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心の平和を求めて・・・

夫と別居→調停離婚成立。
性格や考え方に偏りを持つ人々との戦いの記録です。
やっと心の平和と自由を取り戻しました。

はじめに・・・このブログについて

自己愛性パーソナリティ障害の元夫との戦いの記録をつづっています。 パーソナリティ障害の人と付き合っていくのは 色々な苦労があります。 この障害の人は相手を思いやることができません。巻き込まれると自分の考え方や、人間性まで深く傷つけられてしまいます。 自分のやってきたことを一度まとめて記録にしようとブログを 立ち上げてみました。
はじまりは2005年4月6日から。
現在別居中(ダンナが勝手に出て行きました)→調停離婚が成立しました。

覚え書き↓
2009年11月  ダンナがまたおかしくなりはじめた。
2009年12月  ダンナがまた出て行った。(二度目の別居)
2010年 2月  姑とのバトル。これ以降一切連絡を取っていない。→姑の電話で暴言。

母からの電話

2011-07-30 19:09:26 | 

今日夕方になって母から掛かってきた。

思ったとおり凄いわざとらしい内容だった。
何か紙に箇条書きに書いてある内容を棒読みしている感じで。
私は段々いらだってきた。

しばらく前にも弟の部屋の掃除で会っているのに
「忙しそうだね~昨日も忙しかったみたいね」
などと心にも無いことを。

間違いなく父が電話掛けろと命令したのだろう。

うちの次男がお祭りで昨日も今日も実家をうろついている。
わけのわからない次男とお祭りに行ったこととか、
次男が勝手に買って持って行ったお土産をありがとうとか。

段々イラついてきたから
「お土産はB(次男)が勝手に買って持ってったものだからッ!」と突っ込みを入れる。

それから今日、葬儀屋に無事お金を払ったという事、
アパートも無事引渡しをしたって事。

父が向こうでぼそぼそ言っているところを見ると
やっぱり母に電話しろ、と言ったような感じだった。

それから・・・
やっぱりそうだった、
私が葬式の時に香典として5万円出した。
それは何度も何度も母には
「私には香典返しとかいらないからね」と言ってあった。
つい先週もその話をしたばかりだ。

だのに母はその話をしだした。

だから私はもう腹が立って怒鳴っていた。

「香典返しは入らないってこの間言ったよね!何度も何度もいわないでよ!
 ずっと思ってた!そういうの凄く嫌なんだよね!ずっとそうだったよね!
 どうせお父さんでしょ!お父さんが電話掛けろって言ったからって
 そういうのもうむかつくんだよね!
 何度もそうやって聞くのやめたら!直接言えばいいでしょ!」

多分受話器から私の怒鳴り声が聞こえたんだろう、
父がぼそぼそと喋っている様子だった。

その後の母の態度が笑えた。
明らかに私に電話をかけたのは父の体裁を取り繕う為ってのがわかる瞬間だ。

そうだ、母はいきなり笑い出したのだ。
「おほほほ・・・はい、はい、わかりました~、そうですね。おほほ・・・」
もう本当に私は怒りの頂点に達した。

そんなに父に体裁を繕いたいか。

「じゃああの5万円の香典の香典返しはいらないってことでいいんですね。」

「だから何回言わせるんだよ!いい加減にしてよ!何度もいらないって言ってるよね!」

「はいはい、わかりましたじゃあそういうわけで・・・」

母は全く子供達に鈍感だ。
そうして父の顔色ばかり伺うのがどれだけ子供達に嫌な思いをさせているのか。
一度言えば済むことを、父が居る時にもう一度電話をして言ってくれとか
父の居る時に来て話してくれとか。

もうこの人のこの態度はたくさんだ。

こんな母親だから弟が二人とも自殺するんだよ!
子どもを自殺する事から守れない母親なんて母親失格だ!

私は今自分の気持ちを押さえるためにこれを書いている。


両親に対する怒り。

2011-07-30 08:38:19 | 

ここのところずっと両親に対する怒りが止まりません。
ネガティブになるとどんどんそういう悪い方向に行ってしまいます。
弟が(生きている方)そんな親達との対応にうんざりして
毎日のように夜、私の家に寄ります。
そして二人であーだこーだと愚痴を言い合っているのですが。(笑)

弟は、亡くなった弟の部屋などを片付けてくれていて疲れて家に戻った時、
玄関先で父から呼び止められたそうです、
「おい、○○、大事な相談があるんだ~」
何だかにこやかにそう話しかけてきたそうです。

だけど玄関先で弟はくたくたで疲れていました。
なのでそう父に言うと父はいきなり「なんだあ!・・・だったらもういいわっ!」
そう逆切れして不機嫌になって出て行ったそうです。
意味わからんです。大人の対応ですか?

弟と話をしていると本当に両親の嫌な部分が露になります。
そうして色々な部分を見つけることが果たしていいことなのか悪い事なのか・・・
私にはよくわからなくなりました。

ただ一つ、私は気になることがあります。

弟が死ぬ前、母が頻繁に連絡を取っていた様子がありました。
携帯にしろ、手紙(ハガキ)にしろ。
亡くなった直後、綺麗に整頓された弟の部屋には
あちこちに母が送ったハガキが置いてありました。
内容は元気でやってるか?あんなことがありました、こんなことがありました
また遊びに来て下さい・・・的な内容。

母はそうして時々私にもハガキを送ってきます。子供達は元気か?とか。
そうして子供達とつながっていたい(依存していたい)んでしょうが
自分が子供達に対して求めるばかりで自分は求められても何もしません。

母はそうして弟と頻繁に連絡を取っていたはずです。
それなのに・・・

母は弟が辛い思いをしていることに気付かなかったのか。
確かに鈍感な母だけど私は気付かなかったのではなく、
わかっていて見て見ぬふりだったのではないかと思えるのでした。

考えてみればここ一年くらいの間、母から聞く弟の話しは過酷な感じでした。
いつも疲れた疲れたって忙しそうだという話を聞いていました。

亡くなる寸前、父は亡くなった弟とこんな話をしていました、
「そんなに仕事えらいんだったら辞めて家に帰ってくればいいじゃないか。
 皆で一緒に住もう」
亡くなった弟は苦笑いしていたそうです。そりゃ帰りたくないよね。

父も母もそういう弟の状況をわかっていて黙って見ていたのです。
私は間違いなくそうだと確信しました。

私はもちろんそうした疑問を弟(生きている方)にぶつけてみました。
弟は否定しませんでした。多分あの二人はかなり前から何かを感じていただろうねと。

そう思うと私は弟を追い詰めたのは両親なのでは?なんて思えてきました。
何だかますます私の思考はネガティブになるばかりです。

私はここのところ毎日、自分の親が許せないという気持ちが止められません。

昨日、母が何度も電話をかけてきました。
でも私は出たくありませんでした。

家電にも携帯にも何度も電話してきました。
携帯の方には「またあとで掛けます~」とメッセージが入っていました。
要件を留守電メッセージ残せばいいのに。

母はいつもメッセージ残しません。
何度も電話してきて電話すると結局どうでもいい内容です。
まんじゅうがあるから取りに来てとかそんなことです。

私は母と話もしたくないのでずっと出ないでいました。
何度も「またあとで掛けます~」と。
その後、うちの長男に出てもらいました。
悪いけど、お母さんは今ばあちゃんと話したくないので
電話に出てくれないかと頼んでしまいました。

長男は快く、「お母さんは今手が離せないんで」って出てくれました。

なにやら葬式のお金がどったら・・・と言っていたらしいけど
結局わけわからなくなってまた後で電話すると言って切ったみたい。

長男が出てから電話はもう掛かってきませんでした。

私がこの一連の電話にムカついている理由は他にあります。
ただ母と喋りたくないっていうことではないんです、
以前にも確かブログに書いた事があります、
母はメールも打てます、別に留守電にメッセージ残せばいいだけです
なのに直接伝えなければいられないのは・・・
それは父です。

母にとって父の目の前で娘に電話をして直接伝える、
ということが何よりも大事なのです。
なので私がメールで連絡したりした場合でもいつだって必ず父の居る時間帯に
家のほうに電話して、と言われます。
そして初めて聞くことのようにして電話で話します。
もうめんどくさい!
母にとっては父の目の前で話をしているということが
何よりも大切なのです。知らないところで話をしたと知れば
凄く責められるから。

ってことは今回母が電話をしてきたのは父からの伝言なんだと思います。
父が母に電話しろ!と命令しているのでしょうね。
だから余計にむかつきます。本当にくだらんね。

というわけで母は私が出るまで、私に直接伝える為、
電話をし続けるのです。そして長男と話してから電話してこなくなったのは
父が寝てしまったからです。

何度も電話掛けてくるくらい大事な内容なら、
携帯メールで内容を送ればいいじゃない。
だけどそれはだめなのです。

母は以前は父に携帯を持っていることを内緒にしていました。
そしてカミングアウトしてからも(弟がプレゼントした事にしてました)
陰でコソコソやっていると思い指摘されるのが嫌なようで
大事な用件は必ず家電から聞こえるように掛けてきます。

私はいつまでも電話に出ないことに段々罪悪感でいっぱいになります。
凄く自分が意地悪な気がしてきます。
だけどこれも先日、弟と話をしていたことです。
弟も同じように感じていました。

母に対してイライラをぶつけたとき、凄く自分が悪い事をしたような気持ちになるって。結局そうして子供達に罪悪感を与えて思い通りにするのもあの人のやり方なんだよと。
そう言い聞かせ、私は罪悪感を持たないように注意しました。

弟は言っていました、
言いたいことを言い合えないなんて普通の家族じゃないねと。
言いたいことを言えば父は怒鳴ったり殴るぞって脅してキレる、
母は悲しそうな顔をして相手に罪悪感を与える、

どちらも性質は違うけど結局子どもに対して同じことをしている。
酷い親だ。


ダメな両親たち。

2011-07-27 01:04:17 | 

私は最近まで両親を尊敬してきました。
貧乏一家の子沢山であっても父は一生懸命自営業を頑張り
母は愚痴も言わず一生懸命家のことと会社のことを頑張っていました。
貧乏だったけど、食べ物には困らないようにいつもおなかいっぱい食べさせてくれました。
父は少々キレやすく、小さい頃は叩かれたりしたけど大きくなるにつれ
子供達には非常に気を使って優しかったけど、母にだけは冷酷でした。

それでも私は両親の力関係をそういうものだと思って生きてきました。

私には小さい頃の記憶でよく思い出せない部分があります。
それは弟にもあるそうです。

先日の父の逆切れで私の中のそういう部分が出てきました。

尊敬していた父はキレるとすぐ子供達に暴力を振っていました。
そして母親にはモラハラ。
多分子供達の私たちが悪い事をして叱られてたたかれたのだと思っていたけど
その理由はどうしても思い出せません。

ただ、そんな父が怖くてびくびくしていた時期があります。
そしてそんな父が仕事で帰ってこない日はとても嬉しかったです。

母は子供達にはとても優しく、一日中家事をしているような人でした。
私はどちらかというと父よりも母のほうを尊敬していました。
父に何を言われても黙っていました。

でも・・・
母は色々なことに鈍感な人でした。気配りができないというか。
そして子供達に対しても鈍感な人でした。

考えてみれば父が子供達を殴っても母は何も言いませんでした。
私よりも酷い目に逢ってきた弟が「あの時母が助けてくれていたら・・・」
と言っていました。
私はそういう父や母のダメな部分から目をそらして
ただただ尊敬していたのでした。

でもまあ、それが子どもなのかもしれません。
大人になると色々な事が見えてきます。そして昔疑問に思わなかったことが
おかしい・・・と気付いたりするものなのですね。

父は口ばかりで責任逃れをしていつも母のせいにします。
お金も無いのにお金をやると言い、結局くれません。
あてにしていると「親をたよるものじゃない!」と逆切れ。
妹の定期を勝手に下ろして使い込み、子供達から当たり前のようにお金を借りて
自分はお金も無いくせにあるようなそぶりを見せます。

母はいつも肝心なところで子どもから逃げます。考えてみればいつもそうでした。
私がダンナのことで相談したときも(この時は私はキレましたが)
多分弟が父に殴られていたときも。
そして死んだ弟が死にたくて苦しんでいた時も連絡を取っていたはずなのに
結局止められなかったのです。相当な鈍感か逃げたかです。
私は思います、母は弟の苦しみを感じていたはずです、
だけど母はそういう訴えや愚痴をぶつけられると「私には何も出来ないから」
と最終的に逃げてしまいます。思い返すといつもそうでした。

今生きている弟も昔自殺未遂をしたことがあります。
父親の事で苦しかったようです。
でも母親はその時も逃げたのでしょう。

私は二度と兄弟に死んで欲しくない、
あの両親の犠牲にはなってほしくない。

私は今やっと気付いたのです、
自分の両親がかなりダメな人達だったという事に。
そのダメさを挙げたらきりが無いくらいダメな人間達です。
だから私はもう自分の親を見離します。

人は誰だっていい部分とダメな部分があるといいます。
でも私の両親はそういうレベルのダメさではなく、人間としてダメなんです。
あきれるくらいに。

自分の両親のことをダメだと言わなければいけない自分がむなしいです。

金に汚い父のことを酷い人間だと思っていたら母も変わりがありませんでした。
下の弟が死んだ後、その弟名義の定期があるのだけどどうしたらいいか?と
言われました。けっこうまとまった金額でした。
母は何度も「名前は○○だけど、これは私のお金」と言いました。
何度も何度も。

何だかそこに母の意地汚さが感じられました。
母は偽善者です。子どものためにと子どもの名義で貯金をしていたようですが、
もしそうなら子どもが困った時にもっと早く助けてあげるべきでしょう。
だいたい弟が亡くなり、それが本当に母のお金かどうかなんてわかりません。
(以前弟のお金を預かった・・・と話していたので私はそれではないかと思います)

母が意外とかなりお金を持っていることを知りました。
私はショックでした。自分が困っている時に私がまだ袖も通していない成人式の着物を
内緒で質屋に入れた人です。
(その着物は私がローン組みました)
そのくせ私が子どもの進学でお金が足りないかもしれない・・・
と困っていてもいつも知らん顔です。
私は母にそういわれても貰わなかったと思いますが、
それでも一言でも「足りなかったら出そうか?」と言って欲しかったです。
(そのくらいかなり貯め込んでいたので驚きでした)
母は子供達のために少しずつ貯めていると話していたけど
私は違うと思う。
大変なときに助けて欲しいし、死んでからどうでもいい時に貰っても嬉しくもないし。
そういうところが母の鈍感な部分でもあります。

父も母も子どもに頼る事を当たり前だと思っているけど
お金の面で子どもを助ける事は一度もありませんでした。
結婚式だって一円も出していません。(出すと言いながら結局出しません)

私は母がそんなに貯めこんでいるという事も知らず心配して
一生懸命両親に優しくしてきました。何だかばかみたいです。

今回の事で両親共に私は裏切られたようです。
そばに居た弟は(生きてる方)私のことをずっとお人よしと思っていたようです。
本当にそうだなって、今思います。

腹が立って腹が立って・・・
私は一体誰を信じていいのか良くわからなくなってきました。


疲れる。

2011-07-24 12:23:41 | 


弟の葬儀後、落ち着くかと思ったらそうでもなかった。
色々な手続きに私ともう一人の弟と駆け回り、
ある程度色々と終わった後からも両親は私たちに依存していた。

私たちが一生懸命葬儀中にも色々な人に話を聞いたりして対応していたのを
どうやら当たり前のようにとらえているようだ。

何だか私たちが面倒ごと担当のようにごくあたりまえのように。
私も弟ももちろん当たり前のように走り回っていた。
だけど葬儀が終わり今、お互い凄くイライラした気持ちがある。
疲れているのかもしれない、だけどやっぱり両親はダメな人間だ。

今朝、母から電話があった。
「○○ちゃん(自殺した弟)の同級生が朝来てくれることになった。
 あんたも今から来てくれないかな?一緒に話を聞いてほしいんだけど。
 お父さんは仕事があるそうで出かけたから。(日曜日なんだけど)」

私はもうムカついた。
弟の知り合いが来るたびに私は呼び出されるのか。
そして父はまた逃げ出した。日曜日に仕事の用事なんてない。

ずっとそうだった、
弟の知り合いとか、会社関係の人との対応を皆私たちに押し付けた。
会社の社長との話し合いでさえ、両親は二人とも逃げ出した。
火葬場の待合室で父は社長に挨拶だけして
「オレ、もういいよな・・・」とさっさと逃げていった。

そしてお世話になる僧侶とも進んで話をしようとしない。
全て私たちがなんとかしてくれるという感じだ。

私もここに来て疲れてきた。いつまで私たちに依存するのか。

父は葬儀中色々と大きな口をたたいていた。
傾いた会社を閉めてその退職金で
近くに墓をつくってそこに弟のお骨を入れるのだとか、
そして綺麗なところに引越しするのだとか。

それは全て弟が遺したお金をあてにしてのものだった。

その証拠に葬儀が終わって弟が遺したものが葬儀代プラスα程度しか無いことがわかると
墓を買うのを辞めるといいだした。
結局住民票も移しているから同居していないという事で
厚生年金も国民年金もどちらも一円も戻ってはこない、
生命保険は契約してから3年経過していない自殺なので
解約一時金で微々たるものしか戻ってこない。

父は、葬儀中に親戚に「息子が死んだ、貸した○○円持ってきてくれ」
と電話していた。でもその返してもらったお金を弟の葬儀代にあてることはなかった。

弟が亡くなる前、父にお金を貸していた。
父はお金に汚い人間だった、生きているほうの弟にも100万借りている。
妹の定期を勝手に下ろして使い
そうした汚い部分が発覚したのがごく最近のことだ。

死んだ弟は死ぬ前に20万円貸して欲しいと父に頼まれて30万出してくれたそうだ。

自分は誰かに頼りたいのに、親にも頼れず逆に頼られどんな気分だっただろうか。
死んだ弟はそういう子だった。

父はお金なんてないくせにでかい事を言って
見栄を張ってそれがうまくいかなければ恥をかかされたと怒鳴り散らす。
最低の人間だ。
大人になると自分の親の最低な部分がいっぱい見えてくるもんですね。

弟が死んだ直後、私はその死に疑問を持ちあれこれ詮索した。
労災の申請をするとまで思った。
だけどそうした対応や手続き全て、あの両親たちは黙ってみているだけ。
私たちに押し付けておいて知らん顔だ。

だからもう私たちは申請とかそういうのも辞めることにした。
両親にその気がなければ(あっても人にやらせようとしている)仕方が無いから。
納得がいかなければ両親が中心になって動けばいい。

私よりも先に弟が根を上げた。
ストレスで私や妹(私は4人兄弟なので)に愚痴を言いはじめた。
なので私は母にメールをした。

「○○(生きているほうの弟)がかなり疲れているよ。
 動かなきゃいけない事は全部○○が動いてやってくれた。
 もうそんなに急いで今動かないといけない事もそう無いと思う、
 だからもう今後はお母さんとお父さんが中心になって進めてってくれないかな」

母からの返事は無かった。
共依存的な母には理解できなかったかもしれない。
だけどもうそろそろ自分達で動いて欲しいのだ。

葬儀が終わってもう一つ心配事が。

私はずっとダンナのほうが、いつああいう死に方をするんじゃないか?と
思っていた。

そのダンナがやっぱり携帯のやりとりで「孤独だ」とか「寂しい」
という言葉を使ってメールして来るところを見ると
私の弟の自殺で色々と影響されないかと少し心配だ。

私は複雑だった、ダンナには死んでほしいと思うけど、
ああいう死に方は嫌だなあ・・・とも思う。
だけどダンナが今死んだらいくら自分に入るのか、
ということを計算している自分もいる。複雑だ。


ここ数日でいろいろなことがありました。

2011-07-19 21:46:04 | 

少し落ち着いたので、ネットで法事の場所などを探しているところです。
色々な事がありました、過去経験した事がないことばかりです。

弟が二人おりますが、下の方の弟が一人暮らしをしていてそのアパートの中で延長コードで自殺しました。

しばらく前から仕事が辛くて眠れないとぼやいていたのですが、
昔マラソンをしていてとっても我慢強い弟にしては、らしくない最後でした。
その日の朝も(朝早く出勤して一度帰った)何かでもらった賞を嬉しそうに笑顔で会社を後にしたとのことでした。
夕方からの出勤の時間に出てこないので会社から何度も電話をしたけど出ず、
結局従業員が見に行って見つけられたという事です。

家族だからかもしれないのですが、どうしても信じられないのです、
死のうとおもった痕跡が一つもみつからないのです。
携帯も、パソコンも、家の中にノートとか、メモのようなものも一つもありません。
遺書らしきものはチラシの裏に書いた「もう限界」の一言だけ。

チラシの裏ってのも彼らしくないのです。
彼はとってもきちんとした人でした。
その後何度も住んでいた部屋に出向いていますが、
凄く家の中が綺麗です。私なんて恥ずかしいくらい綺麗にしていました。
綺麗だけど、まだこれから生活をしていくというような痕跡がいっぱいありました。
楽しみにとってあるようなアイスクリームとか、貰ったケーキが冷蔵庫にあったり
消耗品のストックもたくさんありました。

精神科等に通っていたあともありません。
とても親身になってくれる友達も何人かあって、4月ぐらいから
仕事が忙しいと、交流を切られていたという話です。

携帯には無くなった3日後の日にちに「飲みに行かない?」という友達からのメールがあり、その返事には多分その日は仕事だと思うから残念~的な返事を返していました。

仕事から帰る時の笑顔、本当かどうかわからないけど職場でもそんな様子はなかったとのこと、もちろん友達にも。
一ヶ月ぐらい前に家族にも会っているけど全くそんな様子もなかったそうで。

銀行口座もある程度の蓄えを残してありました。
まあ、それを葬式代ということで残したのか全くわかりませんが
とにかく思いつめて・・・という感じがどこからも伝わってこないのです。

なくなった顔も嘘みたいに安らかでした。疲れていたのかもしれないけど
年齢にしては髪の毛がとっても黒々つやつやして健康そうでした。

何が?の部分がまるでわかりません。

そんな感じです・・・。

葬儀中、私たち家族は会社にとても不信感を持って
なんとか会社の人間を捕まえて話を聞こうと思いましたが
なにせ皆葬儀なんてはじめてでそんなうまく立ち回ることなんてできません。
そうしたイライラした感情をぶつけ合ってしまい、
とうとう葬儀後、バクハツしてしまいました。

とくに父です。
父の事は書いたかな、私の父は完全に人格障害なんです。(私の周りってそんなのばっかり)
自分が物心つく前に親を亡くしたのだから無理も無いです。きちんと父母に育てられた
経験が無いのが原因でしょう。
その後、親戚にひきとられ、周りに気を使いながら生きてきたのだと思います。

そんな父は自分を馬鹿にされること、無視されることにとても敏感です。
私もすっかりそのことを忘れていましたが、
ほんのちょっとした言葉尻に反応して父が怒鳴りだしたのです。

発端は四十九日の日にちが私たちが聞いていたのと、
僧侶にもらった紙との食い違いがあったことなのですが、
ただの食い違いだったのですが。(僧侶が間違えた)
父親が僧侶に確認の電話をしました。そして切った直後、

「お前らのせいで恥をかかされた!オレはもうやらんからお前らでやれ!」
と部屋に行こうとしました。

葬儀の間中ずっと父は色々なことから逃げていました。
私ももう我慢の限界だったので父の後ろ姿に「また逃げるのか!」と捨て台詞を吐きました。

そうしたら私に向かって怒鳴ってきたのです。
いきなり怒鳴ってきたので私は「何を怒ってるの?それって怒る事なの?」
とむきになって言いかえしました。
そうするとますます酷くなり
「おまえの言い方が気に入らないんだ!ずっと我慢してたんだ!
 その言い方はなんだ!ばかにしやがって!オマエの言い方は馬鹿にしている!
 最近オマエの顔は怖いぞ!物凄い怖い顔してるぞ!
 オマエの言葉は傷つくんだ!言い方がきついんだ
 そんなんだから○○と(ダンナの実家)うまくいかないんだ
 オレは○○やおまえのダンナたちにほんとに同情するよ!!」

もう私は泣き叫んでいました。
何で関係ないダンナのことやダンナの両親のことを出してくるんだと。
しかもいつもふつうに私の愚痴を聞いてくれた父親です。

私が更に言うと今度は
「おまえッ!殴ったろうか!」とコブシを挙げて恐ろしい形相で睨んできました。
その時私は小さい頃のトラウマが出てきてしまいました・・・。

過呼吸気味になり、父に言ってしまいました。

「いつもそうやって私たちを殴ってきたよね!私は怖かった!」
弟や母たちも色々フォローしてくれたけど
私のちょっとした爆弾で父が反応してしまう。

しばらく話していて父は急に態度を変えて
「悪かった。俺が悪かった。育て方がわるかったんだな。」と謝ってきた。
でも私は何も言わなかった。
弟や母はこういう人だと知っているけど、私は外に出ていて聞いていたけど
どこかで信じていたのかもしれない。

私は弟に抱えられて家に帰った。
帰ろうとしたときに父が捨て台詞で
「もう寝るっ!オレだって疲れてるんだ!女はいいよなっ!泣けるもんな!」
その言葉に人としての気遣いとか、親から子に対する気遣いは全く感じなかった。

そもそも、葬儀の間ずっと思っていた、
弟が死んだ事、この人、何とも思ってないんだろうなと。
もう一人の弟が行った。
「そんなこと当たり前じゃないか。あの人は誰も愛してないんだからね。」

父は最近になって色々なことが発覚した。
母が私には言わないようにしていたらしいけど凄くお金に関して汚い人間だった。

お金があるから出す、出すと言って出さないのは昔からだけど
妹から預かっていたお金を勝手に引き出したらしい。
しかも亡くなった弟からも借金していて返していないらしい。

お通夜の前日、父の弟に電話をしていた。「おう、オレが貸した20万円返してくれ」
金の無い父が散々子供達からお金をむしり取り、自分の弟に貸していたなんて
訳がわからない。

もう、わけのわからないことばかりで死んだ弟の事もこんがらがり
何だかわけわからない感じになってしまった。

だけど私はずっと思っていて言えなかったことを父に言えた気がする。
小さい頃殴られて怖かった事。(でも一つ一つの事実は覚えてないの)
父がなんの根拠も無く、「じゃあオマエが母さんの面倒を見ろ!」といきなり言うので
「うん、そうしたいんだよね、私は。私はずっとそう思っている。お母さんだけ引き取るから!」
と言ったらちょっとびっくりしていたけど。
またオレは一人で出て行くからな!と言っていた。勝手に出て行けばいいのにと。

こんな父親だから母はかなり辛い思いをして生きてきた。
子供達誰もが別れてもいいよと言っているのだけど
父以外の家族の人間はすべて依存というか、そんな父から離れられないんだよね。
私もそんな父でも信じていたところがあるから。

こんなモンスターな父に早く死んでくれ!と思いながらもこんなに興奮させて
心臓に負担かからないかな、などと心のどこかで思っている私もいる。
本当にバカだ。ダメな私だ。

私が運転できないので弟(生きてるほうの弟ね)が運転して送ってくれた。
自宅に泊まってくれてそばに居てくれた。弟には本当に感謝だ。

そんな感じで色々な事がありました。
父には本当にがっかりです。
そして私は父に罵られて居る時に小さい頃のトラウマと、
ダンナに罵られた時のことが一気に噴出しました。

皆疲れていて私のことで面倒掛けたくないのになかなか気持ちが落ち着くことは
ありませんでした。

同じように罵倒されると、しかも身内ですから私はもう立ち直れません。
やっぱり私がダメなんだ・・・また戻ってしまいました。

「殴ったろか!」と構えたとき弟が父をおさえてくれました。
私は小さい頃を思い出して足がすくんでしまった。
だけどいっそ殴られたら良かったと思う。殴れば父もきっと痛いと思うから。

もう何もかも混乱中。おまけに台風も来ているらしい。
文章もまとまらず申し訳ない。