主イエスの言葉によって日々変えられてゆく必要がります。変化が成長の証なのです。神様によって変えられること、変化を恐れる必要はないのです。それは「恵み」なのです。「変わらない人」は、主の御手に委ねるほかにすべはないのです。
キリストにあって一つとなることの他にもう一つ教会に大切なことは「目的・使命」にあって一つとなることです。「議論・論争に時間やエネルギーを費やすのではなく、礼拝をささげることと福音を伝えることに時間とエネルギーをもっと費やしなさい。それが人々の益となるのです」とパウロは言うのです。私たちの時間や知恵や体力を議論などの無駄なことに費やすのではなく、福音を伝えるという有益なことに使いなさいと命じているのです。神様からいただいている時間や知恵や健康、体力を私たちは何のために用いているでしょうか。「自分勝手に無駄な事に使っていないか」と問われているようですし、悔い改めへと導かれます。
週の後半の日々も主の導きとお守りがあるようにお祈り致します。
主に在りて
大久保教会牧師 河野信一郎