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nonocanonoco

お久しぶりです。またよろしくお願い致します。

もうすぐ2月1日

2010年01月31日 | kamiくんforever
 2月1日は蝶の日。今年もまたこの時期が巡ってきた・・・ということで紫の蝶のテンプレートに変えました。読みにくいんだけど、今だけは特別です。

 好きなバンドのメンバーの誕生日ごとに更新してるファンブログは多いけれど、このブログは扱うアーティストの数が多い上、私はマメじゃないので、全員はとても無理・・・。でも2月1日だけは毎年ちゃんとしたいな~と思ってます。

 Kamiくんお誕生日おめでとう!

 今も変わらず大好きです。

あれから10年後の6月26日によせて

2009年06月26日 | kamiくんforever
 1998年の11月末に当時のボーカルがメジャーでの活動中に失踪し、直後バンドを非難する内容の彼のパーソナルインタビューが「sho※x」に掲載されて、ファンは大混乱に陥った。結局、99年の年明けに正式に脱退が発表されたのだけど、その時のkamiくんの公式コメントはファンに衝撃を与えた。脱退の経緯を抜きにしてそのコメントだけを取り上げて、kamiくんを「ひどい」と非難する人は当時大勢いた。

 私はあのパニックの最中に(とにかく、とりあえずは見守ろう)と思ってた。メンバー、特にmanaとkamiくんに抗議のファンレターを送ったり、空港で泣いて騒いだり、情報が錯綜して「行方不明説」とか「自〇説」に発展したショックで自〇未遂する人も当時いたけど、私は何もしなかった。10代半ばだった少女としては堅実?賢明?な選択だったと思うのだけど、私の見守っている最中にkamiくんは亡くなってしまった。

 当時はメールもネットもなかったから、メンバーに何かを伝えようとするとファンレターを書いて切手貼って送らなくてはならなくて、それは私にとって今も昔も何だか敷居が高い。もし余計なこと書いてそれをうっかり読まれたりしたらメンバーを苦しめることになったかもしれないし、何もしなくて良かった。勢いで抗議の手紙を書いてしまった人たちはきっと後ですごく後悔しただろうと思う。

 何もしなかったのは間違えでなかったと今も思うのだけど、それだけで良かったのかな?という思いもこの10年、たびたび胸をもたげていた。あの頃もしインターネットがあれば、私にも簡単に意見を表明できるブログのようなツールがあれば、少なくとも私だけはあちらの発言を鵜呑みにしてないということを、kamiくんのコメントを別に非難してないということを、新しいMALICE MIZERをいつまででも待つつもりだということを、間接的に伝えることができたのかもしれないのに。

 当時はパニックの矛先が直接メンバーに向かったけれど、ネットで議論できればあの集団ヒステリー的なバッシングも少しはましになったかもしれないし、kamiくんの心労も少なかったかもしれない。だからこのブログは10年越しのファンレターのつもりで作ったところがあります。

 私は今もあの時のkamiくんのコメントは(言葉がきつかっただけで)別に間違ったこと言ってなかったと思うし、あのくらい言われてしかたない事をあちらはしたのだと思ってる。あの頃MALICE MIZERを好きだったのと変わらず今も好きでいるし、kamiくんのことももちろん忘れていない。

 MALICE MIZERはとにかく見た目で誤解を受けやすいバンドだった。あの過剰にデコラティヴな衣装と白塗りはやっぱり世間からは受け入れられにくい。その上二度もボーカルチェンジがあったことによって「人間関係も悪いバンド」みたいな印象も与えてしまった(私にはボーカル以外の4人の仲が良すぎたことが、ボーカルが居つかなかった原因の一つに思えるのだけど・・・)。でも楽しいところもある人たちだったし、優しく暖かなところもある人たちだった。それが忘れ去られるのは惜しい。

 今もあの時のコメントだけを取り上げてkamiくんをひどい人という人もいるし、近年になって逆に「親友」だと思う人もいる(私はどっちもハズレだと思うのだけど 。普通「親友」に対して、「ああいうこと」はしないんじゃ・・・)。今に至るまでの数々のあちらの発言を真に受けて、メンバーの人柄を誤解している人も残念ながらまだ大勢いる(「金に狂った」ってねえ、パチンコ台になった人にだけは言われたくないわ)。それはファンとして悲しいし悔しいし、kamiくん本人がどう思っているかは分からないけれど、もし私がkamiくんならとても辛いだろうと思う。

 だから少しでもMALICE MIZERの元メンバーたちが今もkamiくんのことを大切に思っているということが、MALICE MIZERの優しいところが伝わるきっかけになることを祈り、このブログを、kamiくんとMALICE MIZERと関係者の皆様に捧げます。


6月21日の日記見ました~

2009年06月23日 | kamiくんforever
 毎年恒例の6月21日の日記見ました~。去年とはうって変わって今年はハイテンションでお送りします。

 Manaも良かったけど哲くん!嗚呼良かった、今年はちゃんと書いてくれた・・・(泣)。やっぱり去年はアレだったからなのね(ぬぉぉぉ某のせいで~~絶対一生許さん!と怒り再燃)。

 6月21日はマリスファンとしてはkamiくんの命日なんだけど、世間的には今年は「父の日」で。私も「お父さんいつもありがとう~」とか言ってプレゼント渡して一緒に食事しつつ、心の中ではずーっと哲くんのお墓参り報告があるかどうか気になってしかたなかった(父には申し訳ないけど・・・)。行くのは確実として日記アップしてくれるかなあ、manaやkoziくんにならって哲くんまで「黙して語らず」な人になっちゃったらどうしよう・・・と不安に思ってた。嗚呼良かった、嬉しいなあ。去年がアレだっただけに、感激もひとしおです。
  
 命日に嬉しがるなんて不謹慎かもしれないけど、私はただのファンだから。ファンの立場でお墓参りなんて行けないし、哲くんたちがお墓参りの日記アップしてくれると私の代わりに果たしてくれたみたいな気がして、何だかほっとします。

 そして相変わらず哲くんの文章は本当に上手。歌詞も韻を踏むんだけど、日記も韻を踏むのよね。リズミカルで読みやすいし、内容は美しいし。素晴らしい才能だなあ、そして本当に優しい人だなあ、と思います。

 哲くんは10年前からkamiくんのことを「親友」と言っていたけれど、あれから10年、毎年欠かさずこうやって気持ちをまっすぐ表してくれて、色々曲を書いてくれて、kamiくんにとってもきっと哲くんは親友だろうな~と思います。

 本当に、中年太りとか髪型猿みたいとか小汚いとか書いちゃってごめんね!哲くんが「頑張る」って書いてたレコーディングは次のnilのアルバムのなのかな?絶対予約して買う、とここに誓います。今年はツアーも行けたら行きます!

 なんだか去年から1年以上燻ぶってた気持ちが昇華されました。哲くんのファンで良かった。別に私がお願いしなくても、ちゃんとそうしてくれるって分かってるけど、哲くんこれからもMALICE MIZERをよろしくね・・・!ずっと元気で仲良くしてね!


 そして(ご迷惑おかけするといけないのでお名前は伏せさせて頂きます)今年もありがとうございました~。

ZIGZO 「flow」

2009年06月16日 | kamiくんforever
 2001年6月20日発売の7thシングル。哲くん惜しい!一日違い!

 ZIGZOのここまでを振り返ると、

5thシングル「tonight,Ⅰ will fall」    2000年6月21日発売
6thシングル「the world introduction」 2001年2月1日発売
7thシングル 「flow」             2001年6月20日発売
 
 となるのです。この本家MALICE MIZERをも凌ぐ、数字へのこだわりぶり。(哲くん・・・!)と「言葉にできない 声にもならない」ものを感じます。そしてこの哲くんのこだわりに付き合ってくださったZIGZOのメンバーとスタッフの方々には、MALICE MIZERファンとして私は本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 多分この曲が一日違いの6月20日発売だったのは、「ZIGZOの日」に掛けてるからだと思うんです。「21620」って数字の字面と「ZIGZO」の綴りって似てるでしょう?「21世紀の6月20日は毎年ZIGZOの日」と哲くんは言っていて、それでこの日に発売したのだと思います。

 ただ「21世紀の6月20日は毎年ZIGZOの日」だけど、その翌日の21日は「毎年kamiくんの命日」なわけで。さらにいうとZIGZOの解散が発表されたのが12月27日、哲くんがMALICE MIZERを辞めたのが12月28日で、こちらも一日違いなんですよね・・・。ただの「偶然」と片付けてしまえばそれまでなんだけど、やっぱり「運命」ってあるのかな・・・?と思ってしまいます。

 なので本当は一日違うのだけど、これまでの哲くんのこだわりに敬意を表し、「kamiくんforever」のカテゴリーで語ることにします。

 「flow」はZIGZO、nil通しての高野哲作品の中でもベスト5に入るくらい私の好きな曲。ZIGZO期特有の哲くんの少年っぽい澄んだハイトーンヴォイスで、とっても純粋な心情が歌われる名曲です。特に好きなのはここ。

「初めてついた嘘 初めて弾いたギター 罪深き音色が響きだした」

 普通「初めてついた嘘」なんて覚えてないし、そのことについて思い出そうともしないですよね。「初めてついた嘘」は生きていく上での最初の汚れだったのかもしれないけれど、それを思い出そうとする姿勢はやっぱりピュアだなあ、と思います。

 MALICE MIZERが好きで高野哲が好きな私は、これまで「kamiくんforever」カテゴリーで紹介してきた哲くんの様々な曲やエピソードに関して、MALICE MIZERファンとしては「忘れないでいてくれて、いつまでも大切に思ってくれていて嬉しいな」とありがたく思うし、高野哲ファンとしては「良い人だな。優しいな。この人のファンでいて良かった!」と誇らしく思う、感じです。

 哲くん大好きよ! 本当にありがとう~。

Moi dix Mois 「monophobia」

2009年06月09日 | kamiくんforever
 2004年リリースのMoi dix Moisの2nd album 「NOCTURNAL OPERA」の3曲目。Manaが「kamiに捧げる」とフランスではっきり明言した曲です。

 でもこれについて語るのは難しい・・・だって私はMoi dix Moisあんまり好きじゃない・・・。この曲に限らず私はMoi dix Moisを「何だかもったいないな~。こんなんで良いと思ってるのかな~」と思います。Manaがkamiくんのことを今も大切に思っているということは私には分かるし、こういう曲を書いてくれたことを嬉しくも思う。でも薄気味悪いブックレットに、黒装束で黒い付け爪の魔女みたいな格好して、のっけからデスヴォイスで・・・・こんなんじゃそういう大切な想いは伝わらないと思うのです。

 このアルバムも先行シングルとなった「shadows temple」も売り上げは芳しくなくて、こういう曲があること自体知らない人は多いと思います。どうせ売れないなら(←コラ)いっそこっちをシングルにして売ればよかったのに・・・。アルバムとは全く別な作品として、デスヴォイスを封印して綺麗なジャケットで出せば、manaがkamiくんを今も大切に思っているということが、ちゃんと世間に伝わったかもしれないのに。

 Manaはシャイな人だし、「この曲はkamiのことを~」なんて日本で言ったら自分の好感度アップや売り上げアップにkamiくんの死を利用していると世間に思われるかもしれないと思ったのかも。でも、何も言わなきゃ何も伝わらないというのも現実なのよね・・・

 日本のインタビューでは「この曲はある人のことを歌った曲で、その人は皆さんもよく知っている人で~」なんて曖昧な言い方しかしなかったから、案の定「それは2代目のことか?!」って勘違いする人が続出して、ア〇ゾンのレビューにまで書き込まれた(泣)。

 去年の3月のことだって、manaがこの9年間もっと折々に「MALICE MIZERのメンバーは今もkamiのことを大切に思ってる」ということをアピールしていれば、「MALICE MIZERのメンバーは今もkamiのことを大切に思ってる」ということが広く世間に認知されていれば、きっと起こらなかったと思う(別にmanaのせいでああなった、と言いたいわけじゃないけど)。

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 私は去年からずっとこのことが気になってます。哲くんもsakuraもkamijoもkamiくんの名前を公の場で出さないし、哀悼の気持ちを派手に表現しないのがMALICE MIZER関係者の方々のやり方なんだと思う。それを私は慎み深いと思うのだけど、それが行き過ぎて(もう忘れちゃったのかな?)とファンを不安がらせたり、薄情だと誤解される側面もあった。yu~kiちゃんが長く業界から遠ざかって、koziくんの活動も途絶えがちなだけに、MALICE MIZERのリーダーとしてmanaがもっと誰の目にも分かりやすく、派手に、哀悼の気持ちを表現しなきゃいけなかったのかなあ、と思ったり。でもあんまり故人の名前を引き合いに出すのもねえ、何か違う気がするし・・・。

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 この曲のブックレットがよりによってコレ、アレンジがアレ、こんなんで良いと思ってるのかな~?と事務所に対しても私は思います。なんで駄目出ししないのよぉ。私はmanaも事務所もとても賢い人たちだし、この10年半のあちらへの対応はなかなか出来ることじゃない、本当に立派だと思うのだけど、こういう客観性を見失ったような側面はやっぱりセルフプロデュースの限界なのかな・・・。こういうブログをやっている私の心に響かないくらいだから、全然知らない人にはポカーンだろうなとか思ってしまいます。やっぱり「気持ち」はもちろん大事だけど、それと同じくらい「カタチ」も大切よ。サビのメロディは空から射す光が見えるかのように綺麗だし、アレンジやブックレットのデザインや歌詞次第では名曲になったでしょうに、もったいないことです。

 「歓喜と官能の渦の中で 再び貴方とこの世界を」
 「共に舞台を」「この曲は貴方のために捧げる・・・」
 「時を経て 宿命のもと 巡り合い もう一度 同じ世界で」

 歌詞の内容は、前述の「もう二度と会えない君へ」「aria」と比べると、哲くんは友達として、manaは同じバンドのメンバーとして歌ってる感じ。2度もボーカルに出て行かれて、それでも頑張ろうと決めた矢先の逝去だっただけに、「もう一度同じ舞台で」「もう一度同じ世界で」って何年たっても願う気持ちは私の心にも響く。

 でも「孤独を愛することしか 孤独から逃れることはできない」っていうのはどうかなあ。他人に心開いた方がもっと確実に孤独から逃れられるんじゃ・・・?しかも微妙に日本語がおかしい・・・「孤独を愛すること『で』しか~」が正解かと思います。Moi dix Moisには日本語おかしい歌が他にもあって(トホホ)、CDにする前に誰かチェックしてあげればいいのにと思います。

 ああ案の定、manaが今もkamiくんのことを大切に思っていることについて語りたいのか、Moi dix Moisの悪口言ってるのか分からなくなってきた・・・。でも最後の

「懐かしい調べと共に思い出す 未完成のあの舞台は今でも光り輝いている」

 は、私も本当にそう思います。今も全く色褪せないし、逆に時がたつにつれて輝きが増していく気がします。「終焉と帰趨」の舞台を生で観られたのは私の一生の財産だと思ってるし、あれほどもう一度観たいと願う舞台はありません。

 ただ私はあれを「完璧に構築された世界」だと思って観ていたのだけど、manaやメンバーの中では「未完成」だったのだとしたら・・・もし何の波乱もないままあと2,3年続いていたら・・・どんなことになってたんでしょうね。「終焉と帰趨」より凄いものが観られたのかな。「終焉と帰趨」より凄いものって私には想像もつかないんだけど・・・。Kamiくんが亡くなってあの当時のメンバーが揃うことはもう絶対にないからこそ、思いをはせてしまいます。懐かしいです。


1999年の6月26日のこと

2009年05月19日 | kamiくんforever
 1999年の6月26日は第四週の土曜日だったと思います。なんでかというと、私は朝から友人たちと遊んでいたし、帰ったら夕刊が届いていたので。あの頃はまだ学校が完全週5日制ではなくて、第二週と第四週の土曜日だけがお休みだったんです。当時はまだ学生で、門限のある友達もいたから沢山遊ぼうと思うとどうしても集合時間が早くなって、10時半とか11時とかに待ち合わせでした。

 当時はまだ『バンギャル』って言葉もない時代なんだけど(東海林のり子がテレビで「ビジュッ子」とか言ってる時代でした・・・嗚呼古い・・・)、ちょうどビジュアルバブルの真っ只中。黒い服着てバンドが好きで・・・っていう女の子は沢山いた。でもMALICE MIZERは多少マイナーなバンドで、マリスが好きな人は学校にはあまりいなかったし、学校違う友達とは休みの日にしか遊べないから楽しみで。6月26日もそういうマリス好きな友達4人と連れ立って、カラオケに行った。

 まだマリスは「マシェリ」「ヴェル・エール」「月下の夜想曲」「au revoire」「イルミナティ」くらいしかカラオケには入ってなかった。当時まだデビューしたばかりだったLAREINEは「フルール」と「メタモルフォーゼ」だけ。ZIGZOはデビュー前でした。物真似が得意な友人がいて、歌が上手いだけじゃなくて、声色を似せて、顔の表情も似せて歌うので、彼女に歌ってもらって私は笑い転げてた。ラクリマの物真似とか本当に上手かった。

 お昼過ぎまでそうやってふざけて遊んで、もうそろそろ移動しようかってなった頃に、友人のPHSにその日来てなかったファン仲間の友人から電話がかかってきた。当時は携帯電話よりPHSの時代で、そのPHSも田舎の中高生の所持率は3割くらいだったと思います。私は勿論持ってなかったし、集まった4,5人の中で持ってたのは彼女だけだった。

 電話に出た友人が「なんか、〇〇ちゃんが『kamiくんが死んだ』って言ってるんだけど・・」と困惑げに呟いたのは今も忘れられません。電話の向こうで友達は泣いてるみたいだった。でもあの時ファン仲間の間に走った空気はひたすら「困惑」だった。とにかく今から出ておいでよ、と彼女に言って待ち合わせ場所に指定したファーストフード店へ移動した。

 「どういうことなんだろうね?」「冗談じゃない?」「なんかもうお葬式も済ませたんだって」「エ~うそー。だって新聞に載ってなかったよ」とか話しながら、でも誰も本気には受け止めていなかったと思う。しばらくたって友達がスッピンで現れて、「これ」と呟いて、テーブルの上に封筒を出した。MALICE MIZERの所属事務所からのもので、中には事務所からとメンバーからのコメントが書かれたカードがあった。

 わっと泣き出した人もいた。「決定的な証拠を突きつけられた」って気分だったんだと思う。でも私は「そんなこと言ったって、これが本当だって分からないじゃない?」って思った。今思うと、事務所とメンバーからのコメント文書はこれ以上ないくらい決定的な証拠なんだけど、私はそれを受け入れたくなかった。だから全然涙なんて出なかったし、読んでも意味が分からないと思った。

 そういう人は他にもいて「これがもし本当なら、スポーツ新聞に載ってるよね」「買ってこようか」ってことになった。近くのコンビニまで買出しに行って、開いたら「ロックバンドMALICE MIZERのkamiさん死亡」の記事があって、友人は無言になってしまった。

 それでも私はまだ受け入れられなかった。みんな呆然としながら夕方別れて、家に帰ったら夕刊が届いていて、そこにも三面記事の一番下の段に写真もなく小さな文字で「MALICE MIZERのkamiさん死亡」とあった。そこまできて、私はやっぱり本当に亡くなったんだな、と初めて思った。事務所からの封筒はニセモノかと思ったし、スポーツ新聞に本当のことなんて書いてるのかな?と思った。でもいつもうちが取ってる新聞に載っている、というのはもう事実として認めざるを得ないって心境だった。

 発表されたのは6月26日の今日なんだけど、亡くなられたのは21日だった、既に近親者とメンバーのみで葬儀は済ませた、とどこも同じことが書いてあった。(私は21日に何をしていたっけ・・・?)と何度も思い出そうとしたけれど、何も思い出せなかった。21日は月曜日で、私は普段どおりに朝起きて学校へ行って帰ってきてご飯食べてお風呂入ってテレビ見て寝たんだと思う。普段どおりの一日だったから何も覚えていないのだと思う。

 学校の行く道も帰り道も私はいつもウォークマンで音楽を聴いていた。当時はまだI potなんてなかったし、CDウォークマンは重たいから私はもっぱらカセットだった。MALICE MIZERとかLAREINEとかカスケードとかペニシリンとか、当時好きだったバンドの曲を色々録音して毎日聴いてた。21日にkamiくんが亡くなられて、26日にそれを知るまで、私はそんなことが起こっているなんて全然気づかないで、本当に楽しくMALICE MIZERを聴いていた。なんだかkamiくんにも、他のメンバーにも申し訳ないような気持ちがした。

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 これが私の10年前の思い出。 こんな個人的な話はつまんないかもしれないけど、あれから10年たってkamiくんがいたってことも過去になりそうなのを感じて書いてみました。あの日雨が降っていたことも、友達の涙も、頭の奥が痺れる感覚がしたことも、天気が悪かったとか夕方だったとかじゃなく、目の前の景色が暗くなって見えたことも私はまだ覚えているし、私と同じように10年前の6月26日のことを今も覚えているファンは結構いるんじゃないかと思います。

 10年たてば気持ちが冷めるかというとそうではなくって、私は10年前より今の方がずっとリアルに感じます。あれから10年たって当時の彼や彼らと同じくらいの年になったからなのかな。私はkamiくんを今も本当に残念に思うし、可哀想だと思います。


2月のこと

2009年03月10日 | kamiくんforever
 もう一ヶ月以上前の話題になるけど、2月1日のkamiくんのお誕生日にはmanaも哲くんも日記を更新しました~。2月1日前後にブログ検索するとkamiくんのお誕生日に触れた記事は結構あったのだけど、その大半が2代目との関連でkamiくんを語っていました。確かにあのセッションは素晴らしいものだったけど、どうしてみんなkamiくんと他のメンバーの関わりについては触れないのかな?と思ったので、今日はそういう話題です~。

 彼らが「親〇」だったかどうかはまあ、ご本人たちしか分からないところだとは思うけど、2代目がマリスにいたのはたった3年ちょっとの短い期間なんですよね。実際には2代目加入前にも脱退後にもMALICE MIZERは存在したし、kamiくんも在籍してた。kamiくんと2代目との付き合いは3年ちょっとしかなかったはずなのに、今となってはそれがkamiくんの生前の人間関係の全てであったかのようになってしまって(・・・・)と思います。

 97~98年の2期マリス現役中は、2代目もkamiくんも「僕達親〇です」とは言ってなかった。むしろ「プライベートでは会わない。遊ばない」とお互いにはっきり断言してたし、ビジネスライクな人間関係なんだろうと私は思ってた。98年にはもうラジオで話かみ合ってないことも結構あったし、私の見に行った公演ではセッション中もkamiくんが2代目を見ている時は2代目が下向いてて、2代目が身をよじってkamiくんのほうを見てる時はkamiくんが目を閉じてたりして、あんまり息が合ってなかった。その数ヵ月後、2代目は雑誌の取材やラジオの収録を放り出して失踪→脱退し、kamiくんは強く非難した。

 ・・・いつから「親〇」になっちゃったんだろうと思います。2代目が言い出したことなのか、マスコミが勝手に言ってるだけなのか。去年の3月の報道からなのか、それ以前からなのか。私は2代目ソロを見ていないので分からないのだけど、ちょっと戸惑います。

 Kamiくんが生前誰と一番仲良かったのか?あれから10年近くたった今になって、赤の他人の私が考えるほど不毛なこともないのだけど、「出て行った元ボーカル」という同じ立場なら初代もいます。初代はマリスを円満にやめて、それ以降もずっと交友が続いていて、特にZIGZO結成に関してはkamiくんの尽力があったわけだし(詳しくはこちらをどうぞ!)、その交友はほとんど知られていないけれど実際には相当親しかったのかな?と思います。初代のラストライブでは「悲しくて泣いた」とkamiくんは言ってたし、2代目加入後もずっと初代の人柄を褒めていました。

 さらにいうと歴代メンバーの中で一番親しかったのはきっとkoziくんですよね。「友達として仲良いのはkozi。色んな話をするよ」とか「何かあったときに相談するのはkozi。『それは本当にそうだよね』『その気持ちは良くわかるよ』と言ってくれる」なんてkamiくんは言ってました。1期の頃二人が六畳一間で同棲していたのは有名な話だし、ツアーの際のホテルの部屋割りはいつもkamiくんとkoziくんが一緒だったそう。

 ふたりの同棲話はkoziくんもkamiくんも楽しかった思い出として繰り返し語っていたことなのだけど、MALICE MIZERに加入したばかりの頃、kamiくんが「家なき子になって」(←この表現可愛い)、koziくんの住んでたアパートに転がり込んできたそうです。「MALICE MIZERが同棲(ハァト)」っていうのは一瞬耽美な気がするけれど、実際には「真夏」で「古いアパート」の「六畳一間」でクーラーもなく、暑くて狭くて大変だったそう。「裸で寝て起きたら布団が汗でびっしょりだった」って・・・全然耽美じゃない・・・なんか運動部の合宿みたい・・・。この話、彼らは男同士なんだから本当は「同居」と表現するのが正しいのでしょうけど、あえて「同棲」と書いたのは二人がそう言ってたからです。

 同じバンドで交友関係も同じで六畳一間で同棲して、というのはもうバイト以外の全ての時間を一緒にすごしたようなものだし、すごく仲良かったんでしょうね。初代も2代目もバンドを「出ていった側の人」だけど、それに対して2度のボーカル脱退という悲劇を一緒に乗り越えようとした矢先に友人を亡くしたkoziくんの悲しみはどれほど深かったか、と思います。

 他にもマリスがツアーで地元に来た時ファン友達が、manaとkamiくんが連れ立って歩いてるところに遭遇した、声かけちゃった、なんてこともありました。後日その話を聞かされて少女だった私はあまりのうらやましさに不機嫌になったりしました・・・。セッションなら99年のfcイベントツアーでのkamiくん&yu~kiちゃんのセッションもあったし、98年ごろKamiくん&koziくん&yu~kiちゃんの3人がおそろいのTシャツ&サングラスではしゃいでる写真がFC会報に載ってたこともありました。

 私はそういう話をまだ沢山覚えてるから、近年kamiくんが2代目との関連でしか語られなくなりつつあるのを見るのはなんだか複雑です。

マックスコーヒー

2009年02月18日 | kamiくんforever
 全国発売になるというのはネットのニュースで見て知っていたのですが、実際お店であの黄色いパッケージを見つけると「!!!」って感じがしました。ポップにあった「千葉と茨城の地域限定で30年以上愛されてきた~」の「茨城」の文字も、やっぱりちょっと嬉しかったりして。

 マックスコーヒーはkamiくんが必ず「好きな食べ物」に挙げていたもので、MALICE MIZERファンでその名前を知らない人はいないってくらい有名なコーヒー飲料です。当時は地域限定だったから、実物を見たことある人、飲んだことある人はファンの中にもあまりいなくって。「なんかものすごく甘いらしい」「全然美味しくないらしいよ」「いや、結構美味しいんだって」とか色んな噂が飛び交ってました・・・。

 当時は東京で雑誌やラジオのインタビューを受けても、インタビュアーの人もマックスコーヒーの存在を知らないので「黄色い缶で~」といちいち説明したりしてました。「地元のヤンキーご用達だった」ともkamiくんは言ってたけど、茨城にお住まい方、本当にそうだったんでしょうか・・・?

 メンバーも確かkoziくんは「甘いよねえ(意訳:甘過ぎる)」みたいに言ってて、yu~kiちゃんは「結構美味しい」と言ってた。Manaはどうだったかなあ。yu~kiちゃんは「練乳をチューブから飲んでる」とか信じられない発言してたこともあったので、マックスコーヒーも好きそうな感じしますよね(マックスコーヒーは練乳入りなのです)。

 私は11年くらい前にも一度飲んだことがあります。メルヴェイユのツアーの茨城公演に行った知人が、「茨城に来たからにはマックスコーヒーを買わないと!」とわざわざ地元のスーパーでマックスコーヒーを「箱で買って」自宅に送って(←この気合がすごいでしょう)、それを味見させてもらったんです。その時も「え、この甘さでいいの?」と思ったけど、11年ぶりに飲んでもすごく甘かった・・・。

 こういう地域限定の激甘飲料ってうちの地元にもあるんです。べたつくような甘さで、甘さの限度を超して甘いんですけど、なぜか廃れずにずーっと売られ続けています。「甘さ控えめ」とか「カロリーオフ」が常識みたいなこのご時勢にこの甘さ・・・・って感じなんですけど、特に若い男の人とお年寄りにファンが多いみたい。なんか甘いものってオンナコドモが喜ぶもの、みたいに言われるけど、度を超して甘いものは男の人やお年寄りの方が好きですよね(例:モンブランのケーキとか)。運動部入ってたりすると、練習後こういうのでカロリー補給したくなるのかな?お年寄りはおそらく味覚が鈍化してきてるんじゃないかと・・・(コラ)。

 これも缶コーヒーというより、濃厚なコーヒー牛乳って感じ。はたして全国展開でヒットするかな・・・?コンビニではカロリーゼロのコーラが売れ筋ナンバー1になってたけれど、この糖分のカタマリのようなマックスコーヒーの売れ行きはいかに?!

もうすぐ2月1日

2009年01月30日 | kamiくんforever
 私が初めてロックバンドのコンサートに行ったのはルナシーだった。ルナシーのドラマーは言うまでもなくあの人で、ドラムソロでは要塞のように組んだドラムセットごと空中で回転したりしてた。私はドラムの上手い/下手はよく分からないけど、きっとあの人はとても上手いのでしょう。「もっと来いよ~」とか言ってるのを聞きながら、そう思ったのを覚えてる。

 その次に見に行ったドラマーがkamiくんだった。もう断然美しい、カッコいい、みたいな。ドラマティックでロマンティックなドラムで、長身で精悍な、目を奪われずにはいられない耽美な容姿で、本当にかっこよかった。

 あれから色んなドラマーを見た。私はラルク時代に行けなかったから、ZIGZOになってからsakuraを見た。Kamiくんが好きだったくらいだからsakuraもきっと良いドラマーなのだろうと思う。でも私はkamiくん程の思い入れをもてない。Sakuraを先に見ていて、次がkamiくんなら「両方好き」と思ったかもしれないけど、若くして亡くなったkamiくんを先に見てしまうと、その後どんな人が出てきても勝ち目なく思えてしまう。

 生きていれば段々と容姿は衰えていくし、色々な経験をし清濁併せ呑んでいく中でキラキラした部分は少しずつ失われていく。それは当然のことで、人生経験が増すことによって人間的な魅力も増すということでもあるし、決して悪いことじゃないのだけど、止まった過去の時間はいつまでも美しい。Kamiくんも生きていればもう30代後半で、もしかしたら今頃はげたり太ったりして私をがっかりさせていたかもしれない。でも記憶の中のkamiくんはずっとかっこいいまま在り続ける。

 「記憶が美化しすぎかな?実際はどうだったのかな?」と思って深夜にひとり「神話」を再生してみたら、そこには私の記憶以上にかっこいいkamiくんがいた。やっぱり私の好きなドラマーはkamiくんだけ、と再確認してしまう。

 お誕生日おめでとう。

ZIGZO 「the world introduction」

2009年01月18日 | kamiくんforever
 もうすぐ2月なので、今日はZIGZOのこの曲の紹介です~。

 ZIGZOの4thシングル「tonight,Ⅰ will fall」が2000年6月21日発売だったのは以前に書きましたが、この6thシングル「the world introduction」は2001年2月1日発売・・・。

 ここまでくるともう絶対意図してこの日に発売日を当ててますよね!もし偶然だったらすごい「運命(キラーン)」だけど、2度も続く偶然はないでしょう。哲くんが「この日に出したい」と主張したに違いないと思います。そしてその主張を快く受け入れて下さったZIGZOのメンバーとスタッフの皆さんは本当に優しい方たちです。

 説明すると、2月1日はMALICE MIZERのkamiくんのお誕生日です。この前年の同日である2000年2月1日には、MALICE MIZERもkamiくんの追悼ビデオ&CDセット「神話」をリリースしました。

 MALICE MIZERがkamiくんの亡くなった翌年の誕生日に「神話」をリリースしたのは納得です。命日でなく誕生日にリリースしたのは「亡くなった日を数えていくのは悲しいし、それよりは今までと同じように誕生日を祝い続けたいから」だと、当時メンバーは語っていました。Kamiくんの遺作を残りのメンバーで完成させること、それを世に送り出すことはメンバーとして、して当然だし、しなくてはならないことだったと私は思います。別にそれを「優しいね」と褒める必要はないと思う。「頑張ったね。ありがとう」とは思うけど。

 でも哲くんは「『元』メンバー」で、立場が若干?相当?違うわけで。kamiくんを偲ぶ日に何か出すこと、それは「義務」ではないですよね。この当時、既にMALICE MIZERを辞めてから5年以上経過していたし、哀悼の意さえ示していれば、関係ない活動をしていても薄情だと言われることはないはず。それなのにあえて彼にまつわる日に自分の作品を出し続けたのは、心から彼を偲ぶ気持ちの表れなのだと思います。

 しかも私がこの事実に気づいたのは実はけっこう最近で。当時のインタビューや何かでも「この日にリリースした理由は~」なんてことは一切口にしていなかったはずです(それがあったらもっと早く気づいてました・・・)。オフィシャルサイトでの日記でも、「ほのめかす」くらいのことはしてたかもしれないけど、私は気づかなかったし、当時も話題になってなかったと思います・・・。

 普段は俺様ぶりを発揮して「なんか困った人」みたいなポジションにありながら、隠れてコッソリ良いことをする姿勢が、非常に「らしい」です。今に至るまで9年以上公の場で「kami」という名前を出したこともなければ、こういう良い事を自分がし続けてきたと告白したこともないのは、哲くんは「出て行った側の人」なので、ずっとMALICE MIZERでありつづけた3人に対しての遠慮や、元MALICE MIZERなことを自分からアピールすることへの気兼ねがあるのかな・・・と思ったり。

 そもそもこういうのは自ら公言する話ではないですしね。そういう哲くんの真っ当に慎み深いところが私は好きです。

「君の思い出とひきかえに それでも 確かに 今ここに立っている事」
「いのちを汚そう!」
「終わらない夜を指折り数えて 願えば願う程 遥かな未来よ
 眠れない夜を幾重にも重ねて 願えば願う程 遥かな大地が広がる未来よ
 涙が枯れるまで 目蓋を閉じるまで 花なら枯れるけど 世界の終わりまで」

 歌詞の全文はZIGZOのオフィシャルサイトで今も読めます。私の解釈は間違っているかもしれないけれど、このリリース日からして、「君の思い出」とはkamiくんのこと。そして「眠れない夜を幾重にも重ねて」は哲くんが1999年を振り返ってのインタビューやそれ以降も度々語っていたように「自分はなんで生きているのか、なんで音楽なのかと考えた」ことなのかな。そしてその結論として「傷つくことを恐れずに寿命の尽きるまで生きていこう」と決意した、そういう歌だったのかな?と今は思います。

 悩みを吹っ切った(もしくは悩みを抱えながらも前向きに生きていこうと決めた)自身の新たな門出と「新世紀」を掛けた「the world introduction」=「世界の序奏」だったんじゃないのかなあ。違うかな?違うかもしれないけど綺麗にまとまった気がするので、とりあえず今はこれでいいことにします・・・(違ったらゴメンナサイ)。

 そういうMALICE MIZERとの関連でいうと、「花なら枯れるけど」ってフレーズも感慨深いです。MALICE MIZERは「再会の血と薔薇」という曲が一番象徴的ですけど、それ以前もそれ以後も「薔薇」と「血」というモチーフを繰り返し用いました。彼らにとってそれは単なる耽美な言葉ではなく、それぞれ「肉体」と「精神」の象徴です。要するに人は輪廻転生するもので、肉体は失われても精神や心の絆は絶えることがない、という。それが結成当時からの彼らの哲学的主張であり、kamiくんの逝去により、そう信じたい気持ちはますます強くなったことでしょう。

 それと同じ事を哲くんもこの時期歌っていた事は興味深いです。見た目や音楽の方向性が変わっても、本質的なものの考え方は変わってないんですね・・・。

 高野哲はすごい!優しいだけじゃなく人間に深みがある。何度も言うけど、なんて素晴らしい感性なんだろう・・・!この人のファンでいて良かった・・・と改めて思いました。