のぶひさの日記

生きていくのはいろいろあるね。出会いを大切に。また会えるといいね。

大学は変われるか

2012年02月20日 | Weblog
電車で向かいのおっさんが読んでた新聞に「大学変革」とかいう見出しがあった。

そう、秋入学の話です。
秋入学になれば留学生もたくさん来て大学が活性化する。
グローバル基準になって大学が良くなるらしいと・・・。

留学生がたくさんきて、日本にいながらにしていろいろな国々の人に触れ合える。
大賛成です。

とはいえ、おじいちゃん教授どもを温存したままで秋入学、グローバル化ですか?
マジでカンベンしてくれ。

おじいちゃんたちが頑張っているおかげで若手にはまったくポストが回ってこないのは周知の事実。
じいさんたちがなかなか辞めてくれません。
つまり若手は仕事させてもらえません。
こんな状態でグローバルも活性化もないよ。

おじいちゃん教授の再雇用禁止、東大教授定年になってから私大に来るの禁止、
もちろん官僚が天下って教授になるのも禁止。マスコミ定年になった人を教授にするのもかんべん。

そうしてくんないと、若手はまったく研究できません。

おじいちゃんたちが将来死んだら、
後を担う人たちがいなくなっちゃうよん。

だいたいさ、
教授、准教授、講師と下に降りていくにしたがって人数が減っていくという日本の大学はおかしい。
民間会社にたとえると、取締役や部長が一番多くて、平社員が一番少ない構造。
こんな状況を温存したままの大学改革はありえんよ。

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3 コメント

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なるほどね~ (jester)
2012-02-21 18:58:17
そういえば、わたくしの通っていた大学も教授ってみんなおじいさんだったな~~

確かに、そういうところから改革していかないとダメなんですね。

のぶひささん、頑張って!!
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>jesterさん♪ (のぶひさ)
2012-02-21 21:57:07
こんにちは。
最近のおじいちゃん達は定年になっても居座り続けるのでホント大変ですよ。
官僚やマスコミ出身者もバンバン流れてくるし。
なんとかがんばりますわー。
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no philosophy (noga)
2012-03-05 21:47:38

日本語には時制 (tense) はない。
過去・現在・未来のそれぞれの世界を脳裏に描くことは難しい。
前世・現世・来世に関するインド人の教えも、日本語脳では定かでない。
「我々はどこから来たか」「我々は何者であるか」「我々はどこに行くか」といった哲学的命題は考えられない。

理想 (ideal) は、未来時制の内容である。
意思 (will) も未来時制の内容である。
理想がなければ、未来社会の建設計画もない。
意思のないところに方法はない。(Where there’s a will, there’s a way).

意思はなくても恣意 (self-will) はある。
建設的な話はできなくても、出来心はある。
問題解決の能力はなくても、事態を台無しにする力だけは持っている。
政治は遅々として動かない。人々の頭を閉塞感が襲う。

英語のリスボンシビリティ (responsibility) は応答可能性であり、自己の意思により現実対応策を考えて行使するものである。
責任は、自由意思により果たすところが大切なところである。
意思なくしては、責任は果たせない (責任はとれない)。とかく、この世は無責任となる。

ところが、日本人には意思がない。子供・アニマルと同様である。
場当たり的な行動にでるしかない。
未来時制の内容に確信は持てない。不安ばかりが募る。
ただ目的の遂行だけを求められるならば、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶことになるのは必定である。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
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