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nodatchのブログ

鉄道が好きな旅行作家が、取材や出版などの個人的な話を書いていきます

ベルリン1990年夏

2018-10-23 19:19:00 | ヨーロッパの鉄道
1990年夏のヨーロッパ旅行、デジタルアーカイブス、シリーズ第20弾

統一直前のベルリン。市内はSバーン(旧国電に相当)とUバーン(地下鉄)でまわりました。
Sバーンは第3軌条集電なので架線やパンタグラフはありません。ずいぶん旧式の車両でした。







Uバーン(地下鉄)は、東京メトロ銀座線のモデルだけあって、色は似ています。どの路線も同じ色なので慣れないとまごつきます。東京のように路線ごとに色を変えるアイデアは秀逸です。


さて、ベルリン市内の各所の様子。珍しく私の姿が映っていました。まずはブランデンブルク門。統一を控えて工事中でした。

ベルリンの壁は、一部壊されましたが、まだまだ残っていました。

東西の境にあった検問所チャーリーポイント。すでに行き来自由で観光名所になっていました。


東側の目抜き通りウンター・デン・リンデン。


ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートホール。奇抜なスタイルからカラヤン・サーカスと渾名されていましたが、これは大筋は今も変わらないような気がします。


きりがないので、この辺でおわり。

統一直前のベルリンへ

2018-10-16 16:43:00 | ヨーロッパの鉄道
1990年夏のヨーロッパ旅行、デジタルアーカイブス、シリーズ第19弾

ハンブルク滞在後、列車でベルリンへ。ドイツ再統一を2か月後に控えていましたが、まだ東西ドイツのままでした。

ハンブルク・アルトナ駅から乗ったベルリン行き列車は、東ドイツ国鉄のディーゼル機関車。ドイツのものというよりは旧ソ連製なので、いかにも共産圏の機関車というゴツい感じでした。

この当時は132形といっていました。西ドイツ国鉄は、電気機関車の形式は100番台、ディーゼル機関車の形式は200番台でしたが、東ドイツ国鉄は、電気機関車が200番台、ディーゼル機関車は100番台と逆でした。統一後は、DB(西ドイツ国鉄)がDR(東ドイツ国鉄)を吸収したかたちになり、東の機関車は改番されました。この132形も232形となりました。

ハンブルク・アルトナ駅に隣接して広大な車両基地があります。列車の車窓からは転車台のまわりに蒸気機関車ではなくディーゼル機関車がずらりと並んでいました。


ハンブルクの市街を抜け、平原を東へ進むと、やがて東西ドイツの国境が見えてきました。

監視塔もすでに有名無実で無人。列車が一旦停止したかどうかは、忘れてしまいましたが、検問などはなく、スムーズに東ドイツエリアへ入りました。西ドイツエリアに比べると、家屋は薄汚れていてどこか貧しさを感じさせました。同じドイツなのに、解放されると両国の差は歴然としていたのです。

途中駅で東ドイツの凸型ディーゼル機関車とすれ違いました。

我が国のDE10形タイプの機関車。後に212形と改番されたはずです。

現在、ハンブルク~ベルリン間は、高速列車ICEで1時間半ほど。当時は、たっぷり3時間はかかったような気がします。ベルリン市内は緑が多く、列車は、ゆっくりと市内へ入って行きました。
後日、ベルリン滞在中に撮影した走行写真です。


西ベルリンのターミナルはツォー駅Zooでした。英語のzooと同じで近くに動物園があったので、この駅名になりました。今はターミナルが2006年に開業した中央駅に移り、東京でいうと新橋のような駅になってしまいました。当時は、非電化で架線が張られていませんでしたので、空が広いですね。


何日かベルリンに滞在した後、西ドイツへ戻る列車には、東ベルリン地区にあったフリードリヒ・シュトラーセ(通り)駅から乗車しました。その列車は119形という、変わった風貌のディーゼル機関車重連でした。ホーム入線時の写真が残っていましたので掲載しておきます。




ヨーロッパ鉄道旅行写真 デジタルアーカイブス、ポータルサイトは、こちら

ハンブルクの鉄道情景

2018-10-10 17:45:00 | ヨーロッパの鉄道
1990年夏のヨーロッパ旅行、デジタルアーカイブス、シリーズ第18弾

北ドイツの大都会ハンブルクの鉄道情景。まずは中央駅(Hauptbahnhof)。雨上がりの駅前には、市内観光用の列車風乗り物が待機していました。

この当時のホームの駅名標です。

中央駅から外に出て市内を歩いてみました。街の中心部にはアルスター湖があって市民の憩いの場所になっています。中央駅からアルトナ駅に向かうDB(ドイツ連邦鉄道=当時)の幹線が湖を横切っていました。列車が頻繁に通過するので、少し待っているだけでも何カットも撮れてしまいました。

103形電気機関車の牽引する急行列車InterRegio.

貨物列車もやってきました。

ハンブルクの西部にある終着駅アルトナ駅。行き止まり式のターミナル駅で、車両基地も隣接しているのでホームの端に立っているだけで退屈しません。

103形電気機関車の牽引するインターシティInterCityはアルトナ駅が終点です。


デンマーク国境方面への路線は非電化なので、ディーゼル機関車牽引で発着していました。

ついにSL登場!!

2018-10-05 17:50:00 | ヨーロッパの鉄道
1990年夏のヨーロッパ旅行、デジタルアーカイブス、シリーズ第17弾

前日の車掌の話を信じて、日曜の朝、ハンブルク・アルトナ駅に向かいました。ホームには前日お世話になった旧型客車の編成が停車中。車両を眺めながら、ホームの先端へ急ぎます。しかし、まだ牽引機は不在、その先では、カメラ片手の鉄道ファンが何人も待っていました。前日のイベント列車で一緒だったドイツ人の若者が笑みを浮かべて、先にある車両基地の方を指さします。その方向を見ると煙が上がっているではありませんか! 間違いなく、SLが待機しているようです。

その時、昨日の牽引機V200形が単機で近づいてきました。「まさか」と一斉にブーイング。V200は列車の先頭に連結されました。すかさず、構内放送があって「まもなく、蒸気機関車がやってきます!」今度は拍手が沸き起こりました。そして、ゆっくりと蒸気機関車が後ろ向きにホームに近づいてきました。



ゼロイチではなく、貨物用の50形。デゴイチみたいなSLですが、動輪は5つ。日本式に言えばE50といったところでしょうか?キャブ(運転台)には、DB(Deutsche Bundesbahn=ドイツ連邦鉄道=西ドイツ国鉄)ではなく、Deutsche Reichsbahnと書いてありましたから、車掌の言うように東ドイツ地区から借りてきた機関車のようです。



急遽ピンチヒッターに指名されて、試運転も行っていないので、万一に備えてV200形がSLの次位に連結されているものと思われます。

さっきまで写真を撮っていた連中のほとんどは列車に乗るようで、いつの間にかホームにいる人はまばらになってしまいました。日本だったら、大都会のターミナル駅からSL列車が発車しようものなら、大変な混雑でロープが張られ、警備員も出て大騒動でしょう。それに比べると、のんびりしたものです。小雨のせいで、8月とは思えないほど気温が下がってきました。長袖シャツを着てきて正解でした。

発車時刻になると、汽車は盛大な煙を上げて動き出しました。図体に似合わない甲高い汽笛を鳴らします。






客車が目の前を通過して行きます。さっきの若者が乗っていました。手を振っていると、昨日の車掌が身を乗り出して安全を確認しています。ふと目が合ったので、手を振ると、「どうだ、嘘は言わなかったでしょ」と言わんばかりにガッツポーズで反応してくれました。

列車はぐんぐん加速してホームを後にしました。行先は、北辺のリゾート島ヴェスターラント。乗りたかったなあ。

さて、ホテルに引き揚げるか、とホームを歩いていたら、警笛が鳴ります。なんと特急列車牽引機103形です。イベント列車を車両基地からホームまで牽引してきたのでしょう。何とも贅沢なやりかたですね。


この土日2日間にわたるイベント列車の顛末については、拙著「ドイツ=鉄道旅物語」(東京書籍、のちに光文社知恵の森文庫)第6章「永遠なれ!蒸気機関車」p52~p63をご覧ください。なお、写真ではなく横溝英一画伯の挿絵入りでしたので、写真は初めてご覧になる方も多いのではないでしょうか。

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プレーン滞在、湖と駅~SLの代役ディーゼル機V200形牽引イベント列車の旅。その2

2018-10-04 10:47:00 | ヨーロッパの鉄道
1990年夏のヨーロッパ旅行、デジタルアーカイブス、シリーズ第16弾

SLの代役ディーゼル機V200形牽引イベント列車の旅。その2

この旅の目的地プレーンには湖があるので、まず一行は貸切の遊覧船で湖上をめぐりました。
船を待っていた時の写真ですが、肝心の船の写真がありませんでした(汗

プレーン城が見えてきたので撮ってみました。ランチは船上のカフェテリアで摂ったような気がします。

前回(シリーズ第15弾)にご紹介したV200の写真を撮影したら、このローカル線を走るディーゼルカーがやってきました。V200形との並びです。


プレーン駅に戻ります。小さいながらもまとまっていて、鉄道模型のレイアウト(ジオラマ)に作ってみたくなるような駅でした。




この路線は新型(当時としては)ディーゼルカーが主力ですが、少ないながらもディーゼル機関車牽引の客車列車も走っていました。それがやってくると、ツアー一行は、みなカメラを構えます。日本もドイツも同じですね(笑)



国鉄DD54形のルーツです。

機関車の次位には貨車が連結されていました。混合列車というよりは、荷物車の代用だと思います。現在は、どうなっているのでしょうね。

この後、V200形牽引のイベント列車が入線。私も乗り込みました。列車は、引き返すのではなく、さらに先へ行き、何と廃線となった路線を最徐行で進んで南下し、バート・オルデスロウというハンブルク~リューベック間の幹線に合流しました。この駅で、東ドイツ地区から駆け付けたSLに交代との情報があったのですが、SLは現れず、そのままハンブルクに戻りました。

ハンブルク中央駅のホームで車掌に感想を聞かれたので、「楽しかったけれど、SLが故障したのは大変残念」と答えました。すると、真顔で、明日は代機が準備できるから、朝一番にハンブルク・アルトナ駅へ来ないか?と時間を教えてくれました。Dankeと礼を述べて、明日の再会を心待ちにしました。