日暮らし通信


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2016年12月06日 08時56分48秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

初冬に咲く残菊

街角にて
(撮影: H281205)



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朝刊のトップページに 「介護殺人や心中 179件」  の四段見出し、サブ見出しには 「13年以降 高齢夫婦間が4割」 と書かれた記事には介護する者として大きな関心を持ったが、私はこのような事件が起こる度に、その加害者を擁護する気持ちばかりが先走ってしまう

一言で 「介護」 と言ってもその家族構成や環境で大きな差があるから、どの事件も同一に処理することはできないであろうが、加害者が独りで介護を担い、そのために孤独な介護に陥って事件に発展するのではないだろうか?

本来なら公的サービスで介護家族を支えるはずだった 「介護保険制度」 も現実には費用の問題などで必要な質と量のサービスを利用できないケースが多いようだ

妻が病を得て要介護者になった時、私は 「夫が妻の面倒を見る」 ことが当たり前の事として考えていたが、そのような価値観はある意味では介護する者の負担ばかりが増して、その結果自己負担が限界を超えてしまうことは充分に考えられることでもある

妻を介護していると強い孤独感に陥ることがあるが、そのような時でも直ちにSOSを発信したりせず、じいっと我慢するだけが私の対処方法でもある

幸いなことに妻は寝たきりの病人では無いことが私にとってはまだまだ介護で頑張れる条件でもあるが、もし寝た切りの妻になったら私の介護はどのように変化するかは自分でも判らない

そして世間から見られた時に 「あいつはカミさんの面倒をよく見ていない」 との風聞を受けないようにと、妙なプライドが余計に自分を頑なにしてしまうことに気付かない

しかし、介護、特に老老介護とはそんなプライドが罷り通る簡単なものではなく、一度介護の世界に入ったらなかなか抜けることが不可能なトンネルのようなものだが、抜け出すためにはたった一つの方法しかない

その方法を無理に求めた時に悲劇が起こるが、介護に苦しむ人ならば必ずそのことを一度は考えたことがあるかもしれない

どんなに介護家庭へのサポートが充分でも 「介護殺人や心中」 がゼロになることはありえないと私は思っている

永年連れ添った妻が、夫が介護された状態が続いた時、介護する者が瞬間的に方向を見失ってしまうことは人間としてあり得ることで、前述したがその加害者を私は擁護する気持ちに変わりはない

そのような悲しい事態になったとしても一般的な犯罪とは違った解釈の上で加害者を更正する方法を官民一体となって考えるべきでもあるが、その前に潜在的に存在する介護家庭の現状をもっと行政側で把握することは不可能であろうか?

妻を介護するようになってから11年、私は未だに 「介護」 と言う仕事の本質を理解できないままに時だけが過ぎ去っているが、 「私も好き好んで介護されることを望んだのではない」 との妻の声が聞こえるようでもある






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1 コメント

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いろんな家庭事情 (屋根裏人のワイコマです)
2016-12-08 12:04:54
介護の問題に限らず、病気や障碍や
色んな事情が各家、各人ごとに違います
ニュースは、世相を喚起するように、記者
の感覚で捉え・・本当の真相が正しく
伝えられることは、めったにありません。
一つだけ・・自分だけは真実です。
それ以外は、家族8割、兄弟が7割とか
関係が遠くなるに従って・・信頼度が
下がっていきます。
真実はどこにあるんだろうか??と
思いつつニュースを読みますと違う
視点が発見できます。
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