北インドのラダックは標高3000m以上のチベット文化圏。
知人のチベット仏教僧から、黒いほどに青い空と草木の生えない月面のような神秘的な所と聞いて行きたくなった。
真冬には雪に閉ざされるので、デリーから飛行機で行くしかなく、本家のチベット以上に原初のチベット仏教が残されている秘境だ。
デリーからエア・インディアを予約したら、ラダックの州都レー上空の天候不順で2回もキャンセルになった。
1回目のキャンセルではラダック上空まで行ってから引き上げたが、この時は雷雲の中で飛行機がガタガタと尋常ではない揺れ方をして、生きた心地がしなかった。
そのお詫びのつもりかデリーに戻ってからは、料金はエアー・インディア持ちで高級ホテルに送迎・食事つきの宿泊クーポン券が貰えて、生まれて初めて高級ホテルに泊まることができた。
ツインの部屋に同室になったラダック人のオジサンは、食後に頼んだチャーイが1杯50ルピーということにガックリしていたが・・・町では2~5ルピーで飲める・・・2度目のキャンセルの時の宿泊は、交通費込みで50ルピーというクーポン券だけ渡されて待遇はえらく落ちた。
3回目のフライトでレーに降り立ったが、ヒマラヤ山脈の山肌を縫うようにジグザグに飛行場にアプローチするので、これも生きた心地がしない。
着陸と同時に客から安堵と入り混じった名人パイロットへの拍手。
レーに到着後から頭がガンガンして高山病になったことを自覚した。三日間ほどで順応したが、この時に食ったリンゴがこれまでの人生で食ったリンゴのなかで一番美味かった。
カシミールアップルという紅玉に似た酸味のあるリンゴ。
高地順応してから、バスとヒッチハイクをして標高4000mのアルチ村を訪ねた。
レーからアルチ村までは乗合バスに乗って村の入り口の麓で降りる。
麓から山羊しかいない山道を1時間歩いて村に到着したが、ダウンジャケットを着ていても氷点下20度では痛いほど寒いし、ゴアテックスの軽登山靴を通して容赦なく足に冷気が突き刺さる。
しかも空気が薄いので10mも歩くと30秒くらいはゼ~イ、ゼ~イと呼吸が荒くなり休憩というペースなので、遭難死するかと思った。
この写真は村の麓のインダス河上流部だが、ゴツゴツと厚い氷に覆われていた。
この村こは現在は世界遺産になったアルチゴンパというチベット寺があるのだ。
この寺の曼荼羅群が有名で、知人のチベット仏教僧はこの前で一晩中瞑想修行したのだという。
ラダックの寺の曼荼羅は普通の見慣れた絹地に描かれた曼荼羅とは違っていて、極彩色の曼荼羅が壁画として描かれており、その壁下地が凸凹した漆喰仕上げになっている点だ。
だから燈明の炎がユラユラと揺れるに合わせて、曼荼羅の諸仏が生きて動いているように観えるのだそう。
アルチ村を歩いていると、陽だまりで三人のお婆ちゃんたちが日向ぼっこしながらヤクの毛を紡いでいた。
厳冬期には珍しい観光客の俺を見つけて、手招きして「ここは暖かだから座って休んでいきなさい。」という雰囲気で、身振りを交えてラダック語で話しかけてきた。
隣に座って「寒いね~!」と身振りすると、お婆ちゃんたちは糸紡ぎを続けながらニッコリ微笑んだ。
彼女たちは手を動かしながらもブツブツと何かを呟いていたので、耳に手を当てて「何ていってるの?」と日本語で話しかけたら、「オム・マニ・ベメ・フ~ム」と念仏を呟いているとのこと。
オム・・・聖音のオーム
マニ・・・宝珠・・・真理
ペメ・・・蓮
フム・・・分離できない「在る」という意味
直訳すると「蓮の華宝珠が在る」という意味だが、一般的に「真意のままに」と訳されるチベット仏教の真言だ。
彼女たちにとって宗教は、生活すること、生きることに直結していることを目の当たりにして感動した。
子育てをしながら、家事をしながら一生、オムマニペメフムと唱え続けて、真意のままに生きて死んでいくのだ。
お婆ちゃんたちと無言の交流を愉しんだあと、村外れまで散歩したら、キーッと変な音が聞こえてきた。
音のする方へ行ってみたら、子供達が凍った川でソリに乗って遊んでいた。
キーッという音は、カチンコチンに凍った氷にブレーキを掛ける音だった。
ソリもブレーキも手作り・・・素朴な人たちだった。