ニュージーランド移住記録「西蘭花通信」

人生の折り返しで選んだ地はニュージーランドでした

砂時計の時間

2002-05-04 | 香港生活
大矢壮一賞を受賞した星野博美氏の「転がる香港に苔は生えない」という本を初めて知ったときの感動は、今でも良く覚えています。香港の真骨頂を言い得たタイトルだと思いました。通算12年近くここに暮らし、一見根を生やしているかのような私にとって、香港は常に移ろい行く"水もの"です。かつて「借り物の土地、借り物の時間」と言われたこの地が、97年の返還を経ても依然"借りの地"であるという思いは、住めば住むほど強まってきます。しかも残された時間がどんどん少なくなっていくのを感じています。

そうは思っても、それを不安がったり焦っていたわけではなかったのですが、昨年のニュージーランド再訪の際に味わった、何かから解き放たれるような思いに、自分が縛られていた呪縛というものに初めて気がつきました。内なる私は、"借りの地"に代わる"約束の地"をずっと求めていたのかもしれません。

しかし、実際の香港の生活はそんなことを突き詰めて考える余裕もないほど忙しく、時間に追われたものながら、濃厚で楽しいものでもあります。何かに急かされるように休む間もなく動いていく香港。しかし、ただ突き進むのでも、駆け上がっていくのでもなく、時には退き、譲り、そしてまた上を目指して行く・・・。それが延々と繰り返されていくのです。どこの国でも調子のいい時もあれば悪い時もありますが、香港の場合はこのスピードが異常に速く、まさに"転がる"と呼ぶにふさわしい速度なのです。

裸一貫で中国から逃げてきた人が、巨万の富を築くといった成功談は掃いて捨てるほどありました(今はほぼ自由に行き来できるので逃げてくる人はいなくなりましたが)。そして一度はミリオネラーになった人が、事業や株の失敗で全財産を失い、道端の物売りという振り出しに戻ることも珍しくありません。先日も一時は大手レトランチェーンを経営していた大金持ちがバブルで財産を擦り、路上のDVD売りで生計を立てている、という記事を読みました。

ここ20年ぐらいの香港の生活水準は日本を遥かにしのぐスピードで上昇してきましたが、その実態は日本の高度成長期のような社会全体が底上げされていくようなものとは異なり、上手く時流に乗れた者は豊かになり、そうでない者は高インフレの中で相対的に貧しくなっていくという状況が隣り合わせでした。

この明確な「勝ち組」と「負け組」の図式。でもそれが定着してしまわないのが香港のすごいところで、「勝ち組」であるはずの、一生遣っても遣い切れないような金を稼ぎ出した人でも、それを更に増やそうと、新たなリスクを取りにいきます。"No Pain,No Gain"を熟知しているからこそ、成功の保証がないにもかかわらず、リスクテイクに出るのです。もちろん「負け組」もそのまま腐ってはいられません。借金をしてでも次の一手に出たり海外に活路を求めたり、底辺から再起を狙います。

そして両者がどこかで行き交い、立場が入れ替わって再び同じことが繰り返される可能性もある訳です。その過程での途方もないエネルギーの放出と吸収、ピンチを切り抜け、身がすくむような決断を下しながら、ここの人たちは類まれな鍛えられ方をし、それが華人社会の中でも独特なバイタリティーを生んでいるようです。皆に共通することは、立ち止まらずに転がり続けることなのです。

柔軟でしたたかな生き方は、立ち止まることを許さないものでもあります。個人でも企業でも自社ビルや持ち家でない限り、同じ住所に10年も留まることはかなり珍しいでしょう。持ち家さえも転がしていく人たちです。かつてのインフレ下でも今のデフレ下でも、馬鹿を見ないように守るか責めるかは市民の最大の関心事と言っても過言ではないでしょう。

飲茶レストランでのんびりと2、3時間を過ごす微笑ましい一家団欒の時でも、よく見てみると夫婦が別々の新聞に顔を突っ込み、ジッと見つめているのが不動産広告であることは珍しくありません。自宅を売買したり賃貸に出す予定がなくても、こうして市況の最新情報を押さえておくことは香港人の常識なのです。

このテンションの高さがずっと好きでした。そして、ここで暮らしていくには香港人と同じようにするのが最も賢明だということも学びました。郷に入れば郷に従えです。ですから私も持ち家の時でも賃貸の時でも、自分のマンションの市場価値や賃貸価格をかなり正確に把握しています。これは、「外国人だから・・・」と足元を見られて割高なものをつかまされたくないという生活防衛と、賃貸と購入とどちらが家計に有利かという攻めの計算でした。

しかし、そうした全方位にアンテナを張り巡らす生活も、香港の回転速度が緩やかになって来る中で変わってきました。私の中で、
「香港に残された時間が少なくなってきている」
という思いが一段と強まってきたからかもしれません。残された時間がどれぐらいあるのか?それはいつ中国が香港を必要としなくなるかにかかっています。

これまでの香港の目覚しい成長は、中国の門戸が世界に対して閉ざされていたことを抜きには語れませんでしたが、その中国は今、自ら全世界に扉を開いています。こうなれば香港を素通りした中国と外の世界とのつながりが築かれていくのは時間の問題でしょう。

「西蘭さん、砂時計がひっくり返されて砂がサラサラと落ちてきています。もう時間はあまりありません。」
私が最も尊敬する友人の一人はそう言って、数年前にこの地を去っていきました。私も彼女の言わんとすることが痛いほどわかっていながら、香港への愛着が先に立ち、どこかへ向かう自分たちを思い描けずにいました。

でも今はここを卒業していく日が近づいていることを肌で感じています。例えNZに出会わなかったとしても、西蘭家は次の一歩を考え始めていたことでしょう。香港の教え通り、私たちはまだまだ転がり続けなくてはいけないのです。


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「マヨネーズ」 
たまに行っていた近所のアウトレット。子ども服がけっこうあり、子どもが小さい時はお世話になりました。先日のぞいたら、外に「銀主価」の張り紙。
「まさか!」
と思って中に入ると柄の悪そうなおニイさんが数人たむろしていました。

「やっぱり!」
銀主の"銀"は銀行の"銀"(サラ金である可能性もあります)です。彼らは取り立て専門業者で、店のオーナーの借金返済が滞ったため抵当に入っていた店を差し押さえ、商品を売りさばいているところでした。

いつも無愛想にテレビを見ながら店番していた小母さんや、たまに手伝っていたその夫はいずこに?彼らに大きな変化があったものと察します。これは転がる香港のほんの一面です。持ち主には過酷ながらも、いずれ店は人手に渡り、金融機関は債権の一部を回収し、店は新しいオーナーとともにまた転がっていくのです。 


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