先日のある日、嫁さんは仕事で外出だから、私たちの昼食を用意してくれた。その日は茹でたウドン、糧はナスとホウレン草、そして剥いて刻んだ柿が小皿に盛ってあり、M用には細かく切ってあった。これらが冷蔵庫に用意してあった。
この柿は先日、散歩の時、近くの農家直販所で買った。通常、直販所では無人で野菜などは現物のまま置いてあるが、この直販所は機械式で100円硬貨を入れ、レバーを少し反時計方向に回すとドアーが開けられて品物を取り出せるタイプだ。
このような方式の直売所になったのはそれなりの理由があったはず。
かつて私が働いていた園芸農家でも入り口で野菜などを無人直売していたが、奥さまの話によると 「減った品物の数と現金が合わないことはしばしば」 だと嘆いていた。
このような販売方式は売り手と買い手が無対面を前提に相互信頼で成り立っているが、品物だけを持っていく輩がいるのは許されることではない。
子供はこのような悪事は行なわないだろうから、大人がそのような行為に荷担しているのは情けない現実でもある。
この柿、四個で100円、早速、食べてみると甘さはほどほどで富有柿特有の風味もあった。柿好きなMも満足したように食べていた。
柿を食べると子供の頃を想い出す。当時、柿は貴重な果物、あの甘さは子供心にも 「うめえなあ~」 と最高の味だった。
ここで一句
松尾芭蕉は田舎にはどこの家にも柿の木があったと俳句で伝えている。
里古りて 柿の木持たぬ 家もなし 松尾芭蕉
それに比べて今はどうだろうか? 実が成っても収穫しない? そんな時代になってしまった。
|
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます