limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
たまに、写真も掲載中。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ

高齢運転者交通戦争-3 許されざる者達へ

2017年04月02日 08時48分29秒 | 日記
恐れていた事が現実となった。4月1日の朝刊の片隅に掲載されていた記事だ。

88歳運転手を不起訴
横浜の小1死亡 判断不能の可能性
横浜市港南区で昨年10月、集団登校中の小学生の児童の列に軽トラックが突っ込み、1年生の田代優君(当時6歳)が死亡した事故で、横浜地検は31日、自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死傷)容疑で送検されていた無職の男性(88歳)を不起訴処分(嫌疑不十分)とし、発表した。地検などによると、男性は精神鑑定の結果、アルツハイマー型認知症だったと診断された。昨年10月27日朝に自宅を出発。認知症の影響で自分がどこにいるかわからなくなり、事故までの24時間にわたる運転で疲労が蓄積されていたとみられる。地検は男性が運転を止める決断もできなかった可能性を否定できず、過失は問えないと結論づけた。

容疑者である高齢者が「認知症」だから刑事告訴を断念する。これは今後、増えることはあっても減ることは無い「悪夢の判断」と言えるだろう。何の罪もない小学生を殺傷しながら、当のご本人はのうのうとしていられるのだから「怒りを通り越して、この手で絞殺したくなった」と言うのが正直な感想だ。今後は民事訴訟で賠償金の請求を訴えるしか容疑者の責任は問えない事になったが、検察当局としては「あらゆる手を使って容疑者を獄へ送る」べきではなかったのだろうか?少なくとも「認知症と診断されれば、刑事訴追は免れる」と言う悪しき「前例」を作った罪は断じて許しがたい。何の罪も非も無い幼い子供の命を奪いながら「平然と生きている」ことが果たして許されるのか?「認知症」だから刑事訴追をしないと言う判断は「本当に正しい」のか?殺人者を「野放し」にするのが法治国家として正しい判断なのか?私は「認知症であっても、殺人者は正当な裁きを受けるべき」だと思う。自己の判断能力云々よりも「人を殺めた」と言う事実は消去できないし、何より遺族の「心情」を思えば、今回の地検の判断は「大間違い」だと断ぜざるを得ない。

医師の判断で「責任能力がない」とされても「殺人者」のレッテルは剥ぐ事は出来ないし、何より「亡くなった命は戻らない」のだ。訴追を断念した事は、今後、高齢者が事故を起こして殺人者になっても「認知症」のフリをすれば「罪を問われない」と言うとてつもない不条理がまかり通る事になってしまう。これから増々増加するであろう高齢者の交通死亡事故を裁く上で「逃げ道・抜け穴」を作ってしまった事は痛恨の極みである。例え「責任能力」が無いとされても人一人の命を奪ったのだから、法に従って正当に裁くのが法治国家としての義務であり、高齢者に対する「警鐘」になったはずだ。贖罪を免れてのうのうと生きていける様な社会を先例を作ってはならないのだ。現在、認知症と疑われる高齢者が運転を続けているケースは、調べだしたらキリがないくらいだろう。この瞬間にも建物へ突っ込んでいる高齢者は全国にいるはずだ。こうした「殺人者予備軍」から免許証を「返納させる」には、厳罰をもって処断するしかないのだ。事故を起こしたならば、例え認知症であっても「刑事訴訟法」をもって正当な裁きを下さなくてはならないのだ。高齢者でも認知症でも「罪は償う」のが当然の事。投獄されるのが「当たり前」でなくてはならない。以前にも記したことだが、高齢者から免許証を取り上げるためには、手段を選んでいるヒマはない。罪もない人々の犠牲を一刻も早く無くすためには、高齢者に「運転させない」事しかない。軽度の違反でも即時「免許停止」にする。そして「短縮講習」は受けさせない。自身が「如何に危険な存在か」を身をもって体現させる。警察・検察はあらゆる手段を講じて「送検し訴追する」。自分が事故を起こせば、周囲にありとあらゆる迷惑が降りかかることを高齢者に知らしめるべきだ。今回の「不起訴」の判断は、高齢者を増長させ、新たな「悲劇」を続発させる引き金になるだろう。そうした悲劇が再び起こった時に悔いても、事は取り返しがつかないのだ。許されざる容疑者とその親族・家族は何を考えているのかは知る由もないが、あなた達の犯した罪は消えたわけではない。贖罪を一生背負って生きていくのだ。そのことを忘れるでない!!