この文章は「かしはら探訪ナビ」から全文拝借させていただきました。
現在奈良市の西の京にある薬師寺(やくしじ)の前身にあたる寺です。
天武(てんむ)天皇が後の持統(じとう)天皇である皇后の病気平癒のため祈願して、
天武9年(680年)に薬師如来を本尊とする寺の建立に着手。
完成しないうちに天武天皇が崩御したので、持統天皇がその遺志を継いで完成させました。
当時は、金堂や東西に二つの塔がありました。
平城遷都に伴って寺は伽藍ともども西の京へ移築されたと言われていましたが、
別々に造られたという説が有力です。
それ以来、この寺は本薬師寺(もとやくしじ)と呼ばれるようになりました。
いま、寺には小堂が建っているばかりですが、
前庭にあたる跡地には金堂の礎石や東西両塔の上壇、塔の心礎などが残されています。
現在、その背景には畝傍山(うねびやま)が望めますが
その光景はいかにも天皇が発願した官寺跡にふさわしいものです。
現在奈良市の西の京にある薬師寺(やくしじ)の前身にあたる寺です。
天武(てんむ)天皇が後の持統(じとう)天皇である皇后の病気平癒のため祈願して、
天武9年(680年)に薬師如来を本尊とする寺の建立に着手。
完成しないうちに天武天皇が崩御したので、持統天皇がその遺志を継いで完成させました。
当時は、金堂や東西に二つの塔がありました。
平城遷都に伴って寺は伽藍ともども西の京へ移築されたと言われていましたが、
別々に造られたという説が有力です。
それ以来、この寺は本薬師寺(もとやくしじ)と呼ばれるようになりました。
いま、寺には小堂が建っているばかりですが、
前庭にあたる跡地には金堂の礎石や東西両塔の上壇、塔の心礎などが残されています。
現在、その背景には畝傍山(うねびやま)が望めますが
その光景はいかにも天皇が発願した官寺跡にふさわしいものです。