五鉄(旧五日市鉄道)跡_4大神駅から武蔵田中駅、南拝島駅、拝島駅付近

2014-11-23 | 多摩の風景



 少し間が空いてしまいましたが、五鉄(旧五日市鉄道)跡の続きです。
 五鉄は、大正時代の末期から第二次世界大戦が終結する直前までの約20年間だけ存在した地方鉄道で、立川市から昭島市、福生市、多摩川を渡り、あきる野市の武蔵五日市まで通じていた鉄道でしたが、国有化を経て立川から昭島市の拝島駅までの部分は太平洋戦争末期に廃線となりました。現在のJR五日市線の拝島から武蔵五日市間はその残りです。
 前回までは、立川駅から昭島市内の旧大神駅跡までを書きました。下記がその記事です。

五鉄(旧五日市鉄道)跡_1

五鉄(旧五日市鉄道跡)_2(郷地から武蔵福島)

五鉄(旧五日市鉄道跡)_3(武蔵福島から南中神、宮沢、大神)

 今回は廃線跡の最後の部分、<大神>から<武蔵田中>、<南拝島>、<拝島>付近までです。

 大神駅跡から武蔵田中駅跡までは、<五鉄通り>と名づけられた生活道路が伸びています。トップの画像は、その標識ですが、この辺りは道路幅員が8mくらいある良く整備された道路になっています。

 

 ↑武蔵田中駅跡にあるモニュメントです。線路のポイントを切り替える転換機です。昔は手動でポイントを切り替えていたから大変だったと思います。

 

 ↑武蔵田中駅跡から南拝島駅跡の間は、国道16号線の一部になっています。新奥多摩街道と国道16号線が重なる辺りでもあり、時間帯によってはかなりの交通量がある所です。
 画像の正面に、こちら向きになっている車が写っていますが、この奥に向かって多摩川の河川敷まで砂利採取の鉄道も伸びていたそうですが、その痕跡もほとんど見られません。

 

 ↑南拝島駅があった辺りです。ここに駅があった痕跡は何もありません。ここで国道16号線から線路跡は北に向きを変え、<五鉄通り>が再開して、拝島駅に向かって緩やかな坂を登って行く生活道路になっています。 

 

 ↑<五鉄通り>の終端です。
 ここは車は進入できず、拝島駅も近いことから路肩は駐輪場になっています。ここから拝島駅までの間は、地図の画像の点線部分で、旧線路敷きは消滅していました。

 

 ↑7月の末頃に撮った拝島駅南口です。多摩川に向かって緩やかに傾斜しており、駅舎からは奥多摩の山々が綺麗に望めます。
 かつては駅前ロータリーは無く狭い道路があるだけで、人と車が行き来するのには危ない駅前でしたが、安全性も高まったと思います。

 

 この秋から昭島市内の高齢者通所介護施設で仕事を始め、地元の高齢者の方々に接するようになりましたが、<五鉄>のことをご存知な方が少ないようです。廃線となったのは今から70年も前のことで、今、昭島市内に住む方の多くも他市、他県から転入してきた方々の方が圧倒的に多いようなので、当然なのかもしれません。中には<五鉄通り>の間近にお住まいなのに、その由来を全くご存知でない方もいらっしゃいました。
  


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