◆大会終了後、引退する選手は、再度、ジャンプ台に上がり、本当のラストジャンプを飛び、ファンに別れを告げるという趣向。
◆今年は、杉本 輝美(大八清掃ジャンプクラブ)、池田峻二(明治大学)、千田侑也(土屋ホーム)、宮平秀治(ミズノ)、原田雅彦(雪印)の5人。 飛ぶゲートは自分で決められます。杉本、池田、千田の3選手は、最後は派手に行こうということで、42番ゲート(あなりの長さの普通なら一番下まで飛んでしまいますが、今日は追い風で雪がゆるんでスピードが出ないので、大丈夫)からファイナルジャンプを飛びました。
【 ファイナルジャンプを待つ杉本選手 】
【 同じく42番ゲートからスタートする池田選手 】
【 涙涙の千田選手 】
◆宮平、原田の両選手は、36番ゲートから。ラストジャンプも後2人。選手の引退を惜しむファンの声も最高潮に。
【 宮平選手のラストジャンプ 】
【 そして、原田。 】
【 済みません。シャッターチャンスをはずしてしまいました<(_ _)> 】
◆原田のラストジャンプは、112m。きっとアプローチの間に様々な思い出が頭をよぎったでしょうね。リレハンメルの団体での大失敗ジャンプ(※私は、「あの状況」では失敗ジャンプとは言い切れないと思ってますけどね。でも銀メダルだぜ!)。長野の大プレッシャーの中での大ジャンプ。今回の失格騒動。ほんとエピソードには事欠かないお騒がせマンでしたね。
◆ランディングバーンには、「ごくろうさん」の文字。引退する選手は、ラストジャンプを終えここを通過するときには、涙をこらえることができなかったようです。選手を送るファンは、4,100人にもなりました。
◆そして、表彰式。次代を担う逸材たちに日本ジャンプ界の明日が託されました。
◆表彰式の後は、引退する5選手のインタビューとファンとのお別れ式。花束を渡すファンの列は、30分以上の続きました。
◆最後は、選手の引退を静かに見守る大倉山ジャンプ台。いわば、ジャンプ選手の聖地といえる大倉山で引退できる選手たちはある意味幸せですね。これからは、それぞれが第二の人生へ。杉本選手、池田選手、千田選手、宮平選手、原田選手、本当に御苦労様でした。そして夢をありがとう
※「あの状況」とは、
確かにラストジャンパーまでは、日本はドイツと55.2点差をつけ確かに圧倒的に有利な状況だったけど、ラストジャンパーのときに2段くらいゲートが下がり(その前の3番手でもゲートは下げられた気がする。
私は、テレビを見ていて、下げすぎじゃないの?こんなんで飛距離が出るのか実はハラハラしてみていました。)、それなのに、原田の前のバイスフロク(ドイツ。個人ラージヒルの金メダリスト)がその状況の中で、まさかまさかの135.5mのスーパージャンプ(あの状況ではまさにあり得ない飛距離)。
後から計算してみると、原田が105m飛べば日本は金メダルだったんだけどとっさには計算できなかったと思うので、多分あの状況の中では120mくらいは飛ばなければ安全じゃないと思ったと思うし、私もそう思ってみていた。
これが原田には、相当なプレッシャーになったと思う。自分とバイスフロクの実力差(この時代、バイスフロクは他の選手の追随を許さない絶対的な存在でした。)やゲートが一気に下がったことを考えるとかなり厳しい飛距離だと思ったのでは。本人は真相は明らかにしていないけど、ある意味、一か八かで上向きに踏み切ってしまって97.5mと失速したんじゃないかな~とそのときから勝手に思ってました。
この辺はいつか本人に聞いてみたいね。