縄文人(見習い)の糸魚川発!

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地質図と地図でブラカトリ・・・5,000年前の地域の姿を推測する

2021年10月29日 07時49分36秒 | 縄文

地質図と地図でブラカトリ

三内丸山遺跡までヒスイを運んだ縄文時代の「海のヒスイロード」の出発地はどこであったのか?
 
現在の天津神社前から糸魚川駅付近までが湖沼域であり、そこから海に出たという確かな筋の説があり、その位置を知りたかった。
フォッサマグナミュージアムの香取学芸員に相談したら、彼の元職場の「地質調査総合センター」でWEB公開している「シームレス地質図」で、海面上昇シュミレーションの機能があると教えてもらい確認したら、まず「図幅」という地質図でその付近が水色に塗られた「泥及び砂」堆積物であることが判明した。
さらに縄文中期前葉の海面上昇を5mと想定したシュミレーション図を重ねてみたのがこれ。駅前は浅い湾になっており、鉄道付近でかっての湖沼域に接しているゾ!ちなみに私の子供の頃は糸魚川駅の南側は大雨で床上浸水することが多く三反田という地名だった。
 
この作業が面白いので、さらに国土地理院のWEB地図で標高5mまでを濃い青で塗ってみたのがこれ
 
天津神社と市役所が湖沼に突き出た半島であったことがよくわかるだけでなく、長者ヶ原遺跡を源流とする城之川が湖沼に流れ込んでいることが確認できた。
 
遺跡から城之川のV字谷を下れば1キロ弱で湖沼に出られるのだが、その標高差は80m前後。
 
このV字谷は現在は樹々が生い茂っていて歩くことが困難だが、明治時代に新田開発のために導水トンネルを掘ったと書かれた石碑とその痕跡を森の中で発見したことがあり、これまで調べていた蓄積が一気に繋がっていった。
 
標高5mを汀線に塗った国土地理院の地図で全国の主要遺跡や都市をチェックすると、遺跡は岬や沿岸の微高地に位置するし、都市部は汽水湖や海の底にあった沖積平野であることも一目瞭然で面白い。
 
ただし汀線が全国一律に同じ標高であったことは考え難いので、あくまでも参考データ。より「確からしさ」を高めるには、シームレス地質図で堆積物を確認して、地域の民俗誌や歴史を調べる必要もある。
 
しかし最近になって発見された、上越市大潟区で発見された沿岸の高地性の前方後円墳も汽水湖の沿岸であることもわかった。
 
古墳空白地帯だった新潟県内でも、昨年は下越の沿岸の高台から前方後円墳が発見されており、これらの地質図や地図を使いこなせば、アマチュアでも前方後円墳が発見できるかも・・・。
 
たとえば大和政権が越後平定のために青海首(おうみのおびと)を派遣して、糸魚川地域に拠点を作ったことから地名となった青海地区や、ヌナカワ彦が大和の市道将軍と戦った伝説のある能生地区などなど。
 
「四隅突出墳丘墓」が発見できれば出雲勢力が進出した痕跡と証拠となるが、現状ではどちらも威信材の出土がまったくといっていいほどないので可能性はとても低い(笑)
 
興味ある方はやってみてちょうだい。パソコン仕事が苦手な私でも、格闘すること30分~1時間で求める情報が得られましたわ。