心の平和を求めて・・・

夫と別居中。
私の身近で起きている「性格や考え方に偏りを持つ人」との関わり合いの記録です。

はじめに・・・このブログについて

自己愛性パーソナリティ障害の夫との関わり合いの記録をつづっています。 パーソナリティ障害の人と付き合っていくのは 色々な苦労があります。 この障害の人は相手を思いやることができません。巻き込まれると自分の考え方や、人間性まで深く傷つけられてしまいます。 自分のやってきたことを一度まとめて記録にしようとブログを 立ち上げてみました。
はじまりは2005年4月6日から。
現在別居中。(ダンナが勝手に出て行きました)
ダンナの奇妙な部分などをその都度思い出して書いて行きます。

覚え書き↓
2009年11月  ダンナがまたおかしくなりはじめた。
2009年12月  ダンナがまた出て行った。(二度目の別居)
2010年 2月  姑とのバトル。これ以降一切連絡を取っていない。→姑の電話で暴言。

スッキリした気持ち

2024-05-25 08:02:00 | 

第一回目の調停が終わり、まだ解決には至らないけどなんだかすっきりした。

 

始まるまではダンナがどんな嫌がらせをしてくるかと不安の日々で眠れなかった。でも第一回目の調停でなんの考えもないダンナのやり方も見えて来た。だからホッとしたのかもしれない。

ダンナはかなり調停委員さんに訴訟になるとどんな大変な事になるか…懇々と聞かされたようなので基本ビビリのダンナには多少こたえたと思う。

主張だけは一丁前だけど、戦う気力もなく、今の所姑が出てくる気配もない。

やっぱり弁護士をつけてこないのが気の毒にさえ思う。

 

当時の私には考えられないくらい今は味方がいっぱいで強気です。

調停委員さんにも話したけど、当時誰に相談していいのか分からなかったし、みんなあんなおとなしいダンナさん、あなたの方がきついんじゃないの?と親さえ信じてくれなかった。

子供にも父親のことを悪く言えなかった誰にも言えず。

何度も弁護士相談も考えた、ネットでそういう離婚相談所のような機関に問い合わせをしたけど返事をもらえなかった、だからずっと一人で抱えてここまで来た。

 

調停中もそうだったけど、自分では一杯一杯なはずなのに何故か客観的に見ている自分がいた。なんだか不思議だけど意外と余裕があるってことなのだろうか?

 

こうして調停中の私はまだなんだか非現実の中にいるような感覚もある。

 

時々、冷静に今のことを客観的に考えて見ることがある。今こうして行動を起こしたことは遅かったのか?ならいつだったら??と。

 

色々考えてみる。

子供が小さい頃は絶対無理だった。泣き寝入りで別れていただろう、その代わり色々な手当を受けて息子たちの学費の心配はなかったかもしれない。でもその頃はまだ別れたくない気持ちがあった。まだ気持ちはあったんですね。

 

もう一つは、夫が退職金をもらった時。

ここで切りをつけようと考えたことはある、でも勝手にマンションのローンを返済され、どんどん口座の残高が減って行くのを見ながら何もできず。機会を逃してしまった。

そしてもうこのままこの別居生活を続けて行くしかないと腹を括った。

ダンナはなにかと生活費を減らすと言って来て、最終的には入れなくなった。

でも私はラッキーだった、給料は安いけどなんとか正社員の仕事につけた。

そこまで行くのには色々あった、弱者ビジネスのヤクザみたいな人がいる会社に就職して怖い目に遭ったり、辛くて酒漬けになって飲んでタオルで首吊ろうと考えたり。

弟が自殺してから妙に死ぬ事に囚われてしまったんですね、当時は死に場所を探していた。子供がいるのにね。

お金もないし歩くのが好きで、山登りをはじめた。山で死場所を探した。今考えるとほんとおかしいけどね。

 

山で迷って遭難しかけて死ぬのが怖くなり(笑)そこから山登りにハマっていったのだ。

今では生きるために山を登り続ける。いつだって山に慰められ強くしてもらった。

 

いろんな辛い人生だったけど、良い職場や人に恵まれなんとか自立できた。

 

人間、生きていればなんとかなるもんだと今では笑い飛ばせる。

相変わらずビンボーだけど私はほんとに運が良かった。

体力も今が最大、心も強くなり、たくさんの経験を積んだ今だから立ち向かえるのかなと色々考えるとやっぱ今なのかなとも思う。

 

まだまだそんなことを言うのは早いかもしれないけど、全てのことに感謝したい。

 

そんなわけで今日も山に向かいます^_^

コメント
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