4月から自転車で近隣を走ってみることが増えて、改めて地元のことを見直してみる機会が増えました。
今回は、その中から<五鉄(ごてつ)>と略して呼ばれた鉄道の廃線跡のことを書きます。
五鉄は、正確には五日市鉄道で、立川から拝島を経て、武蔵五日市までを営業していました。この鉄道は、現在のJR五日市線の前身で、現在の五日市線が拝島から武蔵五日市間ですが、昭和19年までは立川から拝島までの区間もありました。
↑現在の地図に、五日市鉄道の立川~拝島間を赤い線で辿ってみました。
立川から1km弱の部分は、現在も中央線から青梅線への短絡線として使用されていますが、それ以西の部分は全て廃線となり、現在ではほとんどの部分が道路になっています。
廃線となった理由は、既に開通していた青梅線(旧青梅鉄道)が並行するように走っており、第二次大戦末期の事情から、国有化の後、昭和19年に不要不急路線の一つとして休止され、そのまま廃線となったとのことです。
その道路は<五鉄通り>と名づけられており、往時の名が使われていますが、鉄道らしい痕跡は全く見られません。
例えば、拝島駅近くの五鉄通りは、両端が駐輪場になっています。この駐輪場の先は緩やかなカーブが続き、多摩川方向へ緩やかに下って行く線路跡の道路が国道16号線まで続きます。
逆に立川方には、旧五鉄の跡らしきものがあります。<武蔵上ノ原>という駅があった位置は今も土盛りが残っており、駅があったことが分かります。上の画像の中央辺りの土盛りされた場所がそれです。記事トップの画像は、この反対側のものです。
武蔵上ノ原駅の位置を地図上で表すと、上の画像のようになります。立川駅から1kmに満たない、駅間距離が短い場所にありました。
現在の短絡線は、この先を右にカーブして行き、西立川駅に至りますが、五鉄は、この武蔵上ノ原駅を出た後、少し左にカーブして、現在の<江戸街道>上を1kmくらい走って<郷地>という次の駅に達していました。
五鉄の続きは、跡を辿りながら改めて書いてみます。
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