日本海は静かだ。
正確に言うと、静かになった。
大変良い天気である。日本晴れとはこの事だ。
みな、甲板で遊んでいる。
ここで、ツアー客を紹介。
私のツアーは、横浜を出発し、船でナホトカへ。
そこから、列車で、ハバロフスク経由シベリア鉄道で、
途中イルクーツクによって、モスクワ4泊で、解散。
全行程2週間の片道ツアー。1982年当時、15万円くらい払ったと思う。
参加者は、私とむっちゃん、大学4年で卒業旅行の男子学生兵藤さん、
某バイオ系会社社長夫人のミセス中野、遺産で生活して世界をふらふらしているという
40代のおっさん、そして、日本に数ヶ月研修に来て、普通に帰るとおもしろくないから
シベリア鉄道ヨーロッパ経由で帰るという、ニューヨーカーの男子大学生、パットとラルフ。
それに、ガイド兼監視役のババコフさん。
ババコフさん(高い方)とミーシャ
それから、オーストラリアの旅行社が企画した香港→日本→シベリア鉄道→ヨーロッパ→アメリカ経由帰国に参加している、
主にオーストラリアとニュージーランド人の20人くらいの集団。
こっちのガイド兼監視役は、ミーシャ。
この中に、何故かアメリカ人の親子が混ざっていた。
この二人。10歳のブレディ君とその父親。
こいつら、国を出て1年半とか言ってて、学校は?と聞いたら、
「プライベートバケーション」とか言いよった。
この父親、鞄に日本製パンストを詰め込んでいた。
何をするのかと思えば、当時物資不足の東側では西側の質の良いストッキングが好まれると
どこかで聞き込んで、ナンパ用に持参である。
行く先々の街で、違う女の子と手を繋いでいた。
かまって貰えないブレディは、よく私たちの輪に入ろうとしていた。
つっても、こっちも20代なんで、話なんか合うわけ無い。
オヤジ、父親しろよ、父親!
それから、日本の学会に出席して帰国途中だというチェコ人の学者集団。
30人くらいいただろうか。
何故か、子供も交ざっていた。
当時、東側では出国規制が敷かれていたし、
西側に出られる人間は特権階級、まして子供なんて、完全に特別なんだろうな。
あと、ツアーじゃなくて、全く個人で旅行してた日本の会社やめたという兄ちゃん二人ずれとか。
ナホトカの岸壁
そんなこんなで、ナホトカに入港する。
シベリア鉄道は、ウラジオストック発だが、ウラジオストックは軍港で、当時外国人は立ち入りできなかった。
今となっては、想像しにくい感じである。
ちなみに、私の父はロシア語が話せたが、ウラジオ-ストックではなく、
ウラディ-ボストークが正しいと言っていた。
どうでも良い事だが。
時化のせいで、16時入港予定が、20時くらいになった。
ここから、列車で一晩かけてハバロフスクに行くわけだが、西側の人間を輸送するので、それは当然
特別扱いなので、4時間も遅れたにもかかわらず、列車は待っていた。
当然、現地人巻き添え。
船を下りると、3歩歩いて、バスに乗せられた。入国手続き場所まで連行である。
これが、わずか50mくらい、前の建物のすぐ裏に、入国管理事務所がある。
たったそれだけすら、歩かせない。
しかも、バスが通る道沿いに10m間隔くらいで、両側軍人が立っている。
バスを降りてから、入管事務所に入るまでの10mくらいなんか、びっちり軍人が立っている。
今、ここで猛ダッシュしたら、絶対撃たれるだろうな...
そんな感じ。
バイカル号は排水量5,000トンクラスの船です。
でも、揺れるもんは揺れる。
ほぼ、即ゲロ状態。
で、夕食は行けなんだ。
連れのむっちゃんは、何とか行ったが、船が大揺れして、
ウェイトレスのねーちゃんが、ティーポットを持ったまま
飛んでいったりしたらしい。
それでも、水分は取らないと行けない。
粉末ポカリスウェットを水に溶いて、ちびちび飲む。
夜中かから、揺れが半端じゃなくなる。
部屋に備え付けの箪笥の引出が全部出る。
二段ベッド。上の段は使わなかった。
あんなに揺れたら、落ちるかも知れない。
部屋には窓がある。ちょうど私の顔の辺りだ。
私は二段ベッドの下の段に寝ている。
床から30cmくらいのところだ。
この状態で、部屋の窓から水面が見える。
いったい、船はどれだけ傾いているんだ。
このまま、一度も異国の地を見ることなく死んじゃうんだろうか。
ご両親様、ごめんなさい...
などと言う状態ではなく、口が胃より高くなると、ゲロ。
でも、出るもんは出る。
トイレには行かないといけない。
トイレは室内には無い。
部屋から15mくらいのところにある。
船はスクリューコースターの様に揺れる。
通路を歩く私は、ピンボールの様だ。
手すりにしがみつきながらトイレに行く。
トイレのドアは、観音開きになっている。
揺れた時にドアの半径が小さい方が衝撃が少ないからだろうか。
並んだ個室のドアが、バッタンバッタンしている。
その中の1室に入る。ドアの鍵を閉めるのが大変だ。
船が揺れる。ドアも揺れる。私も揺れる。
何とかドアを閉める。
船はソビエト製だ。トイレは洋式。
つまり、トイレットボウルの中には水が入っている。
当然、いたした物もそこに混ざる。
船は容赦なく揺れる。ボウルの中身だって大揺れ。
当然、水しぶきがかかる。
しかし、だからといって私に何ができるんだ。
一刻も早く、部屋に戻って、横になりたいだけ...
翌日、船窓から、下北半島が見えた。
嵐の中の日本である。
三日目、昼過ぎにやっと時化は収まった。
静かになれば、鏡のような海面である。
甲板に出てみる。
遊び道具がいろいろとあって、船客たちが遊んでいる。
この船には3つのツアーといくらかの個人が乗っていた。