limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
たまに、写真も掲載中。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ

パールハーバー

2016年12月03日 16時06分53秒 | 日記
2016年も残りわずか、12月ともなると、あわただしさが増してくる今日この頃、またあの出来事があった日がやって来る。大多数の日本人にとっては、もう遠い記憶の彼方の事なのかも知れないが、アメリカ人にとってはどれだけの時間が経過しようとも、忘れえぬ日である。1941年12月7日、日曜日。今から75年前のこの日、日本軍機動部隊は、ハワイ真珠湾を奇襲攻撃した。以後4年半に渡る「太平洋戦争」が始まった日なのだ。8月15日は、毎年終戦の日として戦没者の霊を慰める「祈りの日」となっているが、開戦の日である12月8日は、歴史に興味がない人々にとっては、あわただしい師走の1日に過ぎない。だが、アメリカの人々にとっては「屈辱の日」以外の何物でもない訳なのだが、なぜ日本は「奇襲攻撃」を選び、日米開戦に至ったのか?詳しい事は、学校の教科書にも記述がない。戦争の惨禍を再び起こさぬためには、その経緯をしっかりと知るべきだと思う。「パールハーバー ~日米の運命を決めた日~」1991年にNHKスペシャルで放送され、大きな反響を呼んだ番組がDVD化されている。もし、興味のを持たれたならば、一度見ておく価値はある。開戦50年に当たる1991年12月4日に放送されたもので、NHKとアメリカABCとの国際共同制作された力作である。日米のどちらに偏る事もなく史実を忠実に追った内容は、高く評価できる。日本は、石油で追い詰められた事。真珠湾攻撃には、強い反対意見があったが、連合艦隊司令長官山本五十六の意向で実行された事。その山本長官もアメリカとの戦争には「勝ち目がない」と知っていた事実。航空機で戦艦を沈めると言う戦術そのものが「賭け」であった事。様々な史実を見て、当時を知る人々の証言を聞くと、今でも「なぜ引き返さなかったのか?」と思う。だが、当時はそんな風潮すら無く、ただただ運命に向かって進むしか無かった事も分かる。今、この瞬間ですら、世界の何処かで命が失われていく中、そうした悲劇を繰り返さないためにはどうすればいいのか?先人に学ぶべき事は、まだまだ沢山ある。