今日は 「三三九度の盃」 を戴いてから49年目を迎えた
その時はこの盃の意味を知る由もなく、ただただ言われるままに従ったが、このお目出度い固めの盃のお陰で49年も無事に過ぎたのかもしれない
今日は語呂合わせでは 「いいふうふの日」 だが、当時はそのような言い方を聞いていなかったので、いつ頃からそんな言い方をするようになったのだろうか?
49年と言ってもあまり感慨を感じないが、永いようであるし、短いようでもあるし、それが人生だと達観するしかない
でも約半世紀を過ごしたから 「いろいろな困った出来事」 があったのは確かだが、その都度それを乗り越えてこられたことに感謝するばかりです
問題は 「これまでの事」 では無く 「これからの事」 がどうなるのか? で、それを考えるといささか不安にもなるが、それは天命に任せるしかないだろう
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今日だけ[いい夫婦]でもなし・いつも[いい夫婦]で
いないといけませんね。
数年前の川柳で見つけたこの一句
[医者よりも 看護師りも あなたの手]
奥様はきっとそう思われていますよ。
アンケートした結果によると
「夫婦円満」と答えた人は77%のようです
男女の差は数字が違うようですが
だいたいは夫婦が穏やかなようです
でも残りの23%の人はどのような理由なのでしょうか?
私もいつも思います
「私たちも穏やかな夫婦でありたい」と
でも現実ではいろいろなことがありますね
特に要介護の妻との関係は複雑そのものです
でも妻を責めることはできませんから
私が頑張るしかありません
何かあったら妻に相談できれば
もっともっといい案もあるでしょうが
今の私たちにはそれがありません
もう50年目に向かっています
来年の今日も何とかこのブログに投稿して
また牡丹さんのコメントを頂きたいものです
西暦でも2015分の50を共に過してきた期間
いろんな思いや思い出が山積みのはずです
でも いい思いでしか思い浮かばないのが・・
なんとも不思議ですね。 このように次の歳に
向けて気持ちを新たにスタートされ、幸せな
50年の歳となりますように・・祈りましょう。
49年と言ってもあまり感じることもありませんが
よく続いてきたな、というのが実感です
夫婦間のトラブルもありましたが
振り返ってもあまり想い出さないのは
あまり深い理由はなかったからでしょうか
来年は50年、どうなることか? と思いますが
それを気にしても詮無いことですから
自然体で生きるしかないと考えています