松村 英樹 闘魂日記

燃える闘魂 MATSUMURA BLOG

直方のスーパースター!魁皇が引退!!

2011-07-20 08:41:57 | Weblog

大相撲名古屋場所10日目 ○琴欧洲(押し出し)魁皇●(19日・愛知県体育館) 大関・魁皇が名古屋場所10日目の19日、引退を決めた。大関・琴欧洲に押し出され7敗目を喫した打ち出し後に名古屋市緑区の部屋で師匠の友綱親方に引退の意思を伝え、師匠が発表した。若貴兄弟、曙と同期の88年春に入門。持ち前の怪力を武器に大関に昇進し5回の優勝を飾る一方、度重なるけがと懸命に闘った24年の力士人生。今場所で新記録を達成した通算最多の1047勝を花道に土俵を去る。今後は年寄「浅香山」を襲名し友綱部屋付きの親方として後進の指導を務める。

ついに魁皇が土俵を去る。琴欧洲に完敗した打ち出し後。部屋に戻り友綱親方に引退の意思を伝えた。「師匠と話をしました。あとは師匠から全部、聞いて下さい」。代わって師匠が「本人からの意向で引退と聞きました」と発表。正式には20日に協会に引退届を提出。名古屋市内で会見を開き心境を明かす。

88年夏場所2日目から数えて1731回目の出場となった最後の一番。琴欧洲の突っ張りになすすべなく後退し土俵下に落ちた。「防戦一方で思った相撲が取れない。まぁしょうがない」。9秒1の惨敗に悔しさはない。この瞬間に引退を決断したのだろう。力ない笑みは土俵で戦う力士の顔ではなかった。

若貴、曙と同期の88年春に入門。優勝5回の栄光の影で最後に賜杯を抱いた04年秋以降はけがの連続で常に進退と背中合わせの土俵を務めてきた。歴代1位を誇る幕内在位107場所の今場所はまさにその集大成だった。

友綱親方が引退までの舞台裏を明かす。「本人は春場所が中止になった時点で気持ちは切れていた」。八百長問題で春場所が中止。本場所に向け稽古を続けてきた気力が消え体重は9キロも減った。なえた気力を奮い立たせたのが4月21、22日に部屋で行った被災地への慰問だった。「魁皇さんの相撲を見せてください」。被災者から逆に励まされ「もう少し頑張ろうと思った」と師匠は明かす。

糸のように細くなった闘志を奮い立たせ千秋楽には白鵬を破り9勝を挙げた。不滅と言われた千代の富士の通算1045勝にあと1勝に迫っていた。一方で持病の座骨神経痛が悪化の一途だった。下半身のしびれは取れず左足はまひしていた。普通なら休場だったが場所中も連日、奈良まで治療に通いけがと闘った。「目標があったから何とか土俵に立った。思い残すことは何もない。本当によくやった」と親方。1047勝の金字塔の裏側に壮絶な最後の戦いがあった。

引退発表後、魁皇はコメントを出した。

「やっと終わったな、長かったと思う。振り返ればいろんな人に支えられ応援してもらった。そういう人たちがいたからここまでやって来れた。相撲人生は長い。簡単に振り返れないけどすべての人に感謝したい。言葉にできないほど感謝でいっぱい。魁皇としての人生は最高でした」。

やるべきことはすべてやり尽くした。精根尽くした男が残した魂の言葉だった。

 ◆魁皇 博之(かいおう・ひろゆき)本名・古賀博之。1972年7月24日、福岡県直方市生まれ。38歳。88年春に初土俵。92年初、新十両昇進。93年夏、新入幕。94年夏、新三役昇進。00年夏、初優勝。同年秋に大関に昇進する。優勝5回。三賞は15回(殊勲10回。敢闘5回)。金星6個。通算勝ち星1047勝、幕内在位107場所、幕内出場1444回、幕内勝ち星879勝はいずれも史上1位。家族は充子夫人。身長185センチ、体重164キロ。得意は左四つ、寄り、上手投げ。



なんというか継続は力なりとでも言おうか、こんくらい頑張ってる人が引退するとなると気持ちよく「お疲れさまでした!」って言えるよね。
正確には覚えてないけど、俺達力士が相撲を取らないでどうする!と一喝して力士達をまとめ上げたって逸話にもプライドや責任感を感じるしさ。
苦難を乗り越えて通産勝ち星一位の偉業を達成したことも努力とか根性とかいろんなもんが混ざっていて、さすが直方のスーパースターって感じだぞ。
魁皇関、お疲れさまでした!