縄文人(見習い)の糸魚川発!

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筒石でブラカトリ・・・近くて遠くなった海

2021年10月24日 08時19分23秒 | 失われゆく風景

筒石でブラカトリ。

崩壊が加速化している旧筒石漁港の舟屋群と、筒石集落に香取学芸員をご案内。ほんの数年前まで舟屋の前は砂浜が広がっていたのだが・・・。
 
小泊漁港の東5キロ弱にある筒石も典型的な「帯状斜面集落」の漁業地区だが、小泊のような簡易水道が見当たらないのは後背山地からの地下水が少ないためか?
 
筒石の水嶋磯部神社の由来や民話などは能登との濃厚な関係性を感じさせるが、それを裏付けるかのように糸魚川の中では輪島塗の漆器の漂着物が最も多いエリアだ。ことによると筒石の地名は、能登の珠洲と関係がありそうな。
 
この地区も大正時代に北海道に移住した漁民が多い。
集落の路地がかっての国道8号線で、交通量が増えたことで沿岸の砂浜に国道を移設、漁師が舟屋に通えなくなるので現在の筒石漁港を作ったのだと元漁師から聞いている。
 
かっては海女さんや潜水服を着たヘルメットダイバーもいて、当時の写真をみると東南アジアの漁村のようだ。
昭和な感じの商店。野菜の種も売っている昔ながらの雑貨屋さんは、車を運転しない老人にとって地域の大事なインフラ。
 
糸魚川地区もそうだが、便利なインフラ整備と引き換えに地域特有の「らしさ」が失われていくし、海は近くて遠い存在になる。
 
私が小学低学年の頃までの糸魚川の砂浜は、夏の夕方になると近隣の老人や子供が浜に集まってきて夕涼みをする社交の場だった。
 
浜に戻ってきた小型木造漁船を引き上げたり、地引網漁の手が足りない時など、浜で遊んでいた子供が呼び集められて手伝ったりもした。
 
だけでなく、生ごみの捨て場でもあったので、カラスやトンビ、カモメが漁っていた。生ごみの匂いがプ~ンと漂っていたが、ある意味で循環型社会でエコロジー?
 
地域の人々で海が賑わっていたあの頃が懐かしい。
 
舟屋の前の海の中は、今も竜宮城のように綺麗だ。