釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

車力屋と町工場

2009年05月26日 23時10分03秒 | 西麻布の昔話(西麻布の夕日)
みなさんは「車力屋」という職業をご存知でしょうか?「車力」というのは、辞書によると「大八車などで荷物を運ぶのを職業とする人。また、その荷車。」ということで、車力屋というのは、今でいう運送屋さんだと思えばいいのではないでしょうか。
実は明治時代に私の曽祖父が広島県尾道の近在から東京に出てきて麻布笄町ではじめたのがこの車力屋だったんです。終戦までその車力屋をやっていました。
場所は今のタイヤ公園のそばだったようです。

現在、二丁目のタイヤ公園のところに「馬頭観世音」の石碑があります。以前タイヤ公園には西澤さんという大きなお宅がありました。この馬頭観音はそのお宅の敷地内にあったものを移動させてお祀りしたとのことです。残念なことに半分におれてしまっていますが、近所の方が丁寧につなぎ合せて現在にいたっています。


ちょっと哀れな馬頭観音さま

ではなぜに西澤邸の邸内に馬頭観音があったたというと、このお宅が車力屋さんだったからです。車力屋は時代が進むと、大八車だけではなく馬を使った運送もしていたようです。その仕事のために飼っていた馬に対する感謝として馬頭観音をお祀りしたようです。

時代が進み、戦前には運送には自動車も使われるようになったようです。でもまだ馬も使われていたようで、我が家でも馬がいたそうです。六十数年前の西麻布は前に書いた牛や馬が飼われているほど、ゆったりとした町だったんですね。

私が子供だった昭和三十年代にも、町内には運送屋さんがありました。もちろんそのころは、佐川さんやヤマトさんがない時代、小さな運送屋さんが小回りのきく仕事をしていたのでしょう。

そういえば三十年代には食品の小さな工場もありました。
タイヤ公園の手前の右側には納豆屋さん。タイヤ公園の奥には煎餅屋さん。GONTAの裏にはシロップ屋さんといっていた濃縮ジュースの工場。てやん亭の奥にも日本橋の有名な煎餅屋さんの工場。今の西麻布には似合わない感じですがいくつもありました。

お煎餅屋さんの一軒は親しくしていたのでよく遊びに行きました。煎餅の焼けるにおいや、醤油のにおいは記憶に残っています。焼きたての今の濡れ煎のようなそこでしかいただけない煎餅も食べました。
もちろんシロップ屋さんの甘い香りや納豆屋さんの豆のにおいも記憶にあります。

元のやまちょうの裏には、豆腐屋さんがありました。豆を煮る鍋から出る湯気や鍋を持って豆腐を買いに行った思い出がよみがえります。

同じように、白金の古川沿いには給食でおなじみのモロズミジャムの工場があったし、麻布十番にはバターボールキヤンディーやライオネスコーヒーキャンディーで有名な篠崎製菓がありました。
そんな小さな食品工場があったのも港区の顔だったんです。

そんなおいしいものに育まれて大きくなったのです。

コメント
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