日暮らし通信


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「全生園」 と 「国立ハンセン病資料館」

2014年07月31日 21時23分02秒 | 日暮らし通信


今日は東村山市にある 「国立療養所多磨全生園(たまぜんしょうえん)」 を散策することにした

全生園は全国にある国立ハンセン病療養所の一つでハンセン病患者の収容施設であり
現在も過去に収容されたハンセン病患者の治療・看護等を行っている
しかし我が国のハンセン病対策については忘れてはならない暗い歴史があることも事実である

ここは広大な敷地の中に様々な施設があるが、今は園内には自由に入ることが出来る

ハンセン病患者の悲惨な歴史を振り返りながら、まずは次の碑文を見ていただきたい
これは東村山市が 「いのちとこころの人権の森宣言」 を記念した石碑である




 写真説明: 「いのちとこころの人権の森宣言」 碑文
 撮影場所: 全生園にて


私が次に訪れたのは園内東側にある納骨堂、あまりにもひっそりと静寂そのものだ
この納骨堂には多磨全生園の開設以来、園内で死亡した入所者の遺骨が納められている

納骨堂に刻まれた言葉は 「倶会一処倶会一処(くえいっしょ)
 「死しても浄土にてまた逢おう」 との意味を込めると言う

納骨堂傍の石碑には建立の主旨、経緯が刻まれているが
そこに記す3,493人は建立当時の数字で現在はもっと増えているのだろう
その多くの遺骨は家族に引き取られることもなく、孤独無縁のままここに眠っている






 写真説明: 納骨堂 と 碑文
 撮影場所: 全生園にて


園内北側の鬱蒼とした森の中に 「永代(ながよ)神社」 がひっそりと建っている
昭和9年 (1934) に当時の入所者たちの手で立てられた神社である
入所者は様々な面で自由を束縛されたが、信仰の自由は保証されたのだろう

しかしこの神社自体も苦難に遭う
戦後GHQの指令により神社は撤去されたが
昭和30年に再度建立されて現在に至っている




 写真説明: 永代神社社殿
 撮影場所: 全生園にて


最後に訪れたのは全生園の敷地内にある 「国立ハンセン病資料館」
平成5年 (1993) に開館した
ハンセン病患者・回復者たちが生き抜いてきた証しを残し
私たちの社会に同じ過ちが繰り返されないことを願っての開館だった

私が二階の展示室に行くと既に女性7人が見学中で私だけが男性だった
女性はいずれも若い年代、熱心に資料を閲覧していた

見学した感想を述べるには長い時間を頂きたいので省くことにするが
日本のハンセン病対策で誤ったのは治療より隔離政策を優先したことだと私は思った

それと私は知らなかったのだが、多くの子供さんも強制隔離を余儀なくされたことを資料は訴えていた
親と一緒に入所してもすぐに引き裂かれて、もう永久に会えなかった悲劇はあまりに涙を誘う

日本のハンセン病対策の歴史を振り返ると、あまりも悲惨で残酷な人命無視ばかりが目立つ
おそらくは牛馬よりも劣悪な状況の中で患者たちは過ごすことを強制された
(むご)い歴史の連続だと私は感じた
これからはそれを光明に転ずることをぜひ国は先行して実行するように願うばかりだ

もう一つ謎が解けたことがある
土地の者は全生園を 「ぜんせいえん」 と呼んだ
だが 「ぜんしょうえん」 が正式名称だ、何故だろうか?
それは全生園 (ぜんしょうえん) の前身は 「全生 (ぜんせい) 病院」 だと資料の中にあった
おそらくはそれが混同して土地っ子は 「ぜんせいえん」 と呼んでいたのだろう

 「国立ハンセン病資料館」 、もう一度見学したいと思っている




 写真説明: 国立ハンセン病資料館全景
 撮影場所: 国立ハンセン病資料館にて



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4 コメント

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こんばんは (稗島千江)
2014-07-31 22:26:31
のぶまつさん、こんばんは。

沖縄に屋我地島というところがあり、国立ハンセン病患者の
方々が、隔離されました。
現在も家に帰らずそのまま入所されている方々がほとんどと
聞いております。
過去に私も訪ねて、報告が中途半端になっています。
ここにおいでになる方々はほとんどがクリスチャンで、牧師
先生から、今度訪ねようと言われています。
時を同じくして、のぶまつさんのブログでこの記事を読ませ
て頂き何か不思議なものを感じています。
私は辺りの壕を訪ねて行ったのですが、写真の案内はありません。一応その時のブログです。
のぶまつさんの報告に比べおそまつですが、見て下さいね。
私も近々ここに足を運ぼうと思っております。
今日はコメントになっていませんが、もう一度早く足を運び
たい思いにさせて頂きました。有難うございます。

http://blog.goo.ne.jp/hiezimachie/e/bfba1d139d0624606230718cf577970c

それから、沖縄は仏教ですか?
沖縄は先祖崇拝で、宗教をほとんど持っていないのですよ。
今でも私の周辺ではキリスト教を信仰すると、村八分にさ
れる・・・と聞いております。
創価学会の方は以外に多いです。でも歓迎されていないようです。昔からの風習がまだまだ残っています。
私のブログで、また徐々に書くこともあるかもしれません。
返信する
国立ハンセン病資料館 (ワイコマです)
2014-08-01 07:07:56
国立ハンセン病資料館について・・聞いたことのある・・
程度の知識しかありませんでしたが、このようにご紹介
頂き、改めてその経緯がわかりました。誤った政策が
何年も続けられて・・一度法制化されたものは、簡単に
変更や廃止は・・役人の面子で先延ばしとなっている・・
このことを以前に何度も発信しましたが・・・その効果は
感じられませんでした。 その一つのがハンセン病でも
ありました

返信する
HP見ました (のぶまつ)
2014-08-01 15:46:00
稗島さん
沖縄奄美地方には「奄美和光園」「沖縄愛楽園」「宮古南静園」の三か所の国立療養所があるようです

入所者の中には優れた技術を持った人がいて園内の土木・建築はほとんど入所者が自ら作ったそうです
「愛楽園早田壕」もそのような技術で造られたのではないでしょうか

沖縄は先祖崇拝? 参考になりました
ご先祖さまを大事にするのは私が信徒である真言宗でも同じですが、内容は違うと思いますね
おそらくは私たちより先祖との繋がりは強いのではないでしょうか

屋我地島を訪れましたらぜひHPで紹介してください
返信する
ワイコマさんへ (のぶまつ)
2014-08-01 15:55:26
資料館を見学しながら思ったことは、国の施策としては不備だらけのハンセン病対策に対して、幾多の人が草の根的に献身的に援助した経緯が展示されて感動しました
そのような人を私は知りませんでした

当地にハンセン病の療養所を出来ることで住民の反対も多かったようです
しかしそのような過去の歴史は公には公開されていないようです

いつもコメントを有難うございます

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