縄文人(見習い)の糸魚川発!

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縄文人(見習い)号誕生!・・・いざ海へ

2014年03月03日 23時57分53秒 | こんなモノ作った!




シーカヤックのハッチカバーが無かったので、中村造船さんに相談したらサービスでFRPで蓋を作って頂けた。
FRPの素地そのままだったので、この機会にシーカヤックの全塗装をすることにした。

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以前はデッキの黄色とボトムの白が劣化してみすぼらしかったのだ。



どうせ塗装するなら、海で目立つ赤系が好ましいし、縄文人(見習い)としては縄文カラーである赤・黒・白の三色に拘りたい。


塗装のことなら男気溢れる赤野塗装板金さんに相談するのが一番。
色々教えて貰って何とか完成したのがこの写真。

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船尾から見たところ。

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楕円形の蓋が中村造船さんから作って頂いたハッチカバーで、描かれているのは縄文土器によく施文されている二重反転螺旋文。
ベース色の赤は明るいオレンジレッドにして正解だった。

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船首には西洋帆船のフィギュアヘッド、あるいは中国福建省~エジプトに掛けて分布する伝統船の龍眼と同じく魔除けの意味で、縄文中期(五千~四千年前)の信州地方の土器に施文されている蛟文文を描いた。
蛟文(ミズチ)とは水の精霊のことで、海の魔除けに相応しいと思ったのだ。

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船首ハッチカバーの後ろには、台湾の海洋民族であるダーウー族(Dawu族)が好んで漁船に描く魔除けを簡易にして描いた。
この文様も手が蕨状に巻いている所なんかが、信州の縄文土器に見られる亀の文様に似ている。

彼らはタタラ(大型の舟はチヌリクランと呼ぶ)というゴンドラ型の手作り漁船で飛び魚漁をする人たちで、祖先はフィリピンのバタン諸島からやってきたと伝承されている。

民俗学や台湾国内での彼らの民族名はタオ族とされているが、これはピン韻で本来はダーウー族といい、彼らに名の由来を聞いたら「人間」という意味だと教えて貰った・・・アイヌ、イヌイット、アボリジニと同じ。

面白いことに彼らのデザインも赤・黒・白の三色で、シーカヤックに描いた二重反転螺旋やギザギザの鋸歯状文といった縄文デザインとそっくり同じ伝統文様であるということ。

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台湾本島の東に浮かぶ孤島、蘭嶼島は高校生の頃からの憧れの島で、念願かなって15年くらい前に行って撮影した大型のチヌリクラン。


日本の古代と同じで、ダーウー族も赤はベンガラ、黒は煤、白は焼いた貝殻の粉末(胡粉)から作っていたようだが、現在は油性ペンキが使われていた。

古墳時代には九州で発達した装飾古墳、奈良時代には「隼人の盾」にそっくりなじデザインが残っているが、興味深い符合だ。

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平城京跡から出土した隼人の盾(左)とレプリカ(右)
日本の美術5「まじないの世界I」より転載


海があるからこそ遠くにも人が移動できたし、文化も伝わったんだよなあ・・・海は古代からハイウエーだったんだよなあ、と実感する。

船首・船尾とコックピット両サイドには「mont-bell」のステッカー。

アウトドアウエアーの国内最大手、モンベルさんの「チャレンジ支援事業」に応募したら、ウエアーや機材類の割引をして貰ったので、せめてもの恩返しのつもり。
と言いたい所だが、傷隠しに丁度いい大きさで助かったのだ。

因みにシーカヤックに描いた文様は下書き無しのフリーハンド!
多少の歪みはあっても、大雑把な感じがいいと思う。

シーカヤックの名前も付けた。
縄文人(見習い)号!
諧謔精神があって悪くない名前だと思うけど、どうだろうか?













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