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nonocanonoco

お久しぶりです。またよろしくお願い致します。

2008年を振り返って~「Kamiくんforever」編~

2008年12月14日 | kamiくんforever
 もう今年も残りわずか、ということで、今年一年を振り返ってみようと思います。まずは「Kamiくんforever」カテゴリーに関して。これはブログをやろうと決めた頃から絶対作ろうと思っていたカテゴリーで、このカテゴリーのためにこのブログ全体があるといっても過言でないくらい、私にとっては一番思い入れの強い文章です。

 実はnonocanonocoは今年の春のあの一件のあとすぐに、別な会社のブログで3月末にオープンしたのですが、ちょっと私には難しすぎて扱えなくて(嗚呼、デジタル音痴・・・)、gooブログにお引越ししてきたのです。なのでnonocanonocoは5月スタートなのですが、実際には「ZIGZO もう二度と会えない君へ」と「aria」の文章はそれ以前に書いたものです。

 まずは「もうすぐ6月21日」。これはgooにお引越ししてきてすぐに書いたもの。当日にアップできなかったら困ると思って数日前にアップしました。あれから9年たった今の私の心境は「ただ悲しい」とか「今も忘れられない」とかじゃなくって、こういう感じです、というのが書きたかった。

 「ZIGZO もう二度と会えない君へ」「aria」本当は全部の哲くんのkamiくんにまつわる曲やエピソードを今年の6月21日までにアップできればよかったんだけど、始めて3ヶ月ではとても時間がなく、とりあえず一番肝心なところだけ・・・と思ってまずこの2曲の話を書きました。今年中に間に合ってよかったです。哲くんの良い曲と優しさが伝わるきっかけになることを祈って・・・・。

2000年夏のkamijoの連載コラム」これはMALICE MIZERファンの間でもLAREINE ファンの間でも当時も全く話題になってなかった話。でも私は絶対取り上げたかった。本当はまずはこのカテゴリーは哲くんの話に特化する予定だったのだけど、当時私の中でVersaillesが盛り上がっていたので予定を変えて取り上げました。

ZIGZO 1999年を振り返ってのインタビュー」これも当時話題になってなかった話(MALICE MIZERとZIGZOはファンが重ならないから、いつものことなのだけど)。でも私はすっごく感動したし、嬉しかった。時を経てもCDや本はわりあい残るけど、雑誌のインタビューって数年たったら、どんなに素敵なことを語っていたとしても消えてしまいますよね。でも私はずっと覚えていたい、と思って。Sakuraさんの話はまだあるんだけど、若干雲行きが怪しくなってきてるので取っておいてます。杞憂に終わることを祈って・・・。

「tonight,I will fall」これは、この時分からなかったことが今は分かっていたりします(それに関しては来年!)。大好きなZIGZOの曲、まだ細くて可愛かった頃の哲くん・・・。それだけじゃ短いので、哲くんについての想いも若干。

「nil birthday」今年はこれで締めたかった!これは3月から書き始めて、ずっと書いていたのになかなか形にならなくて、結局半年かかりました・・・・。一番長くかかったけれど、これまで書いた文章の中で私はこれが一番気に入っています。これが今の私の正直な気持ち。本当に優しくて温かい素敵な曲。本文中に書き損ねたけれど、これを当時一緒に演奏してくれた、nilの初期メンバー樫本さんと茂呂さんにも私はとっても感謝してます。

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 「nil birthday」と「MALICE MIZERの懐かしい話 2000年8月31日」が、私の中ではnonocanonocoを通して最も語りたいこと、伝えたいこと、だったりします。「あの頃のことを今も大切に思ってるよ」ってことと「ずっと元気で仲良くね」っていう、それが言いたかったブログなのかも。これが書けて載せられただけで、このブログの意味はあったかな・・・?と思ってます。なので今後も色々書いていくつもりはあるのですが、もう一番肝心なものは出し尽くしてしまったので、残りカスしか出てこないと思います・・・。

 今後の予定を言うと、年明けにZIGZOの話を2つアップして、哲くんとkamiくんに関しては、現時点ではそれで終わりかな?と思ってます。それ以降はmanaとkoziくんとyu~kiちゃんの、kamiくんにまつわる話を書いていこうと思ってます。

 というわけで「kamiくんforever」の総括でした~。


nil 「Birthday」

2008年10月11日 | kamiくんforever
 2004年5月8日発売になったnilの初の「ニルフルアルバム」(←このキャッチコピー可愛い!)「12inplosion」のラストを飾るのが、この曲「Birthday」です。

「あの頃僕達は なにもかもを手に入れたい
 その途中で過ちや間違いの なにもかもを手に入れた」
「あの頃の10年後 これからの10年後
 言葉にするなんて叶わない かまわない 出来ずにいる」
「色々あったね 特別な事がね
 僕らの世界には 色々あるから 特別な事がね
 僕らの世界がまた始まる happy birthday!」

 「あの頃」とその「10年後」である現在を歌った歌です。2004年の10年前・・・・って事は1994年。「memoire」の頃の話ですね。

 「僕達」っていうのが、哲くんとkoziくんとmanaとyu~kiちゃんを指すのかと思うと、なんだかおかしいです。微笑ましいんだけど、シュールなことは否めません。「あの頃」、哲くんは金髪の縦ロールのオスカル様で、koziくんは黒髪の美少年だった・・・・(まさか6年後、白塗り+半剃りになるとは・・・)。10年間で全く変化のなかったmanaもある意味スゴイ。

 「色々あったね 特別な事がね 僕らの世界には 色々あるから 特別な事がね」も他のバンドの人が歌ったら「芸能人だからって、芸能界だからって、特別だと思わないでよ~」と反発を感じたかもしれません。でもMALICE MIZERと哲くん双方の、波乱万丈なこれまでを振り返ると「ホント色々あったよね・・・特別な事がね・・・」と納得してしまいます。

 「色々あった」「特別な事」とは何なのか、具体的には書かれていなくても思い当たる事柄は色々あるし、kamiくんのこともその一つなのだと思います。

 私が思うに、この「12inplosion」というアルバムは哲くんの最高傑作なのですが、哲くん本人も発売当時「これは俺の『遺書』。別に死ぬ気はないけどね~」と語っていたほど、思い入れの強いアルバムのようです。これまでの人生の総決算としてこのアルバムを作るには「数年前に友人が亡くなって、自分の生き方を見つめ直した」ことがきっかけになった、と当時のインタビューで語っていました。なのでこの曲も「kamiくんforever」のカテゴリーで語ることにしました。

 「ロックがやりたい」と言って哲くんがMALICE MIZERを出て行って、今年で14年。ずっとその志を貫き通していて立派だと思います。あのままMALICE MIZERに残っていれば、わずか2年後にビジュアルバブルが起きて、「高野哲」はきっともっと有名になれた。nilも商業的にもっと成功したことでしょう。そしてMALICE MIZERだってあの時哲くんに出て行かれなければ、今に至るまでこんな苦労はしなくて済んだはず・・・(泣)。

 でも「あの頃」はそう思ったのでしょうし、だからこそ今があるわけですよね。Manaの元を離れたボーカルで、私が失望せずに済んだのは哲くんだけです。当たり前の事なのですが、この曲を聴くと私は「彼らにも若い頃があったんだなあ・・・」となんだかしみじみしちゃいます。

 見た目こそ正反対になってしまったけれど、今も彼らの心がかよいあっているのを知ることができるのは、ファンとしてとっても嬉しいことです。「こんなサイトをやってるのに・・・」と意外に思われるかもしれませんが、私にはMALICE MIZERの再結成を望む気持ちはないんです。もう過去のものとして心の中で決着がついてしまっているし、「素敵な思い出をありがとう!」って感じです。ただ、彼らにはずっと元気で仲良くしていてほしい。それはやっぱり願ってしまいます。

 この曲を哲くんは04年のツアー後、封印しているようです(この曲に限らず、哲くんにはご自身がこだわりをもって普段は絶対歌わない歌というのがいくつかあるのです)。次に聴くことができるのは「これからの10年後」・・・2014年でしょうか。それまでみんな、元気で仲良くねって思います。

ZIGZO 「tonight,I will fall」

2008年09月29日 | kamiくんforever
 ZIGZOの4thシングル。「言葉にできない 声にもならない」というサビが印象的な可愛い曲です。

 これを「kamiくんforever」のカテゴリーで取り上げたのは、この曲の発売日が2000年6月21日だからです。ちょうどkamiくんの一回忌の日、ですよね。

 もう昔のことすぎて、どうしてこの日にリリースになったのか分からないのですが、もしオリコンチャートに有利に働く日という意図でレコード会社の方が6月21日に決めたのなら、これはもうマリスチックに「運命(キラーン)」って感じですし、哲くんの希望でこの日になったのなら「優しさ」ですよね。快諾してくれたのであろう、ZIGZOの他のメンバーもレコード会社の方たちも本当に優しいと思います。

 哲くんはずーっと毎年6月21日に日記を更新してくれていて、そういう「忘れてないよ」っていう気持ちをまっすぐ表してくれるところもすごく好きです(今年はまあ、しかたない事情も分かりますし。・・トホホ)。

 また「高野哲」という人はとっても詩人で、歌の歌詞が良いのはもちろんのこと、MCでポツリともらす一言が深いし、日記の表現もいちいち詩的なんです。センチメンタルでロマンティックなんだけど、ナルシスティックな感じは全くなくて(なんて素晴らしい感性なんだろう・・・!)といつも思います。

 nilもZIGZOも哲くんの作詞作曲というのは同じですが、ZIGZOの方が歌い方も素直な感じで聴きやすいし、詞の内容も少年らしいというか「男のコ」って感じです。ベテランのバック3人が支えてくれる中で、ずっと一人でためこんできた才能を、溢れ出るようなキラキラした言葉とメロディーをどんどん開花させているのが感じられます。

 MALICE MIZER時代の「狂っちゃいない、まともさ、そろそろ死んだフリはやめてよ~」でひいてしまった方も、ZIGZOやnilをまだ聴いたことがないなら是非聴いてみてください。歌詞の内容も歌唱法もアレと今とでは全然違ってて全然良いんですよ~!

ZIGZO「1999年を振り返ってのインタビュー」

2008年08月22日 | kamiくんforever
 私にとってsakuraはラルクの人というよりZIGZOの人です。彼がラルクを脱退したと同時にラルクファンを辞め、その後も8年くらいラルクのCDが聴けなかったくらい、ラルクが、sakuraが、大好きで思い入れもあったのですが、それでも私にとってはZIGZOの人です。

 ZIGZOでの活動は3年に満たない短い期間でしたが、下らないダディーギャグで軽~い人を装いながらも、sakuraの音楽への真摯な気持ちを常に伝わってきました。そして「自分がもう一度表舞台に立ちたい」という気持ち以上に「高野哲という才能を世に送り出したい」という強い気持ちをもっているように私には感じられました。哲くんに対しての忍耐強さというか献身的な態度にはなんだか申し訳ないような気すらしました(またZIGZO後期の哲くんが俺様で・・・)。

 ZIGZOはそもそもあの事件のあと、RYOさんがスタジオでのジャムセッションにsakuraを誘ったことから始まって、そこに長年の盟友DENさんが加わり、初めは二人の元バンドのBY SEXの曲などをやっていたのだけれど、「ちゃんとした歌がほしいよね」ということになったのだそうです。

 それで友人だったオブリのRIKIJIさん(元MEGA 8 BALL)や後輩だったMALICE MIZERのkamiくんなどに相談したところ、二人が共通して薦めてきたのが「元MALICE MIZERで元MEGA 8 BALLのTETSU」だったそうです。それで(多少の紆余屈折はありつつ)哲くんがそのセッションバンドに加わることになり、しかも哲くんが作詞作曲できるということから一気にデビューに向かって話が進み、「MARISU~en~SEX」(←綴りもこれで合ってるんです。それにしてもこのバンド名、あまりにもあんまりだ・・・・)改め「ZIGZO」になった、と・・・。

 Kamiくんはsakuraのことを本当に慕っているようでしたし、哲くんのことも97年98年ごろラジオや雑誌で度々話題にしていていつも気にかけているようでした。なので、二人がZIGZOを結成したことはきっととっても嬉しいことだったろうと思います。

 でもZIGZOのメジャーデビューの直前にkamiくんは亡くなってしまって・・・。99年の6月当時、MALICE MIZERは「ヴィシャス」という音楽雑誌で毎月「あの人に会いたい」という対談企画をやっていました。koziくんがアコーディオン奏者のcobaさんと再会したり、manaはヴィシャスの編集者の方、yu~kiちゃんはカメラマンの塚越さんだったと思います。Kamiくんはその対談相手にsakuraを指名して、sakuraも快諾されていたそうですが、その対談は果たされないままでした・・・・。Kamiくんもsakuraもきっとその対談を楽しみにしていたでしょうけれど、お二人を好きだった私も本当にその対談を読みたかった。・・・残念です。

 その約半年後、「1999年を振り返って」の音楽雑誌のインタビューでsakuraは「いつも自分のあとを追っかけてきてた奴が、もう追いかけることができなくなってしまって・・・」とkamiくんについて触れていました。

 1999年はsakuraにとってZIGZOでの再起の年でもあったわけで、そっちのおめでたい自分の話題に終始してもいいはずなのに、kamiくんのことにあえて触れてくれて、思いやりのある方だな、と思いました。MALICE MIZERのファンとしてありがたい、とも。

 同じインタビューで哲くんも「去年は昔一緒に馬鹿やってた親友が亡くなったりして、自分はなんで生きているんだろう、なんで音楽なんだろう、とか色々考えさせられました」と語っていました。

 哲くんにとっても1999年はZIGZOとしてデビューし自身の音楽的才能が世に認められはじめた飛躍の年だったと思います。「元MALICE MIZER」というネームバリューを多少は利用してのデビューではあったけれど、行く先々で「マリス」「マリス」と言われてきまり悪い思いをすることもあったろうと思います。でも「中世ヨーロッパで縦ロールのオスカル様だった自分が恥ずかしい」というような過去を否定することは一切言わなかったし、このインタビューからは特に元メンバーの死を悼む気持ちが伝わってきました。

 1999年はマリスファンでいた私にとってつらい年でしたが、ZIGZOとLAREINE のメジャーデビュー、そしてこの「1999年を振り返って」のインタビューは嬉しかった思い出です。

2000年夏のkamijoの連載コラム

2008年08月13日 | kamiくんforever
「今日は6月21日。とても大切な日にこの原稿を書かせて頂きました」

 1999年から2000年ごろ、ショックスにLAREINE の連載コーナーがあったのですが、2000年9月号の文章の締めの言葉がコレでした。

 ああ、忘れないでいてくれたんだ!とすごく嬉しかったのを覚えています。当時ショックスを購読していた友人がこのコラムの文章を見つけて興奮気味に電話をくれて、彼女もLAREINE とMALICE MIZER両方のファンだったので、二人で「kamijoは本当に良い人だよね~!」「あんなにかっこいいのに性格も良いんだよね~」と語り合いました。

 あえて「何の日」とは書かなくても、特別な思い出話を披露しなくても、「とても大切な日」と表現してくれたことで思いが伝わってくるというか・・・。

 MALICE MIZERの他のメンバーもそうですけど、あえて「kami」という名前を出さなくても、ことさら今も自分が大切に思っているということを人前でアピールしなくても、ほのめかすだけで十分伝わってくるというか、「分かる人だけ分かれば良い」って感じですよね。排他的かもしれないけれど、慎み深いと思います。

 1999年5月のkamiくんのFCでの最後の日記にも「『現代に舞い降りた花の化身』のK氏と飲んだ。彼も色々と考えているんだな、と思った」というような内容で、kamijoとの交遊が書かれてました(この「現代に舞い降りた~」っていうのは90年代のLAREINE のキャッチコピーです。もちろん考えたのはkamijo・・・ポカーン)。

 「彼らの優しいところが伝われば・・」なんて書いたのと矛盾してくるかもしれないけれど、MALICE MIZERのメンバーはあれだけ完璧に構築された世界を作り出すということは、仕事に関して一切妥協しないというか非常に厳しいところのある人たちなんだろうと思います。ローディー時代、きっとkamijoも大変な思いをしただろうな、と思います。でもkamijoは一度もMALICE MIZERを悪く言ったことがなくて、そういうところを私は本当に尊敬しています。

 ここ数年だって、自分のバンドにプロデュースに忙しいはずなのに、manaやkoziのイベントにゲストで出てくれたりしているのも嬉しいです。Versaillesでの成功を祈ってます~。


nil 「aria」

2008年06月21日 | kamiくんforever
 2006年12月に出たnilのシングル。1999年に亡くなったMALICE MIZERのkamiくんのことを歌った歌です。

 スターレコーズのサイトでは「彼らの歌には、心の慟哭が詰め込まれている。音が激しいから過激ではない、表現者側の感情がギリギリまで上り詰めていくからこそ、それが過激だったり刹那だったりしていく。まさにその姿を体感できた凄い作品だ。」http://store.shopping.yahoo.co.jp/starrecords/nlcd11.html
 と絶賛されています。そうなんだよね!これは深い嘆きの歌。正直、演奏も歌も「上手い」ってわけじゃないし、音質なんて悪いくらいなんだけど、ぐっとくる。

 ドラムが印象的なシンプルな演奏。(KamiくんはMALICE MIZERのドラマーだったのです。哲くんもステージでたまにドラムを叩くことがあるのですが、それはkamiくんやsakuraに教わったのだそう。)そしてメロディラインなんて二つしかない。しかもサビの歌詞は「 aria aria 」だけ。一見手抜きっぽいけれど、「そうだよね、言葉になんてならないよね」と思う。

 「時々は君を思い出す 笑い出す前の口元も」
 「いつまでも君を数えてる 失った明日を数えてる」
 「雨はまだ 僕はまだ aria」
 
 哲くんの歌詞には今も昔も「雨」がよく出てきます。MALICE MIZER時代にも「エーゲ」で「何度生まれ変わっても 九月の雨に打たれてた」とか「少女の瞳」で「土砂降りの雨の中~」などなど。哲くんの歌の世界にとって大切なキーワードなんだと思う。 ここでの「雨」は涙であり、痛みの象徴なんだろうな。ギターのカッティングで繰り返されるフレーズも「土砂降り」を表現しているかのよう。

 Kamiくんが亡くなって一年くらいで出したZIGZOでの「もう二度と会えない君へ」より、八年たって出した「aria」の方が悲痛な感じがする。普通なら直後は嘆いても数年たったら前向きになりそうなものだけど(MALICE MIZERのmanaなんかはこう)、数年たってからドーンと暗い歌を出してくるあたりが、いかにも天邪鬼な哲くんらしい。

 淡々とした、でも重苦しい雰囲気。がなったり叫んだり、激しい言葉や演奏はどこにもないけれど、圧倒的な心の叫びや嘆きが感じられる。30台の大人だからこそ歌えるロックなんだと思う。良い曲です。

ZIGZO 「もう二度と会えない君へ」

2008年06月21日 | kamiくんforever
 MALICE MIZERのkamiくんが亡くなってもう9年になります。

 1999年6月21日のことだったそうです、私が知ったのはファンクラブから発表された26日でしたけど、あの頃のことは今も覚えてます。2代目脱退から半年くらいでの出来事だったので、あっちのショックから立ち直ったら今度はkamiくんが・・・みたいな感じで、あの時期のことは今も思い返すのが辛いです。

 なんだか今年の春はまた2代目のおかげで色々ありましたが(とほほ・・・)、元MALICE MIZERの他のメンバーがkamiくんを大切に思っていることが世間の人には意外と知られていないのかな?と思って、今回はZIGZOのこの曲の話です~。

 「もう二度と会えない君へ」これはZIGZOのセカンドアルバムにしてラストアルバムになった「add9suicide」の最後に収められている曲です。単純な言葉で深い複雑な心情を描くのを得意とする哲くんの真骨頂、傑作です。ZIGZOサイト内には今も歌詞が掲載されているので、そこで読むことができます。

 「もう二度と会えない君へ あれからどれくらいたったろう? 短く感じたり長く感じたり」
 「もう二度と会えない君へ たまにはこの歌を歌って わざわざまた僕は君を失う」
 「忘れなければ、忘れないからね! 思い続ける時よ流れよ」
 
 ZIGZOのボーカル高野哲は初代のMALICE MIZERボーカルだし、MALICE MIZERのメンバーとZIGZOのドラムのsakuraさんとはラルク時代から親交があったことが知られています。MALICE MIZERのセカンドアルバムのspecial thanksにはsakuraさんの名前があったりするし、イベントでkamiくんがsakuraのボディペイントを真似してステージに立ったこともありました。

 「今やっているバンドで前やっていたバンドのメンバーを追悼する歌を歌う」というのは難しい場合もあるだろうけれど、ZIGZOの場合はsakuraさんとkamiくんの関係もあったのでスムーズに実現できたのかな、と思っています。

 この曲は曲調が明るいのですが、それ故にぐっとくるところがあります。哲くんの素直な心とZIGZOの他のメンバーの優しさが生んだ名曲だと思います。

もうすぐ6月21日

2008年06月17日 | kamiくんforever
 毎年あっという間に6月21日が来てしまいます。今年も更新し損ねたら困るので今のうちに書いておく。99年の6月21日にMALICE MIZERのドラマー、kamiさんがお亡くなりになりました。

 ファンに公表されたのは6月26日だったから、私にとってはそっちの日付の方が思い出深いけれど、あの頃はただただショックだった。「悪意と悲劇」なんて縁起の悪いバンド名で活動していても、こんなことがまさか起こるだなんて思ってもみなかった。

 あれから9年たって思うのは、kamiくん自身が無念だっただろうな、ということと、ご両親の悲しみはどれほどのものだったかということです。あの頃は私は本当に少女で幼くて、二十代後半の男性というのはものすごく大人に思えた。でも今自分が20代の半ばになって思うのは、まだまだやりたいこともしてないことも沢山あって、まだ死ねない、今死んだらきっと凄く悔いが残るだろうな、ということです。自分が死ぬかもしれないだなんて想像もできない。

 そして今、うちの両親も十分若くて。kamiくんのご両親も成人した息子さんを亡くされて、深く悲しんだろうし、一生その思いは消えないのだろうと思う。去年知り合いのお嬢さんが亡くなられて、その葬儀でご両親を見て、私は絶対に親より長生きしようと思った。

  MALICE MIZERは見た目のインパクトが強すぎるあまり、演奏に関する評価が少ないバンドだった。kamiくんは優れたドラマーだったからそのへんも残念に思ってるだろうなと思う。私はkamiくんより好きなドラマーはあれから9年たってもまだ見つけられない。Moi dix Moisを聴いても「ああ!ドラムがkamiだったら!!」と思わずにはいられない。

 あのままkamiくんが生きてたとしても、きっとMALICE MIZERはもう解散していたんじゃないかな、と思う。そしたらmanaやkoziのようにソロ活動したり、誰かのサポートドラムをやったりするような「今」があったんじゃないのかな、と思ったり。nilの「aria」じゃないけれど、「失った明日を数えて」しまいます。

 安らかに眠られていることを祈ります。そしてできれば、MALICE MIZERに関わった人たちを見守っていてくれますように。