心の平和を求めて・・・

夫と別居中。
私の身近で起きている「性格や考え方に偏りを持つ人」との関わり合いの記録です。

はじめに・・・このブログについて

自己愛性パーソナリティ障害の夫との関わり合いの記録をつづっています。 パーソナリティ障害の人と付き合っていくのは 色々な苦労があります。 この障害の人は相手を思いやることができません。巻き込まれると自分の考え方や、人間性まで深く傷つけられてしまいます。 自分のやってきたことを一度まとめて記録にしようとブログを 立ち上げてみました。
はじまりは2005年4月6日から。
現在別居中。(ダンナが勝手に出て行きました)
ダンナの奇妙な部分などをその都度思い出して書いて行きます。

覚え書き↓
2009年11月  ダンナがまたおかしくなりはじめた。
2009年12月  ダンナがまた出て行った。(二度目の別居)
2010年 2月  姑とのバトル。これ以降一切連絡を取っていない。→姑の電話で暴言。

マンション買取で決定

2024-07-29 14:53:17 | 

あ~、また一歩前進です。
昨日はダンナが不動産会社と話をして、
その結果を持って担当のC氏が私の所へ訪ねてこられた。

仲介にするか、買取にするかダンナがどう決めるかが気になっていたが
仲介も迷っていたようだけど買取で決定したとのこと。
値段は仲介の金額よりも300万ほど安くなるのでダンナが揉めるかなと思ったけど
迷ってはいたようだけど買取で決めたとの事。

契約に関しては夫とやり取りして、お金の事については私の弁護士さんと相談して手続きをしてくれるとのこと。
お金は弁護士事務所の預かりとなるし、次回の9月の調停にダンナが揉めなければスムーズにすすむのではないかと。

C氏が話していたが、ダンナは売却金を半分に分けることになっている、調停でそういう話になっていると言ったそうだ。
それが本気なら夫は当分に分けてくれるということか。
いやいや、まだ油断はならない。
それから、マンションの契約で私たちの退去の事を気にされていましたよ、
と言われた。この件で私たちを気遣うようなそぶりを初めて見た(聞いた)。
まあ、フリだろうけどね。

それでもダンナの心が緩んだとしたら、あの第一期の固定資産税を払ってやったことが理由の一つなのだろうかとか思ったりした。
私も少しは気持ちの上で多少折れることが(いやいや、金額面では折れませんけどね)
相手を和らげることになるのかなとふと思った。

まあ優しく接するもきつく接するもタダだからね。(笑)
そう思えばダンナという人はとても単純な人なのかもしれない。

それでも調停できちんと決めるまではまだ安心はできない。

半々に分けるのはまだ序の口だ、ここからが勝負なのだから。

それでもまた一歩前進したことでホッとした。

これでスムーズに行けば、契約が8月終わりごろ、
そのお金が法律事務所に入金されて9月の半ばの調停で決まれば入金&離婚だ。

引っ越しはとりあえず10月とした。
私の目の手術があって9月半ばまであまり動けないのだ。

とりあえず色々な事が決まって来てホッとしたし嬉しい。

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実家の違和感

2024-07-27 08:25:39 | 

夫の実家との違和感を感じていた私は、
自分の実家の違和感も感じるようになった。
その違和感ってもしかしたら、夫の実家や私の実家の問題では無く、
ただ、私自身がおかしいってことなのかと落ち込んだこともあった。
実際にそうなのかもしれないけど。

結婚を決めて夫の実家の違和感はすぐに感じたが、それはよその家だからこそ自分の家との違いで
違和感を感じるのだ、結婚すると言う事はそういう事なのだと言い聞かせていた。
でもどうしても夫や姑のやり方には納得がいかなかった。
それでも嫁ぎ先のやり方に従うのが嫁なのだと。

その後、ふと、自分の実家の違和感を感じるようになった。
実家に居る時は気づかなかったのが、結婚する時に少し気になった事があった
それでもそういうものかとやり過ごしていたが、
子供を出産する頃にその違和感が大きくなった。

それってなんだろうね、自分の心が大人になって色々なものが見えてくるようになったのではないかなと
私は今では思ったりする。

もともと私の実家は家族として偏ったところがある。
それに気づいたのも違和感を感じた頃なのだけど。

昔からの亭主関白、私はどうやら色々な記憶に蓋をしてしまっているようで
今現在でもその記憶を掘り起こす気にはならないけど、
多分子供の頃父親に何かと怒鳴られ殴られて育ったと思う。
よく殴られた事があるなあ、程度の記憶しか無いけどその理由は思い出せない。
私たちの小学校時代は先生が殴るのは当たり前で、(忘れ物1個に1ビンタなんて教師もいた)
殴られる事には慣れていた。今の時代とは全く違う。

なので成人してもヤクザのように怒鳴る男性や殴られると、そこで心がシャットダウンしてしまうのだ。

若いころ付き合っていて結婚寸前まで行った彼氏も、それは私のわがままだったけど
ぶたれた事がありその時にもうこの人と居るのは無理、と心がシャットダウンした。
その後、彼氏は執着して暫く付きまとってきたが彼氏がそうする程私は嫌になり結局別れた。

怒鳴る男性、殴る男性に反応してしまう自分にはトラウマがあるのだと感じた。

話しがだいぶそれたけど、実家の違和感は今もずっと感じている。
娘がこれだけ大変な目に遭っているにもかかわらず、ずっとポーカーフェイス。
夫の実家に年賀状を送り、お歳暮お中元を送りつづけている。
話しは幾らでも聞くからね、と言うけどただうんうんと本当に聞くだけ。
気遣う事も無く、助けてくれることもなかった。
結婚した時からだったけど、お金に関して助けてくれたことは一度もない。
逆に『親は頼るものじゃない』と逆切れされた。
私は独身時代に給料やボーナスをかなり家に入れて来たのにね。だから早く家から出たかった。

娘に対していつだって都合の良い両親、そして渦中の娘が苦しんでいても何とも思わない。
いつも世間体を気にする。そんなに世間体を気にするような家でもあるまいし。
だからたまに実家に行くと腹が立つ。
いつも何事もない様に接していつでもおいでよ~と言った感じ。
お金が無くて困った時にほんの少しでも手を差し伸べてくれていたら・・・
私は一生恩に思ったかもしれない。困っていると言っても軽くスル―されてきた。

高齢の母は苦労して生きてきたと思う、だけどそれは子供たちを犠牲にした。
子供たちに何も感じてやれない人だったと思う。

そんな母が今趣味で絵手紙の葉書を時々送ってくる。
昨日もそれが送られてきた。


文面が、

酷暑お見舞い申しま~~~す。
色々大変な夏になりましたが、
頑張って下さ~~~い。

そのハガキの能天気でデリカシーの無さに思わずハガキを破いてしまいたくなった。
母の行動にはいつもそうしたデリカシーの無さを感じるのだけど。
自分の事でいっぱいいっぱいで、保身で子供達の気持ちを考えてやる余裕も無かったのかもしれないけど、
母のデリカシーの無さはもともとの心の危うさかまたは、夫のモラハラによるおかしさなのかもしれないが
母には何かとデリカシーの無い行動や発言が多く腹が立つことがあった。

私が引っ越しをすると話したら、そういえば離婚した従妹の〇〇ちゃんも、同じ○○市に住んでいるよ~と。近くだねえ~と。
だから何??その従妹とは小っちゃいころに会った事があるぐらいで何の交流も無い、その従妹と一緒だから何??近くだから何?一緒だから何?(笑)
母のそういう事がいつも私をいらつかせる。

時々近くの実家に色々と持って行く機会があるたび、「ゆっくりして行きなさい」と
引き留められるのだけど不愉快な気持ちになるのが嫌で
私はいつも「このあと用があって。ごめん」とそそくさと引き返す。
引っ越ししたら少し実家からは遠くなるので多分もう実家にはそんなに来なくなるだろう。

次男の出産後、父親の心無い発言でしばらく実家に行くのをやめていた時期がある。
出産後、しばらく実家でお世話になっていたけどどうしても我慢できず喧嘩してに自宅に戻った。

娘としては親に対してそういう態度は罪悪感を感じるが、そういう実家なのだ、
罪悪感を感じるけど我慢して付き合うのはやめることにした。
そして自分が行ってもいいと思えば行けばいいのだ、
我慢して実家に付き合う必要はもうないのだと自分に言い聞かせることにした。

そんな実家だからこそ、私は実家の姓に戻る事を別に希望していない。
その姓にもこだわりが無いし戻る事に何の意味もない。そして夫の姓にもこだわりは無い。

離婚後の姓をどうするか随分悩んだけど、戸籍を新しく作り今の姓を自分の名前として名乗ると決めた。
これは夫の姓では無い、ただ夫と同じ名前の姓なのだと。
人生、もうすでに今の姓で生きてきた期間が長い。これが私の名前なのだ。
そして、息子達と同じ名前でいたいと言うのが一番の気持ちだ。

最近そうしていろいろな事をつい分析してしまうのだけど、結局は全て終わってしまったこと、
いくら分析したところで人の心は変えられないのだというのが結局は事実だ。
その要所要所で私がそれに気づいていたとしても、だからと言って何かを変えられたわけでは無い。

少しでも私の両親が私に対して愛情を持って何かをしてくれていたら
私はどんな両親たちであっても両親たちを思い、困ったときには手を差し伸べて来ただろう。

何故違うんだろう?同じ血が流れているのに?私は自己犠牲が強すぎるのかもしれないけど、
それでも息子達が困っていたら一緒に何が出来るかを考えて来たし、
お金に困っていたら貯金を崩してでも息子達が困っていたら助けてやりたいと思うしそうしてきた。
息子達が辛いと自分も辛い。私の両親はそうは感じないように思える。
私の周りはみんな壊れていると思う。私もかもだけどね。

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自動車税の督促納付書

2024-07-26 12:27:00 | 

昨日、長男とダンナの自動車税の督促納付書が来た。

前回来たときに確か長男に持って行ってもらったけど、最初に来た納付書で払わなかったから再送されたんだろうけど長男の分については、「今回払うの忘れてて納付書届くから」と聞いていたからいいけど、ダンナに関しては調停中という面倒な時期に関わらずすぐに払わないのはどうよ、とムカつく。


督促が来るのは毎年のこと。もういい加減にすぐに払ってくれと言いたいよ。


固定資産税の納付書を送りつけてきたのと同じように封筒に入れてさっさとダンナの実家宛に郵送してやった。念のために弁護士さんに了承得てからだけどね。郵送代すらもったいない。これ以上、面倒かけないで欲しいね。


モヤモヤする気持ちも、本日は会社の行事で飲み会なので発散してきます〜

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色々な問題がとりあえず色々解決。

2024-07-24 20:33:53 | 

忙しい一日だった。
今日はやっと新居のネット回線が通じる日、
この引っ越しで色々な手続きを全て私がやってきたのでネットぐらいは長男に任せることにした。
ところが・・・
仕事をしていても一日中連絡が来るあれはどうしたらいいか、これはどうしたらいいか、もう仕事どころじゃない。
そして結局のところ、私がプロバイダの連絡をすっかり抜けていた為、ネットの設定はできず。
私だって仕事をしているのだからしまいにはかかってきた電話を切ってやった。
プロバイダの設定が変更出来ていないまま今日は一日が終わった。

今日は土用の丑の日、昨日のうちにひつまぶしの予約をしておいた。
ずっと節約生活だったので長男に美味しいひつまぶしを食べさせてやりたかったのだ。
店舗では食べられなかったけどおかげで土用丑の日に美味しいひつまぶし弁当を食べることが出来た。
食事中にプロバイダからの連絡があり、何とか無事プランの変更も終了。
長男を新居に送り、今さっき無事ネットも開通したと連絡がありホッ。

実はシンク下の水漏れと臭いについても今日の午前中に管理会社からの業者が入った。
前回のゴキブリ騒ぎの時に見つからなかった不具合が見つかりそれも直してもらい無事解決。
色々な問題が起き上がるけどこうして一つずつ解決していけばいいのだ。
そして悪いことばかりでは無く、良いことだってあるのだと。

今日ダンナから固定資産税の納付書が送られてきた。今年度第一期分はこちらで払うことになったので。
全く、お金が出て行くことばっかりでしんどいけど、がんば。

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泣けた・・・

2024-07-23 14:53:17 | 

会社の常務さんが仕事中に私のところへ来て色々とお話をしてくれた。
今回の調停離婚・引越しなどについて、社長や社長の奥様には簡単に話してあったのだけど
それを大変心配してくれた常務さんが私を色々と励ましてくれたのだ。

常務というのは社長のお母さんで八十過ぎのご高齢なのにとても人間が出来た方で
とても温かい方なのだ。

当時、私は正社員の仕事を必死に探していた。
私のような年齢の者はなかなか面接すらしてもらえなかった。
前の仕事を辞めて仕事探しをしながら子育てをして多分人生で一番つらい時期だったのではないかと思う。
絶望的な気持ちの中で職安で履歴書の書き方のアドバイスを受けてやっと2社、面接してくれる会社が決まった。今仕事をしているのはその2社の内の一つでした。

その前に建設土木の事務と言う肩書の、弱者ビジネスのヤクザの会社に知らずに入ってしまい、
怖くて3日でやめたこともあり全く経験のない建設業の事務というのが実は不安でもあった。

面接時に印象的だったのが、今でも変わらない社長の明るさと常務の温かさでした。
何もかも絶望的だった私は採用されて本当に救われたのです。

社長一族の皆さんはみんな温かい。それは余裕なのか?わからないけど。
それが本当に嬉しかった。給料は安いけど、時には無理な事も押し付けられたりもするけど
家族のような温かい雰囲気の会社なんです。

おかげで私はこうして長い事働いてこられた。多分これからもね。
ダンナが家に帰りたいと言い出した頃、私は拒否した。
あなたは一人で寂しくないのか?とダンナが聞いて来た。
私は、「職場が家族みたいなものだからちっとも寂しいとは思わないの」とその時に言った。

失礼だけど私にとっては社長はお兄ちゃん、社長の奥様はお姉ちゃんのような存在。
そして、うーん、常務は私の母よりもはるかに人間が出来た人なので母親だとは言えない。(笑)良いお姑さんかな。

とにかくそんな常務が一生懸命私を励ましてくれたのだ。仕事中なのに泣きそうになった。
あなたはいつも頑張ってくれているから、頑張って大丈夫なように見えてもストレスはたまるのよ、体に出てくるのよ、(目のこともすごく心配してくれている)絶対無理したらだめよ!と。
常務も家族や親戚の問題では苦労されて来た方だ、会社の色々な問題が起きた時もいつも動じない。いくつになっても頭が冴えていて堂々と立ち向かう。
お茶の先生でもあり、何度も足や手を骨折したりするけどその割にとてもフットワークも軽い。じっとしていられない。
私もそんな人間になれるかな。誰かを元気づけてあげられる心の余裕を持った老人になりたいなと。

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