今は大型連休の真っ最中、コロナ騒動での行動制限も緩和されたようなので、外に出掛ける人も増えたことだろう。
だが私たち夫婦はいつも大型連休のようだから何処へ行く予定も無い。
ふと振り返ると私は昨年の連休は入院していたことを想い出した。
昨年の4月26日、体調不良で街の医院へ行き、すぐ胸部レントゲン検査を受けたら左胸下半分が真っ白とのことで、即医師から入院勧告、救急車で市北部にある総合病院へ向った。
即入院で私の頭は真っ白、偶然にも長男が同行していたので助かったが思いがけない出来事だった。
この病院には遠い昔に入院したこともあったが、それから36年後にまた同じ入院とは、不思議な縁でもあった。
救急車内でオキシメーターで血液中の酸素飽和度を計ると78%、医師も救命士も驚いていたようだったが、私自身はあまり自覚症状は無かった。
だが病院の担当医師はこの濃度と胸部写真、そして私の顔色などを見た時に 「この人は死ぬのではないか?」 と、思ったと後日話してくれた。
入院してからは酸素ボンベと一心同体、院内を歩く時も片時も離れない酸素ボンベだったが、5日目にやっと濃度が回復してボンベとサヨナラした。
入院後、主に点滴治療を受けたが経過も良好で一週間で退院可能だったが、連休中で事務処理ができないために入院してから13日目に退院した。
入院して一番心残りだったのは要介護の妻のことだったが、同居している長男の嫁さんが良く面倒を見てくれたので全く不都合な事は起きなかった。
コロナ騒動のお陰で病院でもそれなりの対策が実行されていたが、家族との面会は一切無く、必要な物品も看護師さん経由でやり取りする厳しさだった。
私はこの病院とは永い付き合いがある。写真は病室から南方向を眺めた光景だが、昭和30年代はこの住宅街は田んぼだったことを知っている人は少ないだろう。
この入院で新たに感じたのは健康であることへの感謝だった。
環境も大きく変貌したが、私も歳を重ねた。この入院でいろいろなことを経験したが、短期で無事に退院できたことは幸いなことだった。
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