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大久保バプテスト教会 聖書の学び

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聖書の学びを御一緒に

木曜 聖書の学び 4月15日より

2010-04-01 14:24:59 | 聖書
現代を生きる、わたしたちの学び

聖書の信仰と祈りと知恵

木曜:聖書の学び

午前10時30分~12時

4月15日より

大久保バプテスト教会 協力牧師 牧野伊



大きな事を成し遂げるために 
力を与えてほしいと神に求めたのに  
謙虚を学ぶようにと弱さを授かった  


より偉大なことができるようにと健康を求めたのに 
より良きことができるようにと病弱をあたえられた 

幸せになろうとして富を求めたのに
 賢明であるようにと貧困を授かった  

世の人の称賛を得ようとして成功を求めたのに
得意にならないようにと失敗を授かった

 求めた物は一つとして与えられなかったが
 願いはすべて聞き届けられた

 神の意に添わぬ物であるにかかわらず  
心の中で言い表せないものは全て叶えられた 

私はあらゆる人の中で  
最も豊かに祝福されていたのだ




河野牧師不在の時、「木曜、聖書の学び」をすることになりました。

わたしは、歳を重ねる今、

過ぎてきた人生を振り返り、私は何をしてきたのだろうと反省し、

また残されるわずかな時間に何をしなければならないのかと自問しています。

どの人もこの世に生まれ、この世を去るまでの生涯は、

誕生という始めと、死という終わりとに区切られる限られた人生であります。

人の生は、誰も限られた制を生きるのですが、
その中で様々なことが起こり、いろんなことを人は経験するのです。

もちろん、嬉しいこと、幸なことだけが待っているとは限らないし、
苦しいこと、悲しいことも起こるのです。

でも人は、それらのことを前もって決めていくことは出来ないのです。

私たちはどのように、それらに対処したらよいか、
そこに、宗教・信仰という事が生の根源として、
私に、あなたに問い掛けてくるはずです。

イエスは「悲しむ者は、幸いである。あなたは慰められるであろう」と云われ

悲しむ者を、幸いとしてしまう。

逆説(そんなばかなといわれる)言葉で語りました。

上に揚げた詩は、まさに逆説の幸いです。

主イエスの言葉は、きっと、私たちの貧しい心を豊かにされます。

そのように聖書を学び、真実の幸いを受け取りたいのです。

混迷に満ちた世ですから、なおさらに、私たちを生かす聖書の言葉を学びたい。

どなたでもいらしてください。教会は「扉」をあけています。