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大久保バプテスト教会 聖書の学び

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聖書の学びを御一緒に

コロサイ人への手紙1章21節~23節

2010-05-05 19:12:49 | 聖書

大久保教会の兄弟姉妹へ 2010年5月5日
連休の最終日、いかがお過ごしでしょうか? まだ旅先にある方もおられるかもしれません。主の恵みと平安とがあなたの上にあるように祈ります。
今朝、立夏の日の朝に嬉しいことがありました。気持の良い朝でしたので、草取りと草木に水やりをしていたのですが、教会前でデジカメを手にした80代前半のお父さんと50代後半の息子さん親子と出会いました。今から50年ほど前に富士銀行(現在のみずほ銀行)の社宅に住み、その当時はまだ教会組織も会堂も建築されていませんでしたが、ハロウェー宣教師時代の集会に少し来られていたそうです。息子さんはきれいな色の卵をもらったことを今でも鮮明に覚えていると言ってらっしゃいました。イースターエッグですね。

40周年記念誌をお見せしたりして、お話しが弾み、嬉しい恵みの時間を過ごしました。


この箇所は大きく2つに分ける事ができます。

21節は、クリスチャンとなる前のコロサイ人たちの状態。

22~23節はクリスチャンとされている現在の状態です。

23節後半は現状維持をどうするかが記されています。


イエス様を救い主と信じる前の異邦人・コロサイ人たちは、「神から離れて悪い行いをし」、「心の中で神に敵対して」いる状態であったと使徒パウロは21節で言います。「神から離れて」とは、「神の恵み、祝福の外側にいた」という意味です。
「心で神に敵対する」というのは、性質的に神の御心を行わないで、自分の好き勝手をして生きる」状態を意味しています。
これは主イエス様によって贖われる前の状態でした。

けれども、御子である主イエス・キリストが救いの業を始め、イニシアティブ・主導権をもって下さって、十字架の死によって「あなたがたを神と和解させた」とパウロは現在の恵みは
すべて神とイエスから始まったと語ります。22節に「御子は1)その肉のからだにより、2)その死をとおして、あなたがたを和解させ」とありますが、ここで大切なことは、「主イエス様のからだの犠牲が私たちの救いのためにあった」ということです。グノーシス派はイエス様は肉体を持っていなかったと主張しましたから、パウロは反論すると同時に、主の身体の犠牲があったと言いたかったのでしょう。また、私たちの主は、その身体を犠牲にして私たちを救ってくださったのですから、あなた方も身体を主にささげ、心と身体をもって仕えなさいと言われているようです。もう一つ大切な「死をとおして」とは、主イエス様は「現実に犠牲となってくださり、また完全なる犠牲」であるとのパウロの主張です。「身体、血潮、死」は犠牲の完全なる性質を表す言葉です。主の晩餐式で心に刻む主の恵みです。

主が与えて下さった神様との和解の目的とは何でしょうか。
それは主イエス・キリストにあって、その信仰によって、私たち一人ひとりが神の御前に「聖なる、傷のない、責められるところのない者」と立つことです。これは私たちにできることではなく、ただ神の憐れみ、恵みによって与えられるものです。

パウロは23節で、「あなたがたは、ゆるぐことがなく、しっかりと信仰に踏みとどまり、すでに聞いている福音の望みから移り行くことのないようにすべきである」と勧め励まします。神の憐れみ、恵みによって罪ゆるされ、救われ、喜びと平安と希望の内に生かされていることを感謝(礼拝と証し)し、神様との交わり(御言に聴く時間と祈りの時間)を大切にし、神様
の愛の証し人、福音の喜びを伝える者(伝道)として共に神と隣人と教会に仕えてまいりましょう。


週の後半の日々も主の導きとお守りがあるようにお祈り致します。
主に在りて
大久保教会牧師 河野信一郎