1994年春のヨーロッパ旅行~イタリア編、デジタルアーカイブス、シリーズ第5弾
ヴェネツィア観光の中心サンマルコ広場。海の方を見やるとサン・ジョルジョ・マッジョーレ島が海上に浮かんでいました。ゴンドラが海辺を漂っていて、いかにもヴェネツィアらしい情景でした。


↑サンマルコ寺院

サンマルコ寺院の隣にあるドゥカーレ宮殿の裏には牢獄とを結ぶ有名な「溜息の橋」があります。21世紀になって、さくらこさんと訪問した時は宮殿が改修工事を行っていましたので、すっきりした写真が撮れたのはこのときだけでした。
さて、ヴェネツィアの公共交通機関、ヴァポレットという水上バスに乗ってサンタルチア駅の方に向かいます。大運河(カナル・グランデ)を進んでいくとリアルト橋の下をくぐります。

こう書いていくと、いかにもありきたりのヴェネツィア紀行になってしまいます。それでは、わざわざ発表する意味もないので、ここからは、こだわりの訪問記となります。
ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーは、最後の作品「パルジファル」を書きあげたあと、ヴェネツィアに滞在します。そして、この地で亡くなってしまうのですが、その場所があると聞いていたので、訪ねてみることにしたのです。
リアルト橋を過ぎてしばらくすると右側に見えてくるヴェンドラミン・カレルジ宮という建物がそれです。

近くの停留場で下車し、表にまわってみました。

今はカジノになっていて、見学だけというわけにはいきません。しかし、玄関脇に記念の銘板がありましたので、その写真を撮っておきました。

リヒャルトをイタリア語読みするとリッカルドになります。指揮者のリッカルド・ムーティは、ドイツ人だったらリヒャルト、英米人だったらリチャードなのです。
1883年2月13日、69歳で亡くなりました。合掌。
遺体はドイツに戻り、お墓はバイロイトの自宅ヴァーンフリート荘の裏庭にあるそうです。
<参考>
ヨーロッパ鉄道旅行写真 デジタルアーカイブス、ポータルサイトは、こちら
ヴェネツィア観光の中心サンマルコ広場。海の方を見やるとサン・ジョルジョ・マッジョーレ島が海上に浮かんでいました。ゴンドラが海辺を漂っていて、いかにもヴェネツィアらしい情景でした。


↑サンマルコ寺院

サンマルコ寺院の隣にあるドゥカーレ宮殿の裏には牢獄とを結ぶ有名な「溜息の橋」があります。21世紀になって、さくらこさんと訪問した時は宮殿が改修工事を行っていましたので、すっきりした写真が撮れたのはこのときだけでした。
さて、ヴェネツィアの公共交通機関、ヴァポレットという水上バスに乗ってサンタルチア駅の方に向かいます。大運河(カナル・グランデ)を進んでいくとリアルト橋の下をくぐります。

こう書いていくと、いかにもありきたりのヴェネツィア紀行になってしまいます。それでは、わざわざ発表する意味もないので、ここからは、こだわりの訪問記となります。
ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーは、最後の作品「パルジファル」を書きあげたあと、ヴェネツィアに滞在します。そして、この地で亡くなってしまうのですが、その場所があると聞いていたので、訪ねてみることにしたのです。
リアルト橋を過ぎてしばらくすると右側に見えてくるヴェンドラミン・カレルジ宮という建物がそれです。

近くの停留場で下車し、表にまわってみました。

今はカジノになっていて、見学だけというわけにはいきません。しかし、玄関脇に記念の銘板がありましたので、その写真を撮っておきました。

リヒャルトをイタリア語読みするとリッカルドになります。指揮者のリッカルド・ムーティは、ドイツ人だったらリヒャルト、英米人だったらリチャードなのです。
1883年2月13日、69歳で亡くなりました。合掌。
遺体はドイツに戻り、お墓はバイロイトの自宅ヴァーンフリート荘の裏庭にあるそうです。
<参考>
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