ニュージーランド移住記録「西蘭花通信」

人生の折り返しで選んだ地はニュージーランドでした

キウイのコミットメント

2002-06-19 | 移住まで
オークランド空港。私たちは香港に帰るべく、クライストチャーチから到着した国内線ターミナルから国際線ターミナルに移動するため、空港内のシャトルバスに乗っていました。前の座席には大柄な年配女性2人が座っていて盛んにおしゃべりをしています。空港関係者らしく制服を着て1人は手にトランシーバーを持っており、交信の声が盛んに漏れてきます。

全行程5分前後の短い距離でしたが、途中の唯一のバス停で何人かが降りていきました。その時、前の2人も立ち上がったかと思うと、やおら私たちの方に向き直り、
「どちらまでですか?ターミナルはおわかりですか?」
と、とても丁寧に話しかけてくれました。

「ありがとうございます。香港まで参りますので次で降ります。」
と、こちらも思わずかしこまって答えると、
「おわかりでしたら何より。それでは・・・・」
と、その後に「ごきげんよう」とでもつきそうなクラシカルな挨拶で締めくくるとバスを降りていきました。

ニュージーランドで数限りなく受けるこうした対応を、何と表現していいのか長い間わかりませんでした。「丁寧さ」「フレンドリーさ」「優しさ」「責任感」「思いやり」「おせっかい」「人懐っこさ」「野暮ったさ」・・・人によっていろいろな印象があることでしょう。

高い人口密度の割に他人とは異常に距離を置く都会暮らしにどっぷり漬かっている人間には、見ず知らずの人が頼んでもいないのに自分にかかわってくるということは、かなり珍しく、戸惑うことで、嬉しかったり、面倒くさかったりするものです。

しかし、私はキウイのこうしたさり気ない気遣いが非常に心嬉しく、その度に反省させられることしきりです。「他人を他人と認めるのが良識」とばかりに知らない人と徹底して没交渉でいるうちに、都会に住む人は他人とのかかわり方を忘れ、道を聞く以外、声をかけることすらできなくなっているのではないでしょうか?それどころか、明らかに助けが必要とされる状況でも、故意に見なかったことにして通り過ぎてはいないでしょうか?

ある日、同僚のキウイとNZの不動産市況の話をしている時に、彼が何気なく"コミットメント"という言葉を使った時、私の頭の中でパッと電球が灯りました。
「これだ!」
英辞郎によれば、「献身、参加(意欲)、かかわり合い、肩入れ、義務、責任、約束、方針、公約、交際すること」等、4項目に分かれた解釈がありますが、これらすべてがこの1語にギュッと凝縮されており、それがまたキウイと他者との関わりを端的に表現しているように思えたのです。

まるで謎解きのパスワードが分かったみたいに、
「そう言えば、あそこで会ったあの人も・・・」
「あの時のこの人も・・・」
と、旅先で会ったキウイたちがコミットしてきてくれた場面が、次から次へと蘇ってきました。

オークランドで水族館のケリータールトンに行った時のこと。チケット売り場で、
「大人2人、子どもが・・・」
と言いかけた私たちに、
「その人数だったら・・・」
とファミリーチケットを薦めてくれたアルバイト風の若いお兄さん。彼にとっては一期一会の私たちがいくら払って入場しようがどうでもいいはずですが、その一言で私たちはNZの行楽地には家族向けの割引チケットがあることを知り、以来、どこに行ってもチケットを買う際には確認するようになりました。

日曜日だけ運行している蒸気機関車に乗ろうと、ティマルから少し入ったプレザントポイントに行った時には、
「子連れだったら丁寧に頼めば、機関室に入れてもらえるかもしれませんよ。ウチは先月、入れてもらったんです。」
と、駅前のカフェのウェイターに声をかけてもらったこともあります。私たちが彼の忠告に従ったことは言うまでもなく、親子でとても楽しい、特別な思い出ができました。

(※ボランティアによる手弁当の運行)


たくさんのキウイ達から教わった"コミットメント"は、今では"継続は力なり"と並ぶ、私の生きる指針になりました。知らない人や事に関わっていくことは、面倒だったり、気恥ずかしかったり、
「厚かましいと取られはしないだろうか。」
と心配だったりで、結局、「ま、いいか」と流してしまう方が圧倒的に多いことでしょう。でも、最近の私は「ま、いいか」の直前で多少は踏み留まれるようになりました。この勇気はキウイたちからもらいました。移住前でもキウイ生活への小さな一歩を踏み出しています。


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編集後記「マヨネーズ」  
先日、ご近所に誘ってもらい、家族で行った小学校の学園祭。子どもたちが通うイギリス系インターナショナルスクールの系列なので、親しみがあり毎年のようにお邪魔しています。校庭を走り回っていた長男が、
「ママ!"ママ・ティナ"のお店がある!」
と教えてくれました。"ママ・ティナ"とは、ベトナムやモンゴルでストリートチルドレン支援を行っている、自らもアイルランドでストリートチルドレンだった経歴のあるクリスティーナ・ノーブル氏のことです。

行ってみると、クリスティーナ・ノーブル子供基金の香港支部がブースを出していました。ずっと活動が気になっていて、インターネットで調べればすぐにでも連絡先がわかることを十分承知していながら、何もして来なかった私の前に忽然と現れたブース。

座っていた白人とインド系女性2人と挨拶しパンフレットをもらい、家に帰ってからはベトナムの子どもの里親になるために小切手を切り、買ったきり積読していたノーブル氏の著書を改めて手にしました。以来、少しずつ読んでいます。その後、基金の方から丁寧なご連絡ももらい、私の"コミットメント"は後戻りできないところまで既成事実化しました。

ここまで来れば大丈夫。躊躇いを乗り越え自分以外の人を巻き込んだので、あとは前に進むだけ。そう言えば、ずっと見つけられずにいたノーブル氏の著書2冊は、NZ旅行の際にオークランド空港の本屋で、新刊書を押しけ店頭にズラっと平積みされていたものでした。とことん、キウイつながり♪


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後日談「ふたこと、みこと」(2021年1月):
基金を通じてベトナムの女の子の里親になりました。当時11歳でした。赤ちゃんには里親候補がすぐ見つかっても、大きい子にはなかなか見つからないと聞いて手を挙げ、大学卒業まで支援しました。

(※トランちゃん)


支援終了後は16歳の別の女の子の支援に切り替えましたが、その子が進学を諦めて働き始めたので10年以上続いたベトナムへのコミットメントはそこで終了しました。今はNZとオーストラリアでできることを息長く続けています。