1990年夏のヨーロッパ旅行、シリーズ第4弾
ノルウェーの首都オスロからドイツへ向かいました。乗ったのは、国際夜行列車『アルフレッド・ノーベル』号。発車はオスロ中央駅です。
centralstationのスペルがsentralstasjon。英語ではなくてノルウェー語なのです。
発車案内板には、17時発ハンブルク行きと出ていました。
ホームに出ると、列車が横づけになっていました。ノルウェーなのに、スウェーデンの電気機関車が先頭に立っていました。国境まで2時間ほどですが、大きな都市がなさそうなので、付け替えの手間を省くためでしょう。
私が乗るのは1等寝台車。TEN(Trans Euro Nacht、英語ならNightです)のロゴが付いていました。
客車の行先表示板(サボ)も見ておきましょう。
個室寝台は手狭で、窓寄りに洗面台があるところなど、旧国鉄のブルートレインのオロネ25みたいでした。
17時発車とはいえ、夏の北欧ですから、日はまだ高く、しばらく走っても昼間の列車のような車窓でした。
撮影場所は、まだノルウェーなのか、すでにスウェーデン領内に入っていたのか、今となっては分かりません。
スウェーデン第2の都市ヨーテボリで進行方向が変わり、ようやく日が暮れ、夜のスウェーデンを走っていきます。食堂車はなく、1等寝台の客は、倉庫のような別室で温かい食事を食べることができました。ムードはなかったですが、美味しい食事でした。
寝ている間に、スウェーデン南部のヘルシンボリからフェリーに客車ごと載せられ、カテガット海峡を渡ってデンマークのヘルシンオアへ。上陸後、首都コペンハーゲンを経て、ロービューへ。再び列車ごとフェリーに乗せられ、バルト海を渡って、ドイツへ向かいました。
たぶん、目が覚めたのはフェリーの中。ドイツのプットガルデンで上陸し、窓から外を見ると、すでに朝となっていて、赤いディーゼル機関車が列車を牽引していました。
列車の編成は寝ている間にかなり変わっていて、ヨーテボリかヘルシンボリでストックホルム初の車両を併結していたようでした。このときは、ハンブルクまで行かないで、リューベックで下車したと思います。写真が残っていないのが残念です。
ノルウェーの首都オスロからドイツへ向かいました。乗ったのは、国際夜行列車『アルフレッド・ノーベル』号。発車はオスロ中央駅です。
centralstationのスペルがsentralstasjon。英語ではなくてノルウェー語なのです。
発車案内板には、17時発ハンブルク行きと出ていました。
ホームに出ると、列車が横づけになっていました。ノルウェーなのに、スウェーデンの電気機関車が先頭に立っていました。国境まで2時間ほどですが、大きな都市がなさそうなので、付け替えの手間を省くためでしょう。
私が乗るのは1等寝台車。TEN(Trans Euro Nacht、英語ならNightです)のロゴが付いていました。
客車の行先表示板(サボ)も見ておきましょう。
個室寝台は手狭で、窓寄りに洗面台があるところなど、旧国鉄のブルートレインのオロネ25みたいでした。
17時発車とはいえ、夏の北欧ですから、日はまだ高く、しばらく走っても昼間の列車のような車窓でした。
撮影場所は、まだノルウェーなのか、すでにスウェーデン領内に入っていたのか、今となっては分かりません。
スウェーデン第2の都市ヨーテボリで進行方向が変わり、ようやく日が暮れ、夜のスウェーデンを走っていきます。食堂車はなく、1等寝台の客は、倉庫のような別室で温かい食事を食べることができました。ムードはなかったですが、美味しい食事でした。
寝ている間に、スウェーデン南部のヘルシンボリからフェリーに客車ごと載せられ、カテガット海峡を渡ってデンマークのヘルシンオアへ。上陸後、首都コペンハーゲンを経て、ロービューへ。再び列車ごとフェリーに乗せられ、バルト海を渡って、ドイツへ向かいました。
たぶん、目が覚めたのはフェリーの中。ドイツのプットガルデンで上陸し、窓から外を見ると、すでに朝となっていて、赤いディーゼル機関車が列車を牽引していました。
列車の編成は寝ている間にかなり変わっていて、ヨーテボリかヘルシンボリでストックホルム初の車両を併結していたようでした。このときは、ハンブルクまで行かないで、リューベックで下車したと思います。写真が残っていないのが残念です。