のほほん癌ばらない日記

卵巣癌根治手術から10年が経ちました。治療中のカルテ公開やその後の日常を日記に。最近、放置が多いです。σ^_^;

自宅療養(その5)

2006年03月31日 11時53分32秒 | 病気
また、寒さがぶり返し、今朝はなんとうっすら雪景色!

昨日は散歩中に山の方に黒いヤバそうな雲が出たと思ったら案の定、雨と霰に降られよそ様の家のガレージで雨宿りさせてもらいました。
春は其処まで来ていて足踏み状態ですね。
我が家のマンションの桜もやっと蕾が膨らんできました。
この寒さに身を縮めてしまうんじゃないかと心配。
4月の声を聞いたら本格的な春でしょうか?

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昨日の続きです。
5回目の抗癌剤を終え、副作用も予定通りやって来て、吐き気、味覚障害、節々の痛み等だいたい1週間くらいで落ち着くのですが、この回の終了後から足の痺れが取れなくなりました。

通院は週1回。血液検査をして白血球が下がっていないか?肝機能や腎臓に影響がないか等調べているようでした。
最初の頃、肝機能が落ちたり、5回目の投与前には腎臓の数値がちょっと悪い状態でした。
毎回、抗癌剤の2週間後くらいに白血球が下がり3日間連続でノイアップという白血球を上げる痛~い注射をするのが恒例となっていました。

白血球が下がると外出禁止令が出るので自宅での長~い一日をテレビをお友達にボンヤリと過ごす日が続きました。
そんな時実家の母から電話があり、「珍しい人がきているよ」ともったいぶったことを言われました。
それは1つ違いの一番仲の良い従妹の訪問でした。

前の年'04年12月、十年ぶりくらい(私は)で母と二人田舎に帰り、その時この従妹(出産後すぐ離婚しシングルマザーとして息子を育て上げ今は一人暮らし)の家に泊めてもらいました。
私のひどい便秘の悩みを心配し、薬屋さんにも走ってくれていました。

癌ということを知ったときから、「すぐにでも飛んできたかった」と言っていましたが丁度仕事の忙しい時期で、やっと休みが取れたと来てくれたのでした。
両親の方には以前から「行く」と言う連絡はあったみたいですが、仕事の都合もあり、もし行けなかったらがっかりさせるからと内緒にしていたそうです。
既に、電話では元気な声を聞かせていましたが、姿を見るまでは落ち着かなかったと言っていました。
それにしても嬉しいサプライズでした。
と、同時にこんなにみんなに心配かけているんだなあと申し訳なく思いました。

せっかく大阪に来てくれたのに何処にも連れていってあげられず「今度はUSJにも連れて行くから(私も一度しか行ったことがない・・・苦)また、おいで、私も両親と一緒に元気な顔を見せに行くね」と約束して別れたのでした。

さあ、元気になったから鹿児島にも行かなくては!
う~む・・・予定が有りすぎる・・・



自宅療養(その4)&抗癌剤5回目

2006年03月30日 23時08分22秒 | 抗癌剤
'05年5月18日退院
この日は夫の誕生日。寄り道してケーキを買って帰りました。
家族みんなでお誕生日のお祝いが出来る幸せを感じることが出来ました。

私の生まれ故郷鹿児島でも、叔父さんが大腸癌で手術を受け、従兄のお嫁さんにも皮膚癌の疑いがあるとの話が伝わってきました。(後から皮膚癌ではなかったとわかりました。ホッ)
それまで、田舎には私の病気は知らせていませんでしたがその事から私の件も親戚の知るところとなりました。

それから、あちこちから実家にお見舞い金が送られてきたり、名古屋にいる従姉がわざわざお見舞いに尋ねてきてくれたりしました。
やはり、「癌」という病名はみんなにショックを与えたようです。
従姉も顔をあわせた時は涙ぐんでいました。
でも、私の元気な様子と抗癌剤の効果を聞いて安心してくれたようです。
また、友人達が家に来てくれて、お喋りを楽しんだりしていました。

27日にはアメリカに旅立つ長男を、夫も仕事を休んで、ふたりで関西空港に見送りに行きました。
長男は'04年3月アメリカに留学。語学学校を経て、オーディションを受け'05年2月には演劇の専門学校に進むことになっていました。
そんな夢を私の病気が奪ってしまいました。
夫からの連絡を受け1月20日には帰国。その後この日までずっと私の側にいてくれました。
一時、余命数ヶ月の宣告を受け「お母さんがいなくなったらお父さんは生活していけないと思った」と、お正月に一時帰国した時に言ってました。
だから、留学をあきらめこのまま日本に残ろうと覚悟していたそうです。

入院中に「自分だけが好き勝手出来ないから、アメリカには戻らない」と涙ぐむ息子に「癌になってお母さんはどんなに幸せな人間かわかって感謝している。でも、この病気が君の夢を奪うならお母さんは病気になった自分を恨む。だから、夢をあきらめないで、アメリカに戻って」と頼みました。

幸い2月に入学予定だった学校が事情を考慮してくれ9月にオーディション無しで入れてくれることになり、
また夢にチャレンジすることが出来た息子です。
現在、なんとか2期目に進学出来、毎日朝から夕方まで学校で演劇の勉強をしているそうです。
さしずめ、彼はタマゴスター???

こうしてどんどん癌細胞をやっつけていく私でした。
6月13日には5回目の抗癌剤のため入院。
長男がいなくなったのでタクシーで一人荷物を抱えての入院となりました。
予定通りに抗癌剤を終え、3日目には退院。
予定通り副作用もやってきて・・・。

5回目の抗癌剤無事終了。

To be continue


ケアマネジャー研修(5)

2006年03月29日 13時29分51秒 | 未分類
昨日行ってきた、ケアマネージャー研修のお話。

いよいよ来月は個人実習の実施。
実習は現在介護保険を受けている人を紹介してもらって、介護認定から介護計画の作成までを実際にやってみてその報告書を提出するというものです。
講師陣もなんとか実習が無事に終わるようにと指導に熱が入っていた?かな。

毎回講義が終わるとアンケートに答えないといけません。
ア.よく理解できた
イ.理解できた
ウ.理解できなかった

「ウ.理解できなかった」と答えると何故、理解できなかったかを記入しなければなりません。
それで、私なんか「イ.理解できた」と答えてしまうのです。
これでは、実習が始まったら困ることがたくさん出てきそうです。
幸い、元の職場で実習対象者を紹介してもらうので、指導してもらえる先輩がいるし、わからないところは実際の現場で学んでいこうと自分自身に言い訳しています。
早速出来るところから始めていかないと、提出期限に間に合わなければせっかくの仕事復帰予定も水の泡となりますから、腐った性根を叩き直して取り組まなければと思っておりますデス

勉強の内容はともかく、グループワークをしていて感じたことを少し。
私のグループは9人。
前回も同じメンバーなので講義開始前には少しプライベートに触れながら、場の雰囲気も和やかな感じ。
でも、いざグループワークが始まると、し~ん
                           
みんなそれぞれ自分の世界へ閉じこもり。(もち、気の弱~い?私も例外ではありません)
司会、記録、発表の役も決めなきゃいけないのに・・・
前回順番でって言ってたじゃない・・・
しかたなくワタクシめが「順番でしたよねぇ」なんて口火を切ってしまいました。
いや~ん、ワタシってば気が弱いのにぃ~???

一人気になる人が・・・
前回、名簿のトップの人が進んで「自分が一番なので」と司会役を引き受け、たまたま両サイドに座っていた人達も順番が続いていてスムーズに事が運んだのですが、発表が2名となったとき年輩の人が「発表、上手にしたから貴方がしたらいいやん」と発言し、一人の人が担当したのです。その人も文句も言わずにやってました。
今回、その年輩の人に発表の順番が当たったのです。
ワタシってば思わず、意地悪根性を発揮して「前回も一人でされたから今回も一人ですね」なんて発言しちゃいました!
この年輩の人、ワタシの勝手な想像ですと、施設でかなり長いこと勤務している、「お局様」かな?と思うのであります。
いざ、発表が近づくと「私、目が悪いからね、近眼と老眼で大変なのよ、読めるかな、無理よ」などと言い出し、隣に座っているワタシを見るのです。
とーんでもございません!「前に出たら(スライドに写すので)大丈夫ですよ」と笑って答えるワタシでした。
勝負アリ!のほほんの勝ちイ~
お局様、ちゃんと発表できてましたよ!ご立派!ご立派!

実習を終えると5月に2回の研修を残すだけとなります。
先ずは、実習ガンパッ!!

命は誰のもの?

2006年03月28日 23時57分59秒 | 未分類
昨日のアクセス数がいつもの2倍くらい有ってちょっとビックリしています。
富山の外科医事件を取り上げたからかな?

本当は今日、ケアマネジャー研修があったのでその報告を書こうかなと思っていたのですがきゃんべるさんのコメントで
>「死は誰が決めるものだと思いますか?
>①自分②家族③法律④医師のどれ?」っていうアンケートがあって、
>BC時代だったら「自分」、AC時代は「家族」になりました。
>のほほんさんはどれだと思いますか??
というのをいただきました。
それで、また、ちょっと、「死」について書いてみようかなと思います。

④医師は今回の事件を思い起こしますね。
基本的に医師は命を助ける者で命に直接関わって結果的に命を左右はしますが命は医師のものではないと思います。
③法律、これは死刑の問題があります。
以前はどんな理由があっても人が人を死に至らしめてはいけないと考えていましたが、最近の事件を見ていますと怒りがこみ上げてきて死刑もしかたないと思えるようになってきました。
出来れば、死刑になっても、なお、許せないというような事件が無くなることを願うばかりです。
で、理想として命は法律のものでもない。
きゃんべるさんのBC(before cancer)を使わせてもらって私もBC時代なら、迷わず①自分を選びます。
でも、AC(after cancer)は自分勝手に「生きてるのが嫌だ」とか「私の命だから私が決める」とは言いづらいですね。
だって、家族は一生懸命、命を救う努力をしてくれたんですもの。
だから、感謝を込めてこの命は②家族のものとしておきましょう。

観葉植物(テーブルヤシ)

2006年03月27日 23時05分08秒 | 植物
今日はテーブルヤシをご紹介

学名:Colinia elegans
原産地:熱帯アメリカ
科名:ヤシ科
属名:テーブルヤシ属

光:半日陰~日陰な場所でもOK
温度:0℃の場所が望ましい
ブルーミングスケープより)

今週の身体測定

セブリナ   14cm  径24cm
パキラ    19cm
テーブルヤシ 27cm
サンスベリア 25cm

パキラ以外は先週と見た目はあまり変わりません。
4月に入ったら植え替えしてあげようと思ってます。
育てやすい観葉植物ですが植え替えはちょっと心配。
なんとかなるでしょうか・・・

富山の外科医事件

2006年03月26日 18時41分46秒 | 未分類
昨日からニュースになっている富山県射水市民病院外科医による呼吸器取り外し事件。
医師は「尊厳死」と言っているようですが社会の受け取り方は「安楽死」のような感じです。
先日親しい人のお葬式に行って「死」について考えさせられたところだったのでこのニュースが気になってしまいました。

家族や本人の同意が得られているか疑問だそうで事件に発展しているようです。
日本人は「尊厳死」とか「安楽死」とか「臓器移植」とかとにかく「死」に結びつくことをおおっぴらに話すのはタブーみたいなところがあるように思います。

私自身癌になって目前に「死」が迫ってもそのことについて家族と話したことはありませんでした。
「死」について話すことは「希望」を捨ててしまうようで出来なかったのです。

残念ながら日本の現実として緩和ケアと治療を同時にしてくれることは希で、苦しんで「生」を取るか、楽して「死」を取るか、二者択一的なところがあると思います。

自分の場合どれだけ痛みや苦しみに耐えられるか?
その時になってみないとわからない問題です。
もし楽な方を選んだとしても今の医療では新聞記事によると「尊厳死には複数の医師が繰り返し患者が末期状態にあることを確認し、患者本人の意思を確認する作業が必要」としています。
もちろん、書類による、申請、確認も必要になってくるでしょう。
果たして、その期間(多分長いでしょう・・・)苦痛に耐えながらまともに思考できるでしょうか?

かと言って「癌ですが、末期になったときのために尊厳死を選択しますか?」なんて尋ねられたらパニックかも。
{今だったら、(今のところ)サインしますけど・・・}

病気になる前だったら自信を持って「尊厳死」を選んだと言えるのですが、実際に「死」が現実味を帯びて目の前に現れたとき自分だけのことでなく、自分を取り巻く状況というか、家族の気持ちを考えてしまい、楽な方へ逃げて良いんだろうか?どんなことがあってもあきらめの言葉を言ってはいけないんじゃないか?と思ってしまいました。
結局、あきらめなかったから今があるとも言えるのですが・・・

「再発」という言葉は極力忘れるようにしているのですがこういうニュースを見ると私はその時どうするか?と有るか無いかのことに、つい、気持ちが行ってしまいます。

現在、興味を持っているのは「在宅ホスピス」。
比較的近いところに緩和ケア専門の病院があり、そこが在宅ホスピスをしているのです。
(緩和ケア=ホスピスということには抵抗がありますが・・・)
幼なじみIちゃんのお母さんもそこの在宅ホスピスにお世話になったそうで、Iちゃんは最後を家で過ごせて良かったと言っていました。
まぁ、イザとなったらそこで・・・と考えてはいますが、これも元気だから言えることかも。
いっそのこと医師の判断に任した方が楽チンかなーなんてことを思ってしまいました。

人は死ぬときまでは精一杯生きていかないといけないと思ってはいるので、自分にその時が訪れるまで生きていることを楽しみましょう。とりあえず。

たまにこんな事を考えるのもいいかな?
まっ、のほほ~んを心がけて「生」を全うしますデス。

春の和菓子

2006年03月25日 23時22分16秒 | 美味
食べたくて、食べたくて
買ってきました和菓子

 桜餅    うぐいす餅

 花見団子  苺大福

関東の桜餅ってちょっと違ってませんか?
以前、テレビで見たとき違うなぁと思ったんですけど・・・
ぜんざいとおしるこも違うんですよね。
大阪のぜんざいは小豆の粒が入っているもので、これを関東はおしること言うそうですね。
大阪のおしるこはこしあんのお汁です。
小豆のつぶつぶだけで汁けのないのを亀山と言ったと思います。
そういえば、ところてんに黒蜜をかけるのも関西だけとか・・・
地方によって色々ですね。でも、美味しけりゃいいんです!

桜の蕾はまだまだ堅いですが
私の胃の中は

はーるでぇ~す!

入院と抗癌剤4回目

2006年03月24日 19時43分30秒 | 抗癌剤
'05年5月12日
前日の夜から排泄がありません。
人工肛門なので常に液体が溜まっているはずなのに出ないのです。
この日の朝には嘔吐もするし、腹痛もあり病院に行くしかありませんでした。
レントゲンでも腸に詰まりがあるし、血液検査でも炎症反応が出て、16日に抗癌剤入院をする予定だったこともあり、即、入院、絶食、点滴となりました。
たぶん、腸閉塞だろうと思いしっかり入院準備をして行ったので慌てずにすみました。。
家族からは「何でも、食べるからだ」とお叱りの言葉・・・
エーッ、そんなに食べてるつもりないんだけどぉ~!と不満を言っても仕方ない。
点滴とお友達してました・・・。

毎日レントゲン撮影してKDr、「悩むところではあるが・・・」と言いつつ3日目の昼食から三分粥で食事スタート。
自分でも徐々に、少しずつと言い聞かせながら慎重に食べていました。

取り敢えず、予定より1日遅れの17日には4回目の抗癌剤を施行。
点滴の回数も重なり左には入れられる所が無くなってきて手の甲で挑戦。
人工肛門の始末があるので出来るだけ右手は空けておきたかったけど、手の甲にも入れられず、結局右手になってしまいました。

抗癌剤で最高に酔っぱらって醜態をさらした2回目以降は、慣れてアルコールに強くなったのか、眠くはなるものの、酔っぱらいにはならずに済みました。

翌日、血液検査の結果も悪くなかったので退院の運びとなりました。
1週間ほどで出られて一安心。
自宅で副作用との闘いが待ってます。

4回目無事終了。

To be continue

お葬式

2006年03月23日 23時56分50秒 | 未分類
先ず、重い話題ですが気楽に「ふ~ん」くらいで読んでいただけるとありがたいです。

21日幼なじみIちゃんのお母さんが83歳で膵臓癌のため亡くなりました。

早くにご主人が亡くなり女手一つで3人の娘さんを育てた人です。
中学生の頃近所に住んでいて、次女のIちゃんと同級生で仲良くしてました。
このお母さんの弟の元で私の父が大工として働いていたこともあり、家族ぐるみのお付き合いでした。
私が結婚してからはIちゃんとも年賀状の挨拶程度になって殆ど会っていない状態でした。
でも、私と同じ市内の長女の元にお母さんは同居していました。
去年、私が2回目の手術で入院中に病院内でお母さんと長女さんが私を見かけたとのことで久しぶりにIちゃんが心配して電話をかけてきてくれました。

私は自分が卵巣癌で一時は危なかったけど元気になったことを報告。
Iちゃんは看護師さんなので私を気遣って、すでに手遅れの膵臓癌と宣告されたお母さんのことは「膵臓が悪くて通院してる」とだけ言っていました。
ですから、お母さんが癌で亡くなったと聞いてショックでした。

昨夜は夫とお通夜に参列。
今日は両親とお葬式に参列。
棺のお顔も拝見させていただいてお花も入れ、お別れしました。
娘達や孫達に好きだった苺を沢山入れてもらって旅立たれました。

人は死んだらどうなるんだろう。
お通夜やお葬式で遺影を見ながら改めて考えてしまいました。

病気になってからもお葬式には3回程参列したのですが、Iちゃんのお母さんのお葬式は、自分の両親の年齢も重なったり、自分自身のことと重なり、なんだかそんなことを考えてしまいました。

癌と宣告され自分でもかなり悪いのでは、このまま死ぬのではと考えていた頃、お墓は遠く離れた、私の全く知らない人達の名前が刻まれた夫家のお墓に入れられるんだろうか?元気な時からそのお墓には入りたくないと宣言していたけど願いは聞いてくれるかしら?とか、お葬式は多額の費用が掛かかると聞いたことがあるけど迷惑かけるなぁとか、変な心配してました。

にわかクリスチャンとして神様にお祈りしながらも、神様を信じる人だけが天国に行けて、私の家族はクリスチャンじゃないからもう会えないんだっったら天国には行きたくないなぁ、家族がいつか来てくれる所に行きたいなぁ等いろいろ考えていました。

すっかり、元気になり、どこが病気?と言われそうなくらいになった今、忘れていた、そういう色々な事がお葬式で甦ってきました。

人は必ず死にます。
普通、死んだらお葬式をします。
でも、死んだ本人はどんなお葬式か、どんな人がお別れに来てくれたのかわかりません。
それとも魂となって見ているのでしょうか?

>死に対する伝統的な宗教の教え、解決法というのは、
>人間の生命は死後もつづく、この自分というものが、この地上の世界で、
>一応は死んでも、本当にはまだ死んでいない、
>人間が生きている間に実現できない理想、、
>その理想をみたしてくれる永遠の理想世界に生きることが、
>この世の人間生活よりも大事であると主張すること。

「死を見つめる心」(きゃんべるさんが「死生観」で紹介された本)から本文通りではありませんが抜き出してみました。

人間は死後、天国や浄土や極楽や、生まれ変わりなど、終わりではなく、生きつづけるという主張でしょうか。

本の著者は死んだら「無」になると言っています。
私も「無」だと思います。
神様に祈ってはいますが、やっぱり「無」だと思います。
また、著者は「死は大きな『別れのとき』とである」とも言っています。

お葬式は告別式でもあります。
生きている人間が死んだ人との別れを実感する儀式なのかもしれません。
だとすると、死んでいく人間は葬式だのお墓だの気にする必要はないのかも。
「無」になるんだったら、生きている人が納得して「お別れ」が出来るようにすればいいんじゃないかな。

癌は死と向き合う病です。
でも、元気で死に直面したことのない人より「別れ」を意識できるチャンスをもらえました。

今、生きていることを大切に、別れの準備を日常の中で少しずつしていけば、たとえ死が「無」であろうと、死後の世界が有ろうと無かろうと、じたばたせずにその時が迎えられるかな・・・と思います。

いろいろ考えさせられたお葬式でしたが改めて死と向き合わせてくれたのはIちゃんのお母さんの「頑張って」という励ましだったのかもしれません。

なんだか支離滅裂な文章になってしまいました・・・すいません。

でも、のほほ~んと生きて、やりたいことして、「別れの時」にはみんなに「あんた、もう満足やろ!」と笑顔で送り出してもらえるようにしたいな