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冬休み特集、銅鐸大解剖!

2017年12月30日 11時50分20秒 | ぬなかわヒスイ工房

冬休み特集「銅鐸大解剖」!

昵懇を頂いている考古学者から再現実験で作った銅鐸を二つを年末に頂き、銅鐸は砂型から出しただけだと砂の痕が付いてザラザラしていると知った。

本来は木炭などで研磨してザラツキを除去するらしいが、右側がザラツキ除去前、左側はヒスイ加工機材を使って研磨してみた。

銅鐸の本家の中国では、本来は馬鐸という手の平サイズの小型。日本列島に輸入されると徐々に大型化していき、五百年の間に1mを越えるようになる。頂いた銅鐸の寸法は縦16㎝×横幅11㎝弱×縦幅6㎝ほどの標準サイズ。出土品の銅鐸の厚みは3㎜だが、現代の名工でも5㎜が限界とのこと。

上部から見てみる・・・2つの孔は、鋳型の外側と内側に隙間を作るための内側鋳型の足の痕跡で、この孔から舌(ゼツ)という錘を下げて風鈴のように音を出していたらしい。

 銅鐸の頭部の孔に紐を通してぶら下げていたらしい。

横から見た図

トンボは後退しないから戦国武将が勝ち虫と呼び、兜の前立てなど好んで武具の飾りに取り入れていたのだが、弥生時代の人はどう考えていたのか?

こちら面は未研磨状態・・・鹿と犬?の意匠が施されている。

 

銅鐸って緑色じゃないの?具体的にどんな形状なの?そもそも何の目的で作られたの?等々、ぬなかわヒスイ工房を訪ねてきたお客さんや体験会参加者の知的好奇心を刺激してくれるに違いない。


とりあえずの私の疑問・・・銅鐸の数え方は1基?1台?1個?(笑)

追記:その後SNSで、銅鐸は一口、二口と数えるのだ!と教えてくれた方がいらっしゃいました。


佳いお年を!



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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
初コメです (ブランフェムト)
2018-01-07 23:05:06
今日は玉依比売命神社の児玉神事の陳列ケースを見に行きました。
茶色のジャケットを着てました。
以前陳列ケースを見にいった事があり 去年は数えている様子を途中から見る事が出来、今年もと思ったけれど早起きできず家出るのが遅く道間違えたりして間に合わず。
去年見習い〜と書いた名刺と共に翡翠勾玉があるのを見たけれど 今年その本人に会えるとは思いませんでした。
数年前自宅下から翡翠工房跡が発掘〜の書き込みを見て 何という工房なんだろう?と思って分からずじまいだったのと同じとは⁈。
と、前置き長くなりましたが、私のいる中野市の北部で約10年前に関西風と関東風の銅鐸がまとめて出土して話題になった事がありました。
祭事に使ったんじゃないか?との事でした。当時は王様的権力者がいたのかと悠久の歴史を感じました。
連れて行った同時小学生低学年の甥っ子は恐竜居たの?と聞き(笑)。
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コメントありがとうございます。 (縄文人(見習い))
2018-01-08 08:00:06
ブランフェムトム様

眼鏡の女性ですね?
コメントありがとうございます。
知人の女性学芸員さんは、インデイジョーンズみたいな冒険をしているの?と子供に聞かれて絶句したそうです(笑)
実際の考古学者の仕事は地味で根気のいる仕事。
ヒスイや縄文関連のネット情報は根拠のない独断的・独善的な情報が溢れていますが、私は考古学者と交流をすることで自説を展開するように努めております。
そのお陰で人類最古のヒスイ装飾品である山梨県北杜市の天神遺跡出土のヒスイ大珠を発掘した考古学者さんから勾玉の注文を受けて、この銅鐸はその方からお礼として頂いたのです。
茅野市の「尖石遺跡」、富士見町の「井戸尻遺跡」甲府市の「釈迦堂遺跡」は凄い出土品が沢山あります。
是非とも子供たちを連れて、地域の文化財を訪ね歩いてみてください。
郷土愛や先祖への畏敬の念が沸くことでしょう。
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メガネはしてません (ブランフェムト)
2018-01-08 17:37:49
陳列ケース挟んで右向かい側で猫イラストのバッグを持ってました。猫好きなんで(笑)。
先に書いた、青森県三内丸山遺跡で当時の縄文人はお酒作って飲んでいたらしいとボランティアガイドさんの説明に 昔の人も今の人みたいに 旦那さんが酒飲んでクダ巻いて酔っ払い、奥さんにゴロゴロして酔っ払いが⁉︎と文句言われてた事もあったかもしれないと想像して昔も今も変わらないと思えました。
当時の寿命は30〜40歳だかで短いけれど精一杯生きてたんじゃないかと。
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