フェイスブックをやっているのだが、「200万円の宝石が拾える糸魚川の海岸・一攫千金・お宝探し」といった類いの記事がよくシェアされて、ウンザリしている。
現在、ある子供番組でヒスイ拾いをテーマにした企画と関わっているのだけど、当初はやはり「一攫千金のお宝探し」という内容が全面に出ていた。
モノをお金に換算する現代人・・・。
でも糸魚川ヒスイの存在が忘れられていた時代、糸魚川ではヒスイは単に重たい石というだけの扱いで、屋根の重石や漬物石に利用されていた。
ところが縄文人は、数ある石の中からヒスイの尊さを発見している。
自宅から出土した古墳時代のヒスイ勾玉・・・ぬなかわヒスイ工房は奴奈川族の玉造遺跡の真上にあるのだ。
そして困難な加工に挑み、五千年前には七百八十キロの海のヒスイロードを経て青森の三内丸山遺跡、三千三百年前には黒潮の海を逆行して沖縄本島まで運んでいる。
私にとってヒスイは故郷の祖先たちの偉業を顕彰する歴史的存在。
勾玉の背中のカーブとぴったり一致した筋砥石も、勾玉と同じ所から出土している。いったいどれだけ時間を掛けていたのだろう?
縄文人はヒスイにどんな想いを持っていたのか?
ヒトは何故、モノを産み出すのか?
何故、イノチを掛けてまで艱難辛苦の旅に出たのか?
ヒスイは無言の内に多くをモノガタリする。
ヒスイの価値に気付かない内は漬物石・・・誰もパワーストーンとも貴石とも言わなかった。
ヒスイの嘆きが聴こえるようだ。
そんな見解をテレビ番組のデレクターに訴えていたら、私が力説し続けている「ヒトとヒスイのモノガタリ」という視点も加わってきた。
ヒスイを安易にお金に換算する風潮に物申す!
その口ぶりが、翡翠は楽に拾える物だとタカくくり、翡翠拾いしてる私に売れば高く買ってくれると当て込んでるみたいでカチンときた。
運が無いからか、私でさえ何十回と拾いに行っても中々これは⁉︎とゆう宝石質の翡翠は拾えてないのに。
翡翠拾いは売ってお金にするためじゃない、翡翠の緑色は綺麗だし 悠久の地球の歴史の一部に触れてる気もするロマンもあるのに。
以前バレンタインデーの義理チョコのお返しをチョコの半分にも満たないチロルチョコで済まされ、ケチ男がタナボタあてこんでんじゃねぇ‼︎と言いたくなった。