ニュージーランド移住記録「西蘭花通信」

人生の折り返しで選んだ地はニュージーランドでした

深いビーズの泉にて

2002-02-03 | アクセサリー作り
地下鉄の駅を出ると、もうそこはディープな香港の下町。露天商が思い思いの物を地面に堆く積み上げて売っているかと思えば、屋台が道にせり出し、商店の軒先の商品も歩道に溢れ、それらを見て回る人が道を埋め、その人たちが手にしている屋台で買った串ダンゴやソーセージから汁がしたたり、彼らがぶら提げている買い物袋が、残された空間を更に狭くしているといった、濃厚な光景が充満しています。そう、ここはシャムシュイポー。

シャムシュイポー(中国語表記では深水に土ヘンに歩)は九龍サイドの中でもかなり下町に属し、コンピューター関連のものなら本物からニセモノまで何でも揃う街でもあります。私のように香港島で生活している身には、ここはもう外国に近く、中国へのボーダーを超えたような気分にさせられます。視界から英語表記やスーツ姿、革靴が目に見えて減り、変わって労働者風の中年男性が増え、競馬新聞を小脇に爪楊枝をくわえながら屋台を冷やかしていたり、半裸の男が納入品を山積みにして足早に荷車を押して行くかと思えば、頬かむりをした老女が回収してきた廃品をやはり荷車に載せてゆっくりと通り過ぎていったりします。

そんな風景の中に、会社帰りの私はスーツにハイヒールという場違いな格好で飛び込み、足早に屋台街を抜けていきます。目指すのは汝州街という殺風景な問屋街。この両脇には手芸用品問屋が鈴なりで、レース糸、ジッパー、ボタン、レース、リボン、皮ひも等ありとあらゆるものが、店の天井まで堆く積まれています。売っているものは総じて美しいはずのものなのに、よくもここまで味気なくディスプレーできたなと感心してしまうくらい、どの店も雑然とした印象です。整理のされていない店は倉庫がそのまま店舗になっているような状態です。これらの店の間に目指すビーズ問屋が点在しています。

着いた時間によって回る順序が決まりますが、6時までなら連豊に走り、大振りなガラスビーズや仕上げが凝っているプラスチックビーズを見て回ります。ここは問屋の中では広い方で、奥行き15メートルぐらいある店に入ると、5列の棚の両側にプラスチックケースに入ったビーズがびっしり並んでいます。それだけでも壮観ですが、壁にもきれいに研磨した天然石が紐につなげられてずらりと掛けてあります。

入り口でまず一つ深呼吸。どんなところかよく知っているのに、ここに来ると胸が高鳴り息苦しくさえ感じます。
「今日はどんなのが入っているだろう」
「この間買ったアレはまだ残っているかな?」
「もっとお金をおろしてくれば良かった」
などと一瞬にしてさまざまな思いが心を過ぎるものの、
「ええい、ままよ!」
と、おもむろに近くにある"おたま"と薄汚れたプラスチックのバスケットを手にしていざ出陣!

香港の問屋はプラスチックケースに入ったビーズを、"おたま"もしくは"ちりれんげ"(本当に食事に使うアレです。すべてプラスチック製)で好きなだけすくい、それを店が用意している小さなビニール袋に入れてレジに持っていくという、完全な量り売り制です。いつものように10数枚ビニールを用意し、気に入ったデザインのものを見つけると全色ビニールに入れていきます。

ものによっては10色近く揃うのもあるので、同じ袋に2~3 色混ぜてしまっても見る見る袋が埋まっていきます。ビーズの粒にもよりますが、通常では好きな色は"おたま"で3杯、それ以外は2杯、「ちょっとどうかな?」と試し買いなら1杯…を目安にしています。例え1杯でも"おたま"なので、きれにパックされて一つ数百円で売っている日本のパッケージ物に比べれば10倍ぐらいの量になります。

お目当てはレジ近辺にある新作です。定番は在庫を切らした時に買い足す程度ですが、毎回この量を買うので使い切るということがほとんどないため、98%は新作を仕入れることになります。新作はせいぜい3種類ぐらいですが、それ全部を全色買っているとすぐ数キロ単位になってしまいます。

新作の脇当たりにある前回の新作も気に入ったものであれば買い足し、プラスチックケースの残りが少なければ、もう"おたま"ですくわずに、残りをザーッとビニール袋に入れて買い占めてしまうこともあります。それから店内を軽く一周して見落としがないか確認し、最後に壁にかかった紐に通した天然石を10本近く外してレジに持っていきます。

店は家族経営で、老夫婦、若夫婦と使用人が数人、いつもレジのところでおしゃべりをしながら米袋並みの大きさの袋に入ったビーズをプラスチックケースに空けています。まるでセメントでも流し込んでいるように投げやりで機械的な作業ですが、私の目はその袋から流れ出るビーズに釘付けです。もしも新作であれば、その段階で「待った!」をかけて見せてもらいます。

例え新作でなくてもそのザァァァーという重みのある音に心が踊ります。人によってはこれがお金であれば・・・と思うところかもしれませんが、私にとってはそれがビーズであるからこその胸の高鳴りなのです。本当にこの一粒一粒の美しさは私にとり、金額以上の価値はないコインに比べ、組み合わせやデザインでいか様にもその価値である美しさを高めていける、大きな可能性を秘めたものなのです。それを眺め、手にし、カタチあるものに作り替えていくことは、私にとって宝石の原石を磨いていくような楽しみなのです。

しかし、そんな私の思い入れには全く無頓着の店の人たちは、市場で肉でも売っているかのように、古ぼけた秤に私の選んだビーズを乗せ、中味にはひとかけらの興味も示さず、
「5ポンド(約2.5㌔)」
と重さだけをぶっきらぼうに言ってきます。この店のガラスものはポンド当たり約千円強なので、そこから気分で軽く値段交渉をし、15~20%負けてもらったりします。ビーズはビニールの袋の口をホチキスでバチバチ留められ、更にスーパーのレジ袋のようなペラペラの袋に入れられて一丁上がり。

この一連の無造作な流れを経て、いよいよビーズは私の手に。本当は抱えて走って帰りたいぐらいですが、連豊が閉まる6時以降は次の店へ。ここに足を踏み入れてしまった以上、これぐらいでは帰れないのです。 


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編集後記「マヨネーズ」
今回の「西蘭花通信」読まれて、
「問屋に出入りするって、西蘭みことは業者?」
と思われる方がいるかもしれませんが、残念ながらそんないいモノではなく、単に趣味が高じて大人買いに走っているだけです。でも目くるめくシャムシュイポーの様子もお伝えしたく、何回かに分けてその魅力(?)をお届けできれば・・・・


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後日談「ふたこと、みこと」(2019年5月):
連豊なんて、なんて懐かしい名前(涙) 趣味が高じた当時の大人買いも、40代後半から徐々に始まった老眼で宝の山。そろそろ、どうにかしないと~