住職から親父の葬儀についての要望を聞かれたので、私が産まれた時に親父は拳と命名するつもりが、乱暴者になると困ると周囲から反対されて修としたそうなので、せめて本人の法名に拳の文字を入れて頂くことは可能でしょうか?と聞いたら、住職は笑って快諾してくれた。
つけて頂いた法名は、「釋 阿拳」(しゃく・あけん)
釋は釈尊の弟子という意味、拳という漢字には一生懸命という意味、阿は阿弥陀如来の阿であると同時に手放すという意味があるとの説明をして頂いて、親父にピッタリな法名だと一同納得。
遺影はダイニングでお袋と並んだ写真をトリミングしてもらった。喪服をコラージュしてもらうより、ざっくばらんに日常着のままの方が親父らしい。
葬儀の打合せの席で、元気なころから親父がお袋に
①俺が死んだら通夜の席で国体の時に出したラブレターを孫に読ませろ!
②出棺の時は映画「ロッキー」のテーマ曲を流せ!
と言っていたのが遺言といえば遺言と聞き、自分の葬式を笑いのネタにする野放図さに「ダボだっちゃ~!」と一同爆笑。ダボはバカ・アホという意味の方言で、使われ方はバカより軽くてアホに近い。
「カカカカッ、親に向かってダボっちゃあるかや!」と、親父も笑っているに違いない。
大上段に構えた四角四面の真面目さは気恥ずかしくて、江戸っ子気質に似た照れの裏返しの諧謔は親父も私も同じ。
ちなみにラブレターはボクシングの恩師の代筆で、「教子さんへ・・・僕はいま、兵庫の小川のせせらぎが聴こえる宿でこれを書いています・・・」と、親父のボキャブラリーではあり得ない言葉の数々が綴られていて、先輩方にからかわれながら試合の緊張をほぐしていた様子が想像できる。
1953年兵庫国体の前夜。青春まっただなかの明19歳の秋。
それならと、ボクサーが引退セレモニーの時に鳴らすテンカウントの代わりに、鈴(りん)を10回たたいてから出棺しようではないか!と提案したら、姪に「ホントにやるの?バッカみた~い!」と一笑されたが、やるの!親父が喜ぶからっ!(説得①)
鈴を鳴らす役を頼んだ叔父は、檀家代表を務める熱心な浄土真宗信者なので、法名といい、テンカウントといい、ホントにいいの?考えなおした方がよくない?と首をひねっていたが、いいの!親父が喜ぶからっ!(説得②)
「ロッキー3」の「アイ・オブ・ザ・タイガー」をエンドレスで流した一般弔問には、かっての糸魚川ボクシングクラブの練習生たちが数十年ぶりに集まってくれた。
子供のころに遊んでもらった10代、20代の兄貴たちが、白髪の爺ちゃんになっていたが、すぐにわかった。親父が集めてくれた懐かしい顔、顔、顔、顔の数々。
セレモニーホールのロビーには故人の生涯を紹介する飾りつけ。弔問客を案内してはラブレターを読んでもらった。
葬儀の後の棺に花を入れる際は、シンミリと「ロッキーのテーマ」のスローテンポなピアノバージョンを流した。
鈴のテンカウントの後にいよいよ出棺。
トランペットのファンファーレで始まる、お馴染みの「ロッキー」のテーマ曲が流れて笑いが起こると思ったら、みんな泣いた。
親父の行動原理には野心や損得勘定というものはなく、人を楽しませることが好きで、好きなことや仕事に一途に取組んでいるうちに、自然と人が集まってくる生涯だった。
その姿と、ロッキーが走る後ろから子供たちが追いかける場面に重なったから、泣かれるのはごもっとも。
通夜直前から豪雨となり、夜通し続いて出棺直前に快晴となり、葬儀がすべて終わってから雨がシトシト降り出した。
「ほれ見ろっちゃ・・・日頃の行いエエそいね、大雨で清めてからエエ天気、最後は涙雨だわ」
親父、天気まで味方したと絶対自慢してますよね。
山田さんなら絶対してますネ、絶対・・・住職と笑いあった。