今更ながらに、西崎義展が無くなった記事を見た。
私は昔、西崎と話をしたことがあった。
まだ高校生で、ヤマトがブレイクする前だった。
当時の私は、かなり恥ずかしい存在だった。
同人誌を発行し、コスプレをし(当時まだ、コスプレという単語すら無かった)、会場を借りてイベントをやり、
上映会を手伝い、合間に高校に通った。
大阪在住だった私は、お金をけちる為、鈍行を乗り継いで東京まで行き(当時まだ、18切符は無かった)、
アニメスタジオ巡りをしていた。
まだ、アニメがそんなに市民権を得ていなかったので、スタジオも電話すれば見学できたし(東映すら見学できた)、
使用済みセル画なんか、いくらでも貰えた。
そんな中でも、ヤマトは特別な存在であった。
当時オフィスアカデミーにも訪問させて貰った。
ビルを訪ね、エレベータに乗ったら、年配のおっさんが駆け込んできた。
扉が閉まり、おっさんが「ヤマト?僕、プロデューサーの西崎」。
まだブレイク前で、劇場版を用意している最中だった。
彼は、上京してきた小娘相手に丁寧に、そして熱くいろいろ語ってくれた。
その後ブレイクし、いろいろあって、不評も流れ、覚せい剤で掴まったりして、
人間としてどうよ的な事もあった。
そもそも、尊敬する手塚治大先生の虫プロをわやにして、手塚先生をえらいめに合わせた張本人ではある。
それでも、彼の話は、説得力があり、引き込まれるものがあった。
「海のトリトン」にせよ、「ワンサくん」にせよ、彼にはプロデューサとしての才能があったのだと思う。
プロデュース能力と、コミュニケーション能力と、経営力と、人間性には、なんの関わりも無いんだなと、
しみじみ思う、冬の寒空...