実家に帰ってきました。
やはり猫の儀式というものでしょうか…
再会とは言え、今回もミーナちゃんとチロちゃんの攻防戦がしばらくの間続きました。
が、翌日にはすっかり仲間だということを思い出したのか、仲良くじゃれあったり体を寄せ合って昼寝をしていました。
両人(猫)ともコタツや布団の中を寝床にして、自由気ままに暖をとっている姿があいくるしいです。
今日、今年の2月に建立したという我が家のお墓を、両親とともにお花と線香を携えて参りに行きました。
山々に囲まれた高台の霊園にて、とても空気・見晴らし・日当たりのよいすてきなところにそのお墓は建っていました。
ご先祖様の魂は入っているそうですが、まだ誰のお骨も収められていないお墓に、そっと手を合わせるのは、何とも不思議な思いがしました。
考えたくないけれど、いつかは訪れる死…
今年は、とても近しい人たちの悲しい知らせが度重なったので、より「死」というものを身近に感じる年となりました。
思いを馳せると、すぐに瞼が熱くなってしまいます。
何気ない日々の出来事とか人との繋がりとか…その存在の大きさを改めて感じます。
出会いのありがたさをかみしめて…
来年は、楽しい知らせがたくさんありますように、願いたいと思います。
それでは、みなさん、よいお年をお迎えください。
やはり猫の儀式というものでしょうか…
再会とは言え、今回もミーナちゃんとチロちゃんの攻防戦がしばらくの間続きました。
が、翌日にはすっかり仲間だということを思い出したのか、仲良くじゃれあったり体を寄せ合って昼寝をしていました。
両人(猫)ともコタツや布団の中を寝床にして、自由気ままに暖をとっている姿があいくるしいです。
今日、今年の2月に建立したという我が家のお墓を、両親とともにお花と線香を携えて参りに行きました。
山々に囲まれた高台の霊園にて、とても空気・見晴らし・日当たりのよいすてきなところにそのお墓は建っていました。
ご先祖様の魂は入っているそうですが、まだ誰のお骨も収められていないお墓に、そっと手を合わせるのは、何とも不思議な思いがしました。
考えたくないけれど、いつかは訪れる死…
今年は、とても近しい人たちの悲しい知らせが度重なったので、より「死」というものを身近に感じる年となりました。
思いを馳せると、すぐに瞼が熱くなってしまいます。
何気ない日々の出来事とか人との繋がりとか…その存在の大きさを改めて感じます。
出会いのありがたさをかみしめて…
来年は、楽しい知らせがたくさんありますように、願いたいと思います。
それでは、みなさん、よいお年をお迎えください。