今日の東京多摩地区の日中は、この時期にしてはかなり暑くなりました。気温が上がる前の午前中、早い時間に立川・武蔵村山・東大和辺りを自転車で走ってみました。その中で立ち寄ったところのことを書きます。
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1.玉川上水・残堀川交差地点(立川市上砂町4丁目)
水路と川が交差するというのもちょっと珍しいかもしれません。以前から地図上では知っていましたが、現地は通り過ぎたことはあっても立ち寄ったことはありませんでした。
↑残堀川に架かる<すずかけ橋>です。川は北から南へ向かって流れていますが、そこを西から東に向かって玉川上水が流れています。
↑googleの地図では、西から東へ流れている玉川上水が分断されているように表されています。
橋の東側から玉川上水の断面(?)を撮ってみました。これだけでは上水の流れが遮断されているだけのように見えます。
ここは<ふせこし>という工法で玉川上水の水を残堀川の下に潜らせて流していました。元々は合流していた二つの流れだったのが、残堀川が汚れたために別々の流れにしたとのことです。その汚れたという時期が明治時代という随分と古いことで意外でしたが、一度は玉川上水が上、残堀川が下という流れだったのを再度、残堀川の洪水対策で上下位置を変更したことも意外でした。何度も治水事業が見直されてきた歴史です。
↑ふせこし工法で残堀川を潜り抜けた後の玉川上水です。深さ5mくらいの川の底を潜り抜けた後なのに、その前と変わらない緩やかな流れです。
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2.野山北公園自転車道(武蔵村山市北部)
次に向かったのは玉川上水から北上して武蔵村山市内です。
桜の咲く時期は、遊歩道を覆うように桜が咲きます。
今は自転車と歩行者のみが通行できる道になっていますが、元々は多摩川の水を多摩湖へ供給する水道で、大正期に造られた水道は今も稼働しています。そして、かつてはここに軽便鉄道が走っていました。
この鉄道は、旅客のためのものではなくて、多摩湖に続いて昭和初期に造られた狭山湖=山口貯水池を造る際の砂利運搬のために敷設されたものです。鉄道は狭山湖が完成すると、その役割を終えて廃線になりました。
鉄道があった痕跡は何か所かのトンネルで確認できます。上の画像の<横田トンネル>の他に三つのトンネルが現存しています。本格的な鉄道や自動車用のトンネルよりもずっと小さく、自転車に乗って手を上に伸ばすと天井に届きそうな感じでした。
トンネルを抜けていくと狭山丘陵の一角に入って行き、上の画像のような森の中を遊歩道が続いていきます。ただ、四つめの<赤坂トンネル>を抜けると、丘陵の斜面に当り、舗装路はそこで終わっていました。そこからは自転車で入って行くのが難しそうです。今回はそこで引き返してきました。
↑自転車道を離れて、旧青梅街道を東へ進んだところにあったお地蔵様です。享保年間に建てられたとありますから300年来のお地蔵様です。
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↑今回、走ってみたルートです。走行距離は20km弱でした。次回は玉川上水沿いを東へ向かってみようと思っています。
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