タカへの個人的な日記-goo版

個人的な日々の出来事をつづっています。暇つぶしに読んでもらえれば。

浅草名所七福神 吉原神社 弁財天

2015-10-07 05:19:13 | 浅草名所七福神

家族で正月にTDLへ。私は御朱印集めに。
下谷七福神に続いて浅草名所七福神を回ることに。

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やってきたのは吉原神社。
吉原神社は、かつて吉原遊郭にお祀りされていた五つの稲荷神社と
遊郭に隣接する吉原弁財天を合祀した神社だそうです。

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ご祭神は、稲荷神である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と
弁天様である市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)。

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吉原遊郭は元和3年(1617)、幕府の許可を得て庄司甚右衛門が江戸市中に
散在していた遊女屋を日本橋葺屋町(ふきやちょう)の
東隣(現在の日本橋人形町周辺)に集めたことにはじまります。
この地には葦(よし)が生い茂っており、そこから「葦原」、
転じて「吉原」と命名されました。しかし次第に吉原が
江戸の中心地になってしまったため明暦3年(1655)に
現在地である千束村へ移転
となったそうです。

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以後、日本橋葺屋町付近にあった頃の吉原を「元吉原」
移転後の吉原を「新吉原」といいます。
この「新吉原」には廓の守護神として五つの稲荷社が存在しました。
吉原の入口である大門(おおもん)の手前に
「玄徳(よしとく)稲荷社(吉徳稲荷社)」
さらに廓内の四隅には「榎本稲荷社」「明石稲荷社」
「開運稲荷社」「九郎助稲荷社」が
お祀りされていました。
その後明治5年に、これら五つの稲荷社が合祀され
総称して吉原神社と名付けられました。
当初は玄徳稲荷社旧地にお祀りされていましたが
関東大震災にて焼失。


DSC02291.jpg

震災後は水道尻付近の仮社殿にてお祀りしていましたが
昭和9年に現在地へ新社殿を造営、そのさい新吉原隣接の花園池に
鎮座する吉原弁財天も合祀しました。
その後昭和20年の東京大空襲で惜しくも焼失しますが
昭和43年に現社殿が造営された
そうです。

DSC02283bbb.jpg

拡大出来るはずなんで興味のある方は。

99.jpg

弁財天。

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住所は台東区千束3-20-2。
地図は拡大できるはず。


DSC02376.jpg

59、60枚目ゲットだぜぇ!

ご訪問ありがとうございました。






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